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2019-04-20 (Sat)
ソメイヨシノが葉桜となり、春の進行が感じられる中、虫たちの姿を求めてさいたま市内の園地を訪れました(4月16日午前10~11時;気温17から18℃)。

トンボの姿はありませんでしたが、キリウジガガンボ、アシブトハナアブ(以上、前回記事参照)やセイヨウミツバチ(次回記事予定)の他、3種の蝶を撮影することができました。


キタキチョウ

まずはキタキチョウ Eurema mandarina (de l'Orza, 1869) です(写真1、2)。

キタキチョウ 
写真1 キタキチョウ Eurema mandarina (写真はクリックで拡大します)

キタキチョウ 
写真2 キタキチョウ Eurema mandarina 同一個体

花から花へと飛び歩いて、蜜を吸うしぐさを繰り返していました。

翅の先端のこの千切れ方は、何かに噛みつかれたのを振り切って逃げた際のものでしょうか?

まあ、この程度の欠損であれば、飛行機でも飛行可能ですから、蝶のほうも計算済みなのかもしれません。

トカゲが尻尾の先を捕食者に差し出して逃げおおせる戦術を採用していることを連想させます。

写真1,2とも、蜜を吸われている(吸わせている)のは、ヒメオドリコソウ Lamium purpureum Linnaeus, 1753 であることが、図鑑やネット画像で確認できました。


モンシロチョウ

キタキチョウを撮り終えて道端の草地から少し奥の草むらに目を転ずると、モンシロチョウ Pieris rapae (Linnaeus, 1758)が飛び回っていました(写真3)。

モンシロチョウ 
写真3 モンシロチョウ Pieris rapae

草の葉にとまったところで、私がカメラのレンズを向けながら近づき1,2回シャッターを押すと、飛び立ってしまいました。


キタテハ

最後は、キタテハ Polygonia c-aureum (Linnaeus, 1758)です(写真4,5)。

キタテハ 
写真4 キタテハ Polygonia c-aureum

キタテハ 
写真5 キタテハ Polygonia c-aureum 同一個体

写真4のように翅を閉じてとまり、翅の裏だけ見えているとシータテハやエルタテハの名前が頭に浮かびます。

翅を開くと(写真5)、キタテハの特徴(後翅の表面の黒斑中に水色の小点がある、ほか)が確認できました。

この個体、吸蜜植物でもなく食草でもない落葉・枯草の上にとまって、何をしているのでしょう?

翅を閉じると枯葉とそっくりな色になりますので、身を隠しているつもりなのでしょうか?

それでも、翅を開くと目立ってしまいますね~。

ところが、この目立った色彩が捕食者に対して「捕まえられるなら捕まえてごらん!」と挑発し、相手に「此奴(こいつ)はそれほどすばしっこいんだ」と思わせて深追いを断念させる効果を持っているのかもしれません。

この日に撮ることができた蝶はこれだけです。

次回記事では、この日に見た同じ訪花昆虫であっても、蝶とはちがって、「一刺し」のあるセイヨウミツバチを取り上げます。


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| 昆虫:生態と行動 | COM(0) | | TB(-) |
2019-04-19 (Fri)
ソメイヨシノが葉桜となり、春の進行が感じられる中、虫たちの姿を求めてさいたま市内の園地を訪れて見ました(4月16日午前10~11時;気温17から18℃)。

というのも、昨年4月上旬にその園地の池でアジアイトトンボを確認できたことがあり(こちらの過去記事参照)、今回もうまくいけば見られるかもと淡い期待が膨らんだからです。


ガガンボの1種がお出迎え

残念ながら、その池(真夏にはガマ属の植物が生い茂る浅い池)にトンボの姿はなく、代わりに私の眼を惹いたのはガガンボの1種でした(写真1)。

クロキリウジガガンボ 
写真1 キリウジガガンボ Tipula aino (写真はクリックで拡大します)

ガガンボとまでは分かるのですが、その先(種名)がまるっきりわかりません。

例によってガガンボあるいはガガンボ属の学名Tipulaを検索語にネット検索してみましたが、よく似た種の画像はなかなか見つかりません。

そこで、昆虫写真愛好家のフェイスブック・グループに、写真1、2を含む3点の昆虫写真を投稿して、コメントを待ちました。

その結果、ガガンボの撮影経験をお持ちのYさんから、写真1の個体はキリウジガガンボではないか、類似種にマドガガンボ、近縁種にクロキリウジガガンボもあるが、とのコメントを頂くことができました。

これを受け、ネットでその3種の画像を検索して確認することを試みましたが、ヒットした画像が必ずしも正しく同定されているとは限りませんので、確信が持てません。

そこで、『原色昆虫大図鑑III』が本棚にあったことを思い出し、ひもといてみると、上記3種を含む80種のガガンボ類が横向き標本写真と形態上の特徴についてそれぞれ数行の記述によって解説されていました。

80種の中では、確かにキリウジガガンボの形態的特徴(翅の前縁が褐色、触角の基部3節が黄褐色でそれより先は暗色、など)が、写真1と近いことが分かりました

ここまで自分で調べたところで、専門家(箕面公園昆虫館の中峰 空 館長)からの「触角の基部3節が黄褐色で第4節以降が暗色なのはキリウジガガンボの特徴」および「中胸背面の黒褐色の縦条なども考慮するとキリウジガガンボでいい」との判定結果が、Yさんから私にメッセージで転送されてきました。

こうして、キリウジガガンボ Tipula aino Alexander, 1914 であると確信するに至りました。

種名判定にご協力くださった中峰さんとYさんに心より感謝いたします。


ガガンボのボディーウォッチング

さて、このキリウジガガンボ体形が醸し出す存在感も、なかなかのものです。

胸部が球体状、腹部は先太りの棍棒状、頭部はトンボを見慣れた眼にはこじんまりとしたサイズ。
思わず見とれてしまいます。

球体の胸部のほぼ真横から左右にオールのように突き出した2枚の翅。

その翅の基部には縦脈が束のようにしっかり集まって強度を確かなものにし、前後上下左右へと自由に体を移動させる羽ばたき動作を支えています。

そして、なんといっても、トンボと比べるべくもない異様な長さの脚。

この脚の長さは何に対する適応なのでしょうか?

今考え付くのは、広い葉の裏にぶら下がってとまるのに適しているだろうということ、そして、真っ暗で視覚が効かないときにとまり場所を探索する際の接触感覚をもたらすだろうということくらいです。

ガガンボの暮らしぶりに密着して観察を続ければ、本当の答が見つかるものと思います。

私は今後もトンボを追い続けることにしていますが、機会があったらガガンボの生きざまを横目でチラリチラリと覗き見ることになるでしょう。

この後、蝶3種とミツバチを観察・撮影しましたが、それらについては次回記事で取り上げることにし、この日最後に見たもう1種のハエ目昆虫を紹介します。


アシブトハナアブ

別の池の岸の上の枯れた細枝にハナアブらしき昆虫がとまっていました(写真2)(10時55分)。

アシブトハナアブ 
写真2 アシブトハナアブ Helophilus virgatus

この昆虫は胸部背面が黒く、縦に2本の黄条があること、腹部背面に特徴的な黒色と淡褐色の2色の図形パターンが見られることから、ネット検索により、比較的容易にアシブトハナアブ Helophilus virgatus Coquillett,1898 と同定できました(手持ちの『原色昆虫大図鑑III』の記述とも一致)。

ハナアブ類が主に腹部の斑紋や外形をハチ類(捕食者である鳥獣類に対して攻撃性を示す)に酷似させること(擬態)で、捕食を免れていることはよく知られている事実です。

写真2のような腹部斑紋パターンのハチは果たしているでしょうか?

『原色昆虫大図鑑III』をパラパラとめくったところ、掲載されたハチ類の中では、カバオビドロバチ Euodynerus dantici (Rossi, 1790) に一番似ているようです。

「ヒゲおやじ」さんのブログ「ヒゲおやじの蜂類生態図鑑」中の、カバオビドロバチの記事(外部リンク)に生態写真が掲載されていますので比べてみてください。

実際にカバオビドロバチをモデルにアシブトハナアブの色彩パターンが進化したかといえば、それは多分違うだろうとは思いますが、「もしかして」という気分に一瞬浸らせてくれる存在ではあります。


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引用文献:
安松京三, 朝比奈正二郎, 石原保 監修(1965)『原色昆虫大図鑑第3巻』北隆館。

ハッシュタグ:
#ハエ目 #ガガンボ科 #ハナアブ科 #昆虫写真 #春の昆虫

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2019-04-06 (Sat)
関東地方南部では、満開のソメイヨシノが本格的な春の到来を告げています。

花の便りのラッシュと合わせるように、オツネントンボを始めとした虫達は越冬を終え、第二の人生(というより虫生)をリスタートしていることでしょう。

そんな中、いささか出遅れ気味ですが、「ブログに山のことばかり書いていてはいかん」と、一昨日(4月4日)、快晴のもと埼玉県西部の低山地に虫探しに出かけ、テングチョウ Libythea celtis (Laicharting, 1782)写真1)、ビロードツリアブ Bombylius major Linnaeus, 1858 ほかの虫達を観察することができました。

テングチョウ 
写真1 テングチョウ Libythea celtis ♂ (写真はクリックで拡大します)

オツネントンボとの対面を期待していた最初の訪問地(溜池A;過去に観察例あり)には午前9時過ぎに到着しましたが、ハエ目やチョウ目の虫達が活発に飛び回っていたにもかかわらず、1頭のトンボの姿もありません。

というわけで、次の目的地(山地渓流C)に向かいました。

写真2は、ヒノキが植林された山地渓流Cの景観です。

関東山地の渓流(背景はヒノキ林) 
写真2 関東山地の渓流(背景はヒノキ林)

この渓流に下りる前の草むら(写真2の右)に、活発に飛んだり、とまったりしている中型の蝶がいました(午前11時)。

それが写真1テングチョウ♂です。

テングチョウ 
写真1(再掲) テングチョウ Libythea celtis 

チョウも写真から性別を判定しやすい仲間です。「yoda-1」 さん(2012)の記事を参考にし、以下の点で写真1の蝶がであると判定できました。

(1)前翅端および(3)後翅肛角の角度が鈍角よりも直角であること、(2)後翅外縁の直線部のが長いこと、(4)前翅表の第三翅脈上の橙色斑紋が小さく、外縁までの距離が斑紋サイズ比で大きいこと。

テングチョウという和名は、顔の前方に突き出した長い鼻のような突起(下唇髭:パルピ)に由来しています。

その鼻を出し抜くようにスーッと前方に真っ直ぐ伸びた触角も印象的です。

写真1を撮る数秒前に、この個体は写真3a,bのような面白い仕草を見せました。

テングチョウ触角清掃(多分) 
写真3a(左),写真3b(右) テングチョウ Libythea celtis の体清掃

このとき、直前まで真っ直ぐ前に伸ばしていた触角(写真4a)が、写真3aでは少し開き気味に下方に倒れていて、頭部はお辞儀をするように下方に曲げられているだけでなく、頭部の右が下で左が上になるように少し首を捻っています。

写真3aでは、左右の下唇髭の隙間が少し拡がり、その隙間に割り込むように左右の触角と頭部の右半分が下方に倒れ込んでいます。

写真3bは、(ほんの1秒程度で)上記の動作が終り、元の真っ直ぐの姿勢に戻る途中です。

写真3bで、左右の触角はもう少しで真っ直ぐ前方というところまで戻りかけていますが、左右の下唇髭の開きはまだほぼそのままです。

つまり、少し遅れて戻す(左右の隙間を狭くする)ことがわかります。

そして右前脚と思われる付属肢が右斜め前方に持ち上げられていますが、これはもっと高く持ち上げられていた脚が下方に戻る途中と考えられます。

写真3aでは、この脚の跗節が右下唇髭の陰(向こう側)で頭部(右複眼)の側面・背面をこすって、そこに付着した微小なゴミを払っている(つまり体清掃をしている)ものと想像されます。

写真4a、bは、図3a,bの直前と直後におけるこの個体の頭部付近の拡大です。

テングチョウ触角清掃(多分)の前後 
写真4a(左)テングチョウ Libythea celtis ♂の体清掃の直前;写真4b(右)その直後

写真3bから1秒も経過していない写真4bでは、頭部の下方への傾きや捻りはほとんどなくなっています。
触角は更に前方真っ直ぐに近づき、もう少しで元にもどります。
また、下唇髭の開きの角度もより小さくなっています。

写真3aより2秒前(体清掃動作開始直前)の写真4aでは、頭部は真っ直ぐ前を剥き、触角ほぼピッタリと閉じて、これも真っ直ぐ前方に向いています。
だだし、下唇髭の左右の隙間は拡がり始めています。

写真3a、bで頭部が下方に少し傾いていますが、下唇髭はそれほど下がっていません。
これは、とりわけ下唇髭を基部のジョイント部で強く折り曲げて、右に強く開きながら、上方に精一杯振り上げていると考えられます。

それにしても、さすが天狗さん、烏帽子(頭頂部)を手(前脚)でこするのに鼻(下唇髭)が邪魔になるので、鼻を真っ二つに左右に割って烏帽子を下に垂らすとは!

トンボも、よく前脚で大きな複眼や触角のブラッシングをしますが、テングチョウの場合はブラッシングの様子が分かりにくすぎます(笑)。


ビロードツリアブ

この渓流の畔の湿った土や落葉枝の1~3cm上空をせわしなく小刻みに移動しながら、ホバリングを繰り返しているツリアブの仲間がいました(写真5、6)。

帰宅後、画像検索等により、ビロードツリアブであることがわかりました。

ビロードツリアブ 
写真5 ビロードツリアブ Bombylius major の飛ぶ流畔

ビロードツリアブ 
写真6 ビロードツリアブ Bombylius major ♀(トリミング)

左右の複眼がくっついているのが♂、離れているのが♀なのだそうです(参考:生き物たちの物語、2019 アクセス)。

非常に♂♀の区別がしやすいグループです。

トンボ(不均翅亜目)では左右の複眼がくっつくか、そうでないかは科(つまり、より上位分類群)の区別点の一つなのでちょっとした驚きです。

ビロードツリアブの幼虫は、ヒメハナバチ科 Andrenidae の昆虫の巣に寄生して、このハチの幼虫捕食することが知られています。

以下、藤井さん(広島市森林公園こんちゅう館)(2018)の記事から抜粋・引用します。

「<前略>ヒメハナバチたちが子育てのため土を掘って作った縦穴の中に、ビロウドツリアブのメスはホバリングしながら爆撃機のように卵を産み落とします。」

「うまく穴の中に入った卵からふ化した幼虫は、ヒメハナバチが用意した安全な地下トンネルの中で、彼らの幼虫を食べて育つのです。」

「彼らの卵の爆撃はあまり命中率が高くないので、子孫を残すために何度も何度も爆撃をくり返さなくてはいけません。<後略>」

写真5でわかるように渓流の水辺なので、土は水びたしであることから、ヒメハナバチの巣を見つけてホバリングしているのではなく、この時は、小さな水たまりに口吻をつけて水分補給をしようとしていたのかもしれません。

ヒメハナバチは、私の大学院時代の恩師である坂上昭一先生(故人)の研究対象の一群ですので、先生あるいは共同研究者の論文を読めば、この、にっくきビロードツリアブによるハチ家族の被害の様子や、その被害を最小限にするためのハチの適応行動のことが書かれているかもしれません。機会があったら読んでみたいと思います。


引用文献:

藤井(広島市森林公園こんちゅう館)(2018)昆虫の話:ふわふわ飛行体。緑化だより、No. 137:3.
https://ryokka-c.jp/info3/wp-content/uploads/2018/11/137H30.4.pdf

生き物たちの物語 ほくせつのいきもの(2019 アクセス)ビロードツリアブ
(ビロウドツリアブ).

http://www.hokusetsu-ikimono.com/iki-h/biroudoturiabu/index.htm
yoda-1(2012):蝶鳥ウォッチング:テングチョウ 雌雄比較図 Ver.1.1  https://yoda1.exblog.jp/14932522/


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2019-03-30 (Sat)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を紹介しています。

14回目の今回記事では、関東山地のうち南部フォッサマグナ地域に属する個々の山々の第一弾として大室山写真1)を、望遠クローズアップ写真に地質データや人間社会との関わりに関するトリビアを添えて、紹介します。

大室山、さいたま市運動公園より 
写真1 大室山(さいたま市荒川畔の運動公園から;2019年3月18日;コントラスト調整済)(写真はクリックで拡大します)

目 次
◆南部フォッサマグナ:おさらい
◆大室山
◆大室山(大群山)の山名の由来
 1)丸(マル)は山の意
 2)古代朝鮮語のモリがモロ、マル、ムレへと転訛?
 3)大ムレ権現から山名再考
◆大室山は富士山をどう隠す?
 1)『甲斐国志』から
 2)大室山に隠れた富士山:外部リンク写真の紹介
◆大室山とその一帯は横浜市民の命の水を涵養する
◆河川上流の森林保全・水資源利用を巡る情勢
◆次回予告
◆引用・参考文献
◆山座同定のテクニック
◆ハッシュタグ


南部フォッサマグナ:おさらい

南部フォッサマグナに属する山々を総覧したパノラマ写真が、こちらの過去記事に写真1~3として掲げてあります。

南部フォッサマグナの位置地形については前々回の記事を、地史(成因)については前回記事を、それぞれご覧ください。


大室山

さいたま市から見える南部フォッサマグナに所属する山のトップバッターは、大室山(おおむろやま・おおむろざん;1587m)です(写真1~3)。

大室山(富士隠し)と富士山 
写真2 大室山(富士隠し)と富士山(さいたま市運動公園から望む)

大室山 
写真3 大室山(さいたま市境、羽根倉橋から望む)

写真2で右隣に聳える富士山も南部フォッサマグナに属しますが、超大物ですので、丹沢山地の各山の紹介が終ってから、最後に登場してもらうことにしました。

写真3では、手前の鉄(街路灯)が邪魔ですが、シリーズタイトルに忠実に羽根倉橋の上から撮影した写真として掲げています。

大室山は、山梨県と神奈川県の境にあり、かつては「大群山(おおむれやま)」とも呼ばれていたそうです(Wikipedia)。

大室山の地質は、新第三紀の前期~中期中新世の付加体で海洋性の玄武岩です(地質図Navi)。


大室山(大群山)の山名の由来

大室山、そしてその別名である大群山の山名にはどのような由来があるのでしょうか?

このあたりについての考察が、木暮理太郎(1941)の『山の憶い出 下』(龍星閣)所収の「マル及ムレ」(青空文庫公開)の中に見られますので、以下に紹介します。

なお、引用文中の、<>で括った文言は引用者(生方)による注釈です。

1)丸(マル)は山の意

木暮(1941)は、まずマルに着目しています。

「都留郡及び其四近には、丸と名の付く山が相当にある。試に之を列挙すると都留郡に<中略>本社ヶ丸<中略>鎮西ヶ丸<中略>大倉高丸<中略>赤谷ノ丸、鳥屋ノ丸<中略>などがあり、相模国に<中略>畦ヶ丸<中略>檜洞丸*<中略>茅丸などがある。」

(*注:この檜洞丸は、本シリーズの次回記事で取り上げます。)

「<中略>此等の地方が百済人や高麗人に依りて早く開拓されていたことに注意するならば、<中略>其等の人々が将来<引き連れてくること>した言葉ではないか<中略>。事実マルを意味する韓語に外ならないのである。」

2)古代朝鮮語のモリがモロ、マル、ムレへと転訛?

木暮(1941)は、続けて述べます。

「現在朝鮮では山をモイ*というている。しかし古くはモリ<原注>であった<中略>。このモリがモロとなった例はあるが、モがマに転じた例はまだ思い当らない。金沢博士に拠れば済州島では今も平地に孤立した山をマルと称しているそうである<中略>。」

<原注:「甲斐にもモリと名の付くは可なりある、『甲斐国志』を一瞥した丈だけでも山梨郡に石森、<中略>中津森、水ヶ森があり、巨摩郡に美森、<中略>、離レ森、<中略>鈴ヶ森、鷹森がある<中略>。是等は主に小山であってアイヌ語のモリと能よく一致している、<中略>今も甲州の老猟師が往々口にする所で、<中略>笊<ざる>ヶ岳を笊ヶ森と呼んでいるのである。」>

「<中略>ムレは、モロがムロとなりムレとなったのかも知れぬ、山をムレ**と読ませる例は『書紀』や『続日本紀』に多く載せてある。辟支山ヘキノムレ、古沙山コサノムレ、谷那鉄山コクナテツノムレ<中略>怒受利之山ヌスリノムレ<中略>」

(*注:Wiktionaryの英語版によれば、現代の韓国語で山を意味するものとして산〔山:san〕<サン>、뫼 〔墓・山:moe〕<モエ>、메 〔山・丘:me〕<メ>の語が用いられる。)

(**注:精選版 日本国語大辞典には、「むれ【牟礼・山】:[1] 〘名〙 (古代朝鮮語から) のこと。日本では、「牟礼」などと表記して地名になったものも多い。」とあります。;同様に、Wiktionaryの英語版によれば、「山」を古代日本語で「むれ」と読み、この発音は古代朝鮮語で「山」を意味する「牟禮 」(morye)<モリ>から借用していて、「牟礼」の字も充てられる 〔参考:古代朝鮮語ではmoroという発音も。また、中世朝鮮語ではmwoy〕とのこと。)

注記で明らかなように、ムレマルモリとともに、古い日本語でを意味していた言葉であることは確かです。

木暮(1941)は、続けて述べます。

都留郡にはマルの付く山は多いが、ムレは甚だ少なく僅に四座あるのみである。道志村<の>大群山大室山><と>殿群山、西原村<の>大群山権現山*)、棡原村<の>小勢籠山<中略>」

(*注:本シリーズ記事のこちらの過去記事で取り上げた権現山 (ごんげんやま;1312m) (=大勢龍山;おおむれさん)です。)

3)大ムレ権現から山名再考

木暮(1941)は、続けて述べます。

「<ムレのつく>山は少ないが其代りとして、大ムレ権現を祀った社は頗る多い、それがほぼ道志山塊を境として南北の二群に分れ、に在る者は富士隠し*の異名ある大群山を中心とし、に在る者は権現山を通称とする大群山を中心としている。」

「即ち<中略>大室権現<中略>『大室山ノ名ニテ本村(道志村)ノ東南ニアリ、高山ニシテ富士ノ東面ヲ蔽ヘリ、故ニ武蔵ニテ之ヲ富士隠*ト云。此山上ニ神祠アリ大室権現ト号ス。』(以上『甲斐国志』)<中略>大室社<中略>。これはの一群でムレにの字が充ててある、ムロと読むのであろう。」

つまり、の一群とかかわりを持つ方の大室山は「大きい山」のことであるオオムレが元の名で、その後オオムロに転訛し、大室の漢字が充てられたと考えられます。

大群山の漢字名の起こりは、このオオムレに「大群」の漢字が充てられた後、意味を確かなものとするために「」が添えられたものと思われます。

(*注:富士隠しについて、大室山富士山をどのように隠しているのかを、今回記事でこの後取り扱います。)

木暮(1941)は、続けて述べます。

「之に反しての一群<下記>はムレに多く勢籠の二字を用いているが、其理由は判断しかねる。大勢籠れば即ち大群であるという洒落でもあろうか。」

大室社<中略>大牟礼社<中略>王勢籠(於々勢以呂宇)権現社<中略>大室権現<中略>大勢籠オホムレ権現(西原、浅川、野田尻ノ堺大勢滝山ノ峰ニアリ。)社人和見村ノ名主、<中略>此神犬ヲ使フコト七拾五匹、此犬ヲ頼ム時ハ能ク盗賊火難ヲ防ギ守ルトテ、近郷ノ農人名主カ家ニ犬借リニ来リ、札ヲ請テ帰レバ犬必ズ来テ家内田畠ヲ守ルト云、但其形人ノ目ニ見ユルコトナシ<中略>。(以上『甲斐国志』)」

権現山*にまつわるの一群の社の名称には大室のほか、大牟礼があることから、こちらの山も元々は「大きい山」のことであるオオムレであったと考えれらます。

(*注:前述のように、権現山については、本シリーズ記事のこちらの過去記事で、すでに取り上げています。)

ところが大勢籠はオオセロウとは読めてもオオムレとは読めません。

引用文中の大勢籠にも万葉仮名の「於々勢以呂宇」<オオセイロウ>が添えられていることから、どうやら、オオムレに大勢籠の漢字を充てたのではなく、山の名とは独立に「大勢が籠る*(社)」という意味からこの山を信仰・修行の場とした社に付けられた名称であると思われます。

セイとムの音の根本的な違いに目をつむれば、オオセイロウとオオムロウには音韻の類似性があることから、山の名、つまりオオムレ/オオムロを大勢籠の読み方として借用したということも考えられます。

(*注:学研全訳古語辞典(2019アクセス)では、「籠る」(こもる )の意味の4番目に、「④寺社に泊りこむ。参籠(さんろう)する。」とあります。

大室山、大群山の山名の由来についての考察(大部分は、木暮〔1941〕からの紹介ですが)はこのくらいにしておきます。


大室山は富士山をどう隠す?

上に引用した木暮(1941)の文章にもあるように、大室山富士隠しの異名を持ちます。

今回記事の写真2では、大室山は左脇に侍り、富士山に対して頭を垂れているかのような佇まいなのですが、どんなふうに隠しているのでしょうか?

1)『甲斐国志』から

その前に、このことが古文書にどのように書かれているかについて、もう少し見てみましょう。

以下、「とよだ 時」さんのブログ記事「丹沢・富士山隠しの大室山」(2019アクセス)からの間接引用です。

「江戸時代1814(文化11年)、松平定能(まさ)という人が編集した地誌『甲斐国志』の(巻之三十七・都留郡郡内領)に『大群山高山ナリ麓ヨリ登ルコト五十余町頂ニ大群権現ノ社アリ此ノ峯富士ノ東面ヲササ(遮蔽)フ故ニ武蔵ニテ富士隠ト云フ西ハ諸窪澤ニ續キ戌ノ方ニ椿澤北ニ大ザスアリ峰ヨリ北ヘ分カルゝヲネハ其末道志川ノ間ニ出ツ』とあり、『富士隠し』の名はかなり古くから呼ばれていたようです。」

この記述からは、江戸時代の文化年間にはすでに「富士隠し」の別名が存在していたことがわかります。

2)大室山に隠れた富士山:外部リンク写真の紹介

では、実際、大室山はどのあたりで富士山を隠しているのでしょうか?

そこで、例によって、Googleマップの3D航空写真で、富士山が大室山の背後に隠れて見える地図上の地点を探ってみました。

その結果、八王子市片倉町にある東京工科大学八王子キャンパス内に聳える片柳研究所のビルからなら、この二つの山の方向がピッタリ一致するだろうという見当がつきました(こちらの画像;Googleマップ;外部リンク)。

そしてこの「片柳研究所」と「富士山」を検索語に画像をGoogle検索したところ、同大学の上野研究室(2014)の記事中の写真(こちら;外部リンク)がヒットしました。

その写真では、予想通り富士山と大室山の方向が完全に一致し、富士山は大部分隠されていますが、大室山の頭越しにお盆のような山頂部を覗かせ、左右に優美な両の撫で肩を見せています。

この方角から更に大室山に近づくと、富士山は大室山に完全に隠されるようになるはずです。

実際、八王子から圏央道、津久井湖を越えて、相模原市緑区牧野の伏馬田から菅井に向かう途中の道路(道志川第二発電所〔Googleマップの3D航空写真はこちら;大室山とその背後の富士山も上空から見えている;外部リンク〕の左岸の少し下流の斜面上)まで接近すると、この画像(GoogleマップのStreetView;外部リンク)中央のように、富士山を背後に完全隠している大室山を見ることができます。 


大室山とその一帯は横浜市民の命の水を涵養する

横浜市のホームページ(2019アクセス)によれば、大室山北斜面を含む道志村の山林の大部分(2873ha)は、横浜市が所有する水源林となっています。
これは道志村の総面積の約36%に相当するそうです。

この森林に涵養された道志川のは「赤道を越えても腐らない」と賞賛される(横浜市、前出)良質の水を横浜市民に供給しています。

ヒノキを中心とした人工林が762ha、ブナなどの広葉樹やモミ・ツガなどの針葉樹の天然林が1799haあるといい(横浜市、前出)、この水源林は生物多様性の保全にとっても重要な役割を果たしています。

横浜市がこの森林を買収するに至った経緯は、山岳伝承「ひとり画がたり」さんのブログ記事(2019アクセス)に、簡潔に紹介されています。


河川上流の森林保全・水資源利用を巡る情勢

上に見たように、また、東京都の水源林になっている多摩川上流部(こちらの過去記事参照)もそうであるように、天然林に近い森林が保存された河川上流部は、良質かつ安定した水資源の供給にとっても、治水、野生生物保護にとっても、大変重要な意味を持ちます。

そんな中、ここ数年に全国各地の山間部・河川上流域の広大な土地が外国の投資家によって買収されているという現状が明らかになっています(例:農林水産省 2016、日刊SPA! 2019)。

それに加えて、水道事業を「民営化」しやすくする改正水道法が国会で成立しました(朝日新聞デジタル 2018)。これについては、水道料金の値上げや水質の低下などが懸念されていましたが(例:長嶺超輝 2017)、払拭されてはいません。

これからの日本の先行きで、安全・安心な水の安定した供給と森林生態系の保全が脅かされないよう、注視し、行動していくことが求められます。


次回予告

次回記事では、南部フォッサマグナ地域に属する山々の2回目として、檜洞丸ほかの山を、望遠クローズアップ写真に地質データや人間社会とのかかわりを添えて紹介する予定です。


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引用・参考文献

朝日新聞デジタル(2018)水道民営化の導入促す改正法が成立 野党「審議不十分」
https://www.asahi.com/articles/ASLD63392LD6ULBJ002.html

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#9,35.512,139.485

学研全訳古語辞典(2019 アクセス)Weblio 辞書:籠る
https://kobun.weblio.jp/content/籠る

木暮理太郎(1941)「マル及ムレ」『山の憶い出 下』(龍星閣)所収、龍星閣/青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/001373/files/56557_56999.html

長嶺超輝(2017)「水道民営化」法で、日本の水が危ない!?
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-7936.php

日刊SPA!(2019) 外国人による日本の土地買収が激化 北海道や長崎、沖縄も.
https://nikkan-spa.jp/1538120

農林水産省(2016) 外国資本による森林買収に関する調査の結果について.
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/keikaku/160427.html

山岳伝承「ひとり画がたり」(2019 アクセス)山の伝承「丹沢・富士山隠しの大室山」
https://blogs.yahoo.co.jp/toki3son/42713682.html

精選版 日本国語大辞典(2019 アクセス)コトバンク:牟礼・山。
https://kotobank.jp/word/牟礼・山-2086830

とよだ 時(2019 アクセス)「丹沢・富士山隠しの大室山」http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi05.html

上野研究室/東京工科大学工学部応用化学科有機合成化学研究室(2014)「2014/12/3 八王子キャンパスからの富士山」
https://sites.google.com/a/edu.teu.ac.jp/ueno/diary/2014123bawangzikyanpasukaranofushishan

ウィキペディア(2019 アクセス)(個々の山についての一般的な知識について参照した).
https://ja.wikipedia.org

wiktionaryの英語版(2019アクセス)
https://en.wiktionary.org/wiki/山https://en.wiktionary.org/wiki/산https://en.wiktionary.org/wiki/뫼
https://en.wiktionary.org/wiki/메 


山座同定のテクニック:
このシリーズ記事で採用している山座同定のテクニックについては、シリーズ初回記事に詳しく紹介してありますのでご参照ください。


ハッシュタグ:
#羽根倉橋から見える山 #さいたま市から見える山 #荒川から見える山 #埼玉県から見える山 #関東の山々 #関東の山並 #神奈川県の山 #山梨県の山 #丹沢山地の地形 #南部フォッサマグナ #水源林 

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2019-03-22 (Fri)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を地質や成因のデータも添えて紹介しています。

13回目の今回記事では、関東山地(広義;丹沢山地を含む)を構成する4つの地質帯のうち、一番南のゾーンを占める、南部フォッサマグナ成因について紹介します。

写真1丹沢山地南部フォッサマグナを構成する主要山塊の一つです。

丹沢山地、さいたま市運動公園から 
写真1 丹沢山地主要部の遠望(さいたま市荒川畔の運動公園から;2019年3月18日;コントラスト調整済)(写真はクリックで拡大します)

写真2は、同じ方面を羽倉橋から撮影したものですが、丹沢山地の主要部に加えて、大室山(丹沢山地に属す)と富士山(いずれも南部フォッサマグナに所属)が写っています。

富士山~丹沢山~三ノ塔 
写真2 南西方向:富士山~丹沢山~三ノ塔 (過去記事から再掲)

この地域の個々の山の詳細については、次回以降の記事でご紹介することとします。

目 次:
◆課題設定:中央構造線の屈曲と南部フォッサマグナ
◆南部フォッサマグナの成因:高橋(2016)による概説
◆南部フォッサマグナの地質:天野ほか(2007)による概説
◆南部フォッサマグナの成立過程(天野による多重衝突説)
◆なぜ潜り込まないで衝突する?
◆南部フォッサマグナの境界を探る:糸魚川 – 静岡構造線の南端部は未決着?
◆次回予告
◆山座同定のテクニック
◆引用・参考文献
◆ハッシュタグ


課題設定:中央構造線の屈曲と南部フォッサマグナ

今回のシリーズ記事作成に際して関東山地(広義)を地質帯や地質構造線に焦点を当てながら山々を見つめ直した中で、中央構造線が諏訪湖のあたりで強く折り曲げられるように北側に大きく凹んでいること(図1)に、筆者はあらためて注目し、その原因を少し詳しく知りたくなり、文献検索を試みました。

関東地方の地質区分と構造線(高橋、2016を模写) 
図1 関東地方南西部の地質区分と構造線高橋(2016a)の図3を模写)(過去記事から再掲) (図はクリックすると拡大します)

日本列島の地図上に中央構造線を描いた図(たとえば、こちらの文献の図2;斎藤・宮崎 2016;外部リンク)を見ればわかるように、中央構造線はそれに寄り添う三波川帯、秩父帯、四万十帯とともに、四国愛媛県北岸から紀伊半島をへて愛知県新城市の東端までは、西南西から東北東に向かってほぼ直線的に走っていますが、天竜川を越えるころから北北東に大きく反り曲がり、諏訪湖付近からは突然東方向に折れ、埼玉県に入ってからは南東に向かっています 。

そして、これら三つの地質帯が一様に凹まされた部分を埋めるように、陸地をなしている部分(丹沢山地富士山およびその周辺の山塊、そして伊豆半島)が、南部フォッサマグナと呼ばれている地域です(図1)。

ナウマンが命名して以来、最近まで専門家は本州中部を横断する糸魚川―静岡構造線東側の大地溝帯を一繋がりの地質地域としてフォッサマグナと呼称して来ましたが、現在では、それぞれ成因が異なる北部フォッサマグナ南部フォッサマグナという別の地質地域に分割して扱うようになっています*(高橋 〔2016〕を参照)。

さて、いかにしてここに南部フォッサマグナという地域が出来上がったのでしょうか?

これが今回記事のテーマです。

(*注:コトバンクで調べたところ、世界大百科事典第2版、大辞林、デジタル大辞泉ではフォッサマグナ一つながりのものとして取り扱っていて、日本大百科全書(ニッポニカ)だけが南北それぞれのフォッサマグナの地質帯としています;2019年3月20日)


南部フォッサマグナの成因:高橋(2016)による概説

テクトニクス(構造地質学)を専門とし、ブラタモリへの出演や出前授業などの知識啓発活動も展開している高橋雅紀博士は、南部フォッサマグナ成因に関して、以下のように概説しています(高橋 2016)(<>に挟まれた注記は引用者による)。

「赤石山地と関東山地<狭義>の地帯配列が漢字の “ 八の字 ” 状に湾曲しているのは,フィリピン海プレートの運動により伊豆 – 小笠原弧が北上して,1,500 万年前から現在に至るまで本州中央部に衝突し続けてきたからである(Matsuda,1978;Niitsuma and Matsuda,1985;Amano, 1991等).」

「赤石山地と関東山地<狭義>に挟まれた範囲には,衝突した伊豆 – 小笠原弧の火山岩類や深成岩類と,衝突された側である関東山地<狭義>から供給された大量の土砂が厚く堆積していて,南部フォッサマグナ(South Fossa Magna)と呼ばれている.」

「南部フォッサマグナでは,数百万年前には丹沢ブロックが関東山地<狭義>に衝突・付加し(Hyodo and Niitsuma,1986),現在は伊豆半島が丹沢山地に衝突し続けている(天野ほか,1986).南部フォッサマグナは,世界的にも稀な島弧と島弧の衝突帯である.」

このように、南部フォッサマグナはフィリピン海プレートの運動により陸塊や海底岩体が本州に衝突を繰り返して付加されることで出来上がったユニークな出自の土地であるとされています。

この繰り返しの衝突を重視した説を、最初の提唱者である天野一男博士らの論文(2007)からかいつまんで以下に紹介します。


南部フォッサマグナの地質:天野ほか(2007)による概説

下の図2は、「島弧-島弧多重衝突説」(天野, 1986;Amano, 1991)に基づいた南部フォッサマグナの地質の概略」を示す地図を、天野ほか(2007)の図1から模写したものです。

南部フォッサマグナの地質概略(天野ほか、2007) 
図2 南部フォッサマグナの地質概略(天野ほか 〔2007〕の図1から模写)。

天野ほか(2007)は、上の図2(引用元では図1)にもとづき、南部フォッサマグナの地質を以下のように区分しています。

「南部フォッサマグナに分布する地層は,富士山箱根火山等の第四紀火山の噴出物を除くと,主として2種類の地層群からなっている.」

「一つが伊豆地塊<中略>,丹沢地塊<中略>,櫛形山地塊<中略>,御坂地塊<中略>を主として構成している水中溶岩・水中火山砕屑岩類 <中略>」である。

「他の一つが足柄地域西桂地域<富士吉田市の北東に隣接>に分布する礫岩・砂岩を主体とした地層群である」

「<足柄地域の地層群は>かつて古伊豆-小笠原弧に所属していて,フィリピン海プレートの沈み込みに伴ってユーラシアプレートないしは北アメリカプレートに衝突付加した火山弧の断片であり,<西桂地域の地層群は>沈み込むプレートの前面に存在したトラフを充填した堆積物と考えられる. 」

引用文中にあるように、富士山箱根火山は上述の地塊の衝突が終った後の第四紀に形成された火山ということになります。


南部フォッサマグナの成立過程(天野による多重衝突説)

図3は、天野ほか(2007)の図3から模写した、天野(1986),Amano(1991)による南部フォッサマグナの成因の有力な説である多重衝突テクトニクスの模式図です。

天野(1 9 8 6),Amano(1 9 9 1)による南部フォッサマグナ 多重衝突テクトニクス 
図3 天野(1986),Amano(1991)による南部フォッサマグナ 多重衝突テクトニクス(天野ほか 2007)の図3から模写)。

以下、図3にかかわる内容を、天野ほか(2007)から抜粋して引用します。

「杉村(1972)はフィリピン海プレートの本州弧下への沈み込みに伴って伊豆-小笠原弧が本州弧に衝突したことを<初めて>指摘し<中略>た.」

「天野(1986)や Amano(1991)は,櫛形山地塊御坂地塊,丹沢地塊,伊豆地塊を全て衝突付加した地塊とする,島弧-島弧多重衝突説を提唱した.」

「 南部フォッサマ グナはフィリピン海プレートの沈み込みに伴って本州弧に 衝突・付加した古伊豆-小笠原弧に所属する海洋性島弧の 断片とトラフ充填堆積物からなる」

「<中略>丹沢山地は,3番目に衝突・付加した地塊であり,主と して水中溶岩・水中火山砕屑岩類よりなる.」

上記引用文だけでは少し分かりにくいので、図3の意味するところを私なりに読み取ってみます(下記)。

図3の上段1200万年前、ユーラシアプレートの南東縁のこの部分(関東山地〔狭義〕になるエリアの西端付近)に、フィリピン海プレートに乗って運ばれた櫛形山地塊御坂地塊がこれから順に衝突しようとしており、日本海拡大の勢いにも押されたユーラシアプレートの縁は既に押し上げられ初めています。そこから侵食されて流出した土砂がプレート境界のトラフの底部に堆積しています。

図3の中段500万年前、櫛形山地塊と御坂地塊はすでに衝突を終え、付加体としてユーラシアプレートの縁に楔のように刺さり込み、後方から丹沢地塊を載せたフィリピン海プレートに押し続けられています。その結果ユーラシアプレートの縁および先行の衝突地塊を一層押し上げています。トラフには陸側から供給された土砂(藤川層群となる)が堆積しています。

図3の下段100万年前、丹沢地塊はすでに衝突を終えて付加体となり、北アメリカプレート*と後続の伊豆半島を乗せたフィリピン海プレートの両側から押され続けたために高く押し上げられています(丹沢山地の成立)。プレート境界でもあるトラフの位置は、丹沢地塊の前方(北側)から後方(南側)にジャンプしており、そこには富士川層群になる土砂が堆積しています

(*注:島弧が衝突する相手が図3の上・中段ではユーラシアプレートとなっていて、下段で北アメリカプレートとなっている理由は、南部フォッサマグナ付近にユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界があり、この間に衝突の位置が東寄りに微妙にずれた結果、異なるプレートに衝突することになったということと考えられます)


なぜ潜り込まないで衝突する?

さて、なぜ上述の各地塊は、プレートとともに潜り込まないで、このように相手のプレートと衝突するのでしょうか?

その答えを、産業技術総合研究所(2018)による解説の中から紹介しておきます。

フィリピン海プレートの表層部は主に相対的に重たい海洋地殻からなるが、その東端部の伊豆・小笠原諸島は日本列島と同じく軽い島弧地殻であるため沈み込みにくい。」

「このため、日本列島に対して北北西方向へ凸状に押し込む強い変形を及ぼし、伊豆・小笠原諸島の火山岩と周辺の深海堆積物、その境界付近に発達する凹地(トラフ)に堆積した地層などを日本列島に押しつけながら沈み込む。」

南部フォッサマグナ地域では、それら付加された地層・岩体が、逆断層・褶曲によって変形し複雑に織り込まれている。」

というわけで、丹沢山地一帯は、地質学的に興味深い現象が現在進行形で多々起きている、「生きた地球観察の場」の一つであるといえるでしょう。

ところで、1923年の関東大震災(M7.9)も、この南部フォッサマグナを生み出したプレートの動き(陸側プレートの歪みが限界に達して一気にずれ動く)によって生起していますので(災害教訓の継承に関する専門調査会 2006)、こちらの面でも油断は怠らないようにしたいところです。


南部フォッサマグナの境界を探る:糸魚川 – 静岡構造線の南端部は未決着?

高橋(2016)は、南部フォッサマグナの境界に関して、以下のように述べています。

「<中略>南部フォッサマグナの東縁は<中略>関東山地<狭義>(四万十帯)と丹沢山地<中略>の境界である藤ノ木 – 愛川構造線<中略>から相模川付近を大磯丘陵の東まで南下したあと,<中略>江ノ島から三浦半島の葉山隆起帯,さらに,東方に房総半島の嶺岡構造帯へ続くと考えられる。」

「この境界は 1,500万年前に関東地方に沈み込みを開始したフィリピン海プレートと,上盤であるユーラシアプレートとの境界である。」

「もちろん現在では,プレート境界は丹沢ブロックの衝突に伴って,伊豆半島との境である神縄(かんなわ)断層および国府津–松田断層にシフトしている.」

「<中略>南部フォッサマグナの東縁は,太平洋プレートの沈み込みに伴う付加体(四万十帯)とフィリピン海プレートの沈み込みに起因する付加体との境界と定義されよう.」

「とすると,南部フォッサマグナの西縁は厳密には糸魚川 – 静岡構造線ではなく,その西側を併走する十枚山構造線が適切である(<高橋(2016)の>第 1 図). 」

当ブログの関連記事では、高橋(2016)の図3を模写したにもかかわらず、南部フォッサマグナの西縁が糸魚川 – 静岡構造線と一致しているかのような図(今回記事の図1)に仕上げて、それを元に書き綴ってきました。

今回、十枚山構造線のことを意識して高橋(2016)の図1と図3をよく見たところ、たしかに糸魚川 – 静岡構造線とは別に十枚山構造線が描かれていて、そこまでが南部フォッサマグナの範囲として色付けされていました。

日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンクから間接引用)によれば、構造線(tectonic line)は「断層のなかでとくに大規模なもの、すなわちその延長が100キロ~数千キロメートルに及ぶ大断層を構造線とよぶことがある。」とされています。

したがって、構造線はかならずしも地質境界と一致するわけではなく、南部フォッサマグナを地質によって定義した場合は、十枚山構造線(ニッポニカの定義を採用すれば十枚山「断層」)を西縁とするのが妥当となります。

このことを踏まえて今回記事の図2(天野ほか 2007の図1を模写)を見直してみると、十枚山構造線の方を糸魚川 – 静岡構造線が通っている扱いとなっています。

このように(天野ほか 〔2007〕に準じて)取り扱った場合は、南部フォッサマグナの西縁と糸魚川 – 静岡構造線は一致することになります。

このように、十枚山構造線を含む南北に並走する2,3の断層のうちのどれを糸魚川 – 静岡構造線とするかについては専門家の間で議論が分かれているようです。

したがって、ざっくりとした言い方としての「糸魚川 – 静岡構造線が南部フォッサマグナの西縁である」は必ずしも誤りではないように思われます。

もちろん、厳密さを求めるのであれば、「十枚山構造線が南部フォッサマグナの西縁である」とするのが現時点では妥当でしょう。


次回予告:
次回記事では、南部フォッサマグナに属する山々の各論の第一弾として、丹沢山地のいくつかの山(丹沢山、蛭ケ岳など)を、望遠クローズアップ写真に地質や人間社会との関わりについてのトリビアを添えてご紹介する予定です。

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引用・参考文献

天野一男(1986)多重衝突帯としての南部フォッサマグナ.月刊地球,8,5.(天野ほか〔2007〕から間接引用)

Amano, K.(1991) Multiple collision tectonics of the South Fossa Magna in central Japan. Modern Geol ., 15, 315–329.(天野ほか〔2007〕および高橋 〔2016〕から間接引用)

天野一男・松原典孝・田切美智雄(2007)富士山の基盤:丹沢山地の地質 -衝突付加した古海洋性島弧-.in:荒牧重雄・藤井敏嗣・中田節也・宮地直道 編(2007)富士火山.山梨県環境科学研究所、所収、p.59-68.
http://www.mfri.pref.yamanashi.jp/fujikazan/original/P59-68.pdf

天野一男・高橋浩之・立川孝志・横山健治・横田千秋・菊 池 純(1986)足柄層群の地質–伊豆微小大陸の衝 突テクトニクス–.北村 信教授記念地質学論文集,7–29,東光印刷,仙台.(高橋 〔2016〕から間接引用)

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#9,35.512,139.485

Hyodo, H. and Niitsuma, N.(1986) Tectonic rotation of the Kanto Mountains, related with the opening of the Japan Sea and collision of the Tanzawa Block since middle Miocene. Jour. Geomag. Geoelectr ., 38, 335– 348. (高橋 〔2016〕から間接引用)

国立研究開発法人産業技術総合研究所(2018)南部フォッサマグナ(伊豆衝突帯)の歴史を凝縮した身延地域の地質図を刊行。
https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2018/pr20181029/pr20181029.html

コトバンク(世界大百科事典第2版、大辞林、デジタル大辞泉、日本大百科全書〔ニッポニカ〕) https://kotobank.jp/

Matsuda, T.(1978)Collision of the Izu-Bonin arc with central Honshu: Cenozoic tectonics of the Fossa Magna, Japan. Jour. Phys. Earth , 26, Suppl., S 409-S 412. (高橋 〔2016〕から間接引用)

Niitsuma, N. and Mastuda, T.(1985) Collision in the South Fossa Magna area, central Japan. Recent Prog. Natural Sci. Japan , 10, 41–50. (高橋 〔2016〕から間接引用)

災害教訓の継承に関する専門調査会(2006)「1923 関東大震災報告書」第2章 地震の発生機構。
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai/pdf/1923--kantoDAISHINSAI-1_04_chap1.pdf

斎藤  眞・宮崎一博(2016)中央構造線に関する現在の知見−九州には中央構造線はない−.
https://www.gsj.jp/hazards/earthquake/kumamoto2016/kumamoto20160513-2.html

杉村 新(1972)日本付近におけるプレートの境界.科学, 42:192-202. (天野ほか〔2007〕から間接引用)

高橋雅紀(2016)東西日本の地質学的境界【第二話】 見えない不連続. GSJ 地質ニュース、 Vol. 5 No. 8:244-250.
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol5.no8_244-250.pdf

ウィキペディア:(地質についての一般的な知識について参照した).
https://ja.wikipedia.org


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