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2019-03-30 (Sat)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を紹介しています。

14回目の今回記事では、関東山地のうち南部フォッサマグナ地域に属する個々の山々の第一弾として大室山写真1)を、望遠クローズアップ写真に地質データや人間社会との関わりに関するトリビアを添えて、紹介します。

大室山、さいたま市運動公園より 
写真1 大室山(さいたま市荒川畔の運動公園から;2019年3月18日;コントラスト調整済)(写真はクリックで拡大します)

目 次
◆南部フォッサマグナ:おさらい
◆大室山
◆大室山(大群山)の山名の由来
 1)丸(マル)は山の意
 2)古代朝鮮語のモリがモロ、マル、ムレへと転訛?
 3)大ムレ権現から山名再考
◆大室山は富士山をどう隠す?
 1)『甲斐国志』から
 2)大室山に隠れた富士山:外部リンク写真の紹介
◆大室山とその一帯は横浜市民の命の水を涵養する
◆河川上流の森林保全・水資源利用を巡る情勢
◆次回予告
◆引用・参考文献
◆山座同定のテクニック
◆ハッシュタグ


南部フォッサマグナ:おさらい

南部フォッサマグナに属する山々を総覧したパノラマ写真が、こちらの過去記事に写真1~3として掲げてあります。

南部フォッサマグナの位置地形については前々回の記事を、地史(成因)については前回記事を、それぞれご覧ください。


大室山

さいたま市から見える南部フォッサマグナに所属する山のトップバッターは、大室山(おおむろやま・おおむろざん;1587m)です(写真1~3)。

大室山(富士隠し)と富士山 
写真2 大室山(富士隠し)と富士山(さいたま市運動公園から望む)

大室山 
写真3 大室山(さいたま市境、羽根倉橋から望む)

写真2で右隣に聳える富士山も南部フォッサマグナに属しますが、超大物ですので、丹沢山地の各山の紹介が終ってから、最後に登場してもらうことにしました。

写真3では、手前の鉄(街路灯)が邪魔ですが、シリーズタイトルに忠実に羽根倉橋の上から撮影した写真として掲げています。

大室山は、山梨県と神奈川県の境にあり、かつては「大群山(おおむれやま)」とも呼ばれていたそうです(Wikipedia)。

大室山の地質は、新第三紀の前期~中期中新世の付加体で海洋性の玄武岩です(地質図Navi)。


大室山(大群山)の山名の由来

大室山、そしてその別名である大群山の山名にはどのような由来があるのでしょうか?

このあたりについての考察が、木暮理太郎(1941)の『山の憶い出 下』(龍星閣)所収の「マル及ムレ」(青空文庫公開)の中に見られますので、以下に紹介します。

なお、引用文中の、<>で括った文言は引用者(生方)による注釈です。

1)丸(マル)は山の意

木暮(1941)は、まずマルに着目しています。

「都留郡及び其四近には、丸と名の付く山が相当にある。試に之を列挙すると都留郡に<中略>本社ヶ丸<中略>鎮西ヶ丸<中略>大倉高丸<中略>赤谷ノ丸、鳥屋ノ丸<中略>などがあり、相模国に<中略>畦ヶ丸<中略>檜洞丸*<中略>茅丸などがある。」

(*注:この檜洞丸は、本シリーズの次回記事で取り上げます。)

「<中略>此等の地方が百済人や高麗人に依りて早く開拓されていたことに注意するならば、<中略>其等の人々が将来<引き連れてくること>した言葉ではないか<中略>。事実マルを意味する韓語に外ならないのである。」

2)古代朝鮮語のモリがモロ、マル、ムレへと転訛?

木暮(1941)は、続けて述べます。

「現在朝鮮では山をモイ*というている。しかし古くはモリ<原注>であった<中略>。このモリがモロとなった例はあるが、モがマに転じた例はまだ思い当らない。金沢博士に拠れば済州島では今も平地に孤立した山をマルと称しているそうである<中略>。」

<原注:「甲斐にもモリと名の付くは可なりある、『甲斐国志』を一瞥した丈だけでも山梨郡に石森、<中略>中津森、水ヶ森があり、巨摩郡に美森、<中略>、離レ森、<中略>鈴ヶ森、鷹森がある<中略>。是等は主に小山であってアイヌ語のモリと能よく一致している、<中略>今も甲州の老猟師が往々口にする所で、<中略>笊<ざる>ヶ岳を笊ヶ森と呼んでいるのである。」>

「<中略>ムレは、モロがムロとなりムレとなったのかも知れぬ、山をムレ**と読ませる例は『書紀』や『続日本紀』に多く載せてある。辟支山ヘキノムレ、古沙山コサノムレ、谷那鉄山コクナテツノムレ<中略>怒受利之山ヌスリノムレ<中略>」

(*注:Wiktionaryの英語版によれば、現代の韓国語で山を意味するものとして산〔山:san〕<サン>、뫼 〔墓・山:moe〕<モエ>、메 〔山・丘:me〕<メ>の語が用いられる。)

(**注:精選版 日本国語大辞典には、「むれ【牟礼・山】:[1] 〘名〙 (古代朝鮮語から) のこと。日本では、「牟礼」などと表記して地名になったものも多い。」とあります。;同様に、Wiktionaryの英語版によれば、「山」を古代日本語で「むれ」と読み、この発音は古代朝鮮語で「山」を意味する「牟禮 」(morye)<モリ>から借用していて、「牟礼」の字も充てられる 〔参考:古代朝鮮語ではmoroという発音も。また、中世朝鮮語ではmwoy〕とのこと。)

注記で明らかなように、ムレマルモリとともに、古い日本語でを意味していた言葉であることは確かです。

木暮(1941)は、続けて述べます。

都留郡にはマルの付く山は多いが、ムレは甚だ少なく僅に四座あるのみである。道志村<の>大群山大室山><と>殿群山、西原村<の>大群山権現山*)、棡原村<の>小勢籠山<中略>」

(*注:本シリーズ記事のこちらの過去記事で取り上げた権現山 (ごんげんやま;1312m) (=大勢龍山;おおむれさん)です。)

3)大ムレ権現から山名再考

木暮(1941)は、続けて述べます。

「<ムレのつく>山は少ないが其代りとして、大ムレ権現を祀った社は頗る多い、それがほぼ道志山塊を境として南北の二群に分れ、に在る者は富士隠し*の異名ある大群山を中心とし、に在る者は権現山を通称とする大群山を中心としている。」

「即ち<中略>大室権現<中略>『大室山ノ名ニテ本村(道志村)ノ東南ニアリ、高山ニシテ富士ノ東面ヲ蔽ヘリ、故ニ武蔵ニテ之ヲ富士隠*ト云。此山上ニ神祠アリ大室権現ト号ス。』(以上『甲斐国志』)<中略>大室社<中略>。これはの一群でムレにの字が充ててある、ムロと読むのであろう。」

つまり、の一群とかかわりを持つ方の大室山は「大きい山」のことであるオオムレが元の名で、その後オオムロに転訛し、大室の漢字が充てられたと考えられます。

大群山の漢字名の起こりは、このオオムレに「大群」の漢字が充てられた後、意味を確かなものとするために「」が添えられたものと思われます。

(*注:富士隠しについて、大室山富士山をどのように隠しているのかを、今回記事でこの後取り扱います。)

木暮(1941)は、続けて述べます。

「之に反しての一群<下記>はムレに多く勢籠の二字を用いているが、其理由は判断しかねる。大勢籠れば即ち大群であるという洒落でもあろうか。」

大室社<中略>大牟礼社<中略>王勢籠(於々勢以呂宇)権現社<中略>大室権現<中略>大勢籠オホムレ権現(西原、浅川、野田尻ノ堺大勢滝山ノ峰ニアリ。)社人和見村ノ名主、<中略>此神犬ヲ使フコト七拾五匹、此犬ヲ頼ム時ハ能ク盗賊火難ヲ防ギ守ルトテ、近郷ノ農人名主カ家ニ犬借リニ来リ、札ヲ請テ帰レバ犬必ズ来テ家内田畠ヲ守ルト云、但其形人ノ目ニ見ユルコトナシ<中略>。(以上『甲斐国志』)」

権現山*にまつわるの一群の社の名称には大室のほか、大牟礼があることから、こちらの山も元々は「大きい山」のことであるオオムレであったと考えれらます。

(*注:前述のように、権現山については、本シリーズ記事のこちらの過去記事で、すでに取り上げています。)

ところが大勢籠はオオセロウとは読めてもオオムレとは読めません。

引用文中の大勢籠にも万葉仮名の「於々勢以呂宇」<オオセイロウ>が添えられていることから、どうやら、オオムレに大勢籠の漢字を充てたのではなく、山の名とは独立に「大勢が籠る*(社)」という意味からこの山を信仰・修行の場とした社に付けられた名称であると思われます。

セイとムの音の根本的な違いに目をつむれば、オオセイロウとオオムロウには音韻の類似性があることから、山の名、つまりオオムレ/オオムロを大勢籠の読み方として借用したということも考えられます。

(*注:学研全訳古語辞典(2019アクセス)では、「籠る」(こもる )の意味の4番目に、「④寺社に泊りこむ。参籠(さんろう)する。」とあります。

大室山、大群山の山名の由来についての考察(大部分は、木暮〔1941〕からの紹介ですが)はこのくらいにしておきます。


大室山は富士山をどう隠す?

上に引用した木暮(1941)の文章にもあるように、大室山富士隠しの異名を持ちます。

今回記事の写真2では、大室山は左脇に侍り、富士山に対して頭を垂れているかのような佇まいなのですが、どんなふうに隠しているのでしょうか?

1)『甲斐国志』から

その前に、このことが古文書にどのように書かれているかについて、もう少し見てみましょう。

以下、「とよだ 時」さんのブログ記事「丹沢・富士山隠しの大室山」(2019アクセス)からの間接引用です。

「江戸時代1814(文化11年)、松平定能(まさ)という人が編集した地誌『甲斐国志』の(巻之三十七・都留郡郡内領)に『大群山高山ナリ麓ヨリ登ルコト五十余町頂ニ大群権現ノ社アリ此ノ峯富士ノ東面ヲササ(遮蔽)フ故ニ武蔵ニテ富士隠ト云フ西ハ諸窪澤ニ續キ戌ノ方ニ椿澤北ニ大ザスアリ峰ヨリ北ヘ分カルゝヲネハ其末道志川ノ間ニ出ツ』とあり、『富士隠し』の名はかなり古くから呼ばれていたようです。」

この記述からは、江戸時代の文化年間にはすでに「富士隠し」の別名が存在していたことがわかります。

2)大室山に隠れた富士山:外部リンク写真の紹介

では、実際、大室山はどのあたりで富士山を隠しているのでしょうか?

そこで、例によって、Googleマップの3D航空写真で、富士山が大室山の背後に隠れて見える地図上の地点を探ってみました。

その結果、八王子市片倉町にある東京工科大学八王子キャンパス内に聳える片柳研究所のビルからなら、この二つの山の方向がピッタリ一致するだろうという見当がつきました(こちらの画像;Googleマップ;外部リンク)。

そしてこの「片柳研究所」と「富士山」を検索語に画像をGoogle検索したところ、同大学の上野研究室(2014)の記事中の写真(こちら;外部リンク)がヒットしました。

その写真では、予想通り富士山と大室山の方向が完全に一致し、富士山は大部分隠されていますが、大室山の頭越しにお盆のような山頂部を覗かせ、左右に優美な両の撫で肩を見せています。

この方角から更に大室山に近づくと、富士山は大室山に完全に隠されるようになるはずです。

実際、八王子から圏央道、津久井湖を越えて、相模原市緑区牧野の伏馬田から菅井に向かう途中の道路(道志川第二発電所〔Googleマップの3D航空写真はこちら;大室山とその背後の富士山も上空から見えている;外部リンク〕の左岸の少し下流の斜面上)まで接近すると、この画像(GoogleマップのStreetView;外部リンク)中央のように、富士山を背後に完全隠している大室山を見ることができます。 


大室山とその一帯は横浜市民の命の水を涵養する

横浜市のホームページ(2019アクセス)によれば、大室山北斜面を含む道志村の山林の大部分(2873ha)は、横浜市が所有する水源林となっています。
これは道志村の総面積の約36%に相当するそうです。

この森林に涵養された道志川のは「赤道を越えても腐らない」と賞賛される(横浜市、前出)良質の水を横浜市民に供給しています。

ヒノキを中心とした人工林が762ha、ブナなどの広葉樹やモミ・ツガなどの針葉樹の天然林が1799haあるといい(横浜市、前出)、この水源林は生物多様性の保全にとっても重要な役割を果たしています。

横浜市がこの森林を買収するに至った経緯は、山岳伝承「ひとり画がたり」さんのブログ記事(2019アクセス)に、簡潔に紹介されています。


河川上流の森林保全・水資源利用を巡る情勢

上に見たように、また、東京都の水源林になっている多摩川上流部(こちらの過去記事参照)もそうであるように、天然林に近い森林が保存された河川上流部は、良質かつ安定した水資源の供給にとっても、治水、野生生物保護にとっても、大変重要な意味を持ちます。

そんな中、ここ数年に全国各地の山間部・河川上流域の広大な土地が外国の投資家によって買収されているという現状が明らかになっています(例:農林水産省 2016、日刊SPA! 2019)。

それに加えて、水道事業を「民営化」しやすくする改正水道法が国会で成立しました(朝日新聞デジタル 2018)。これについては、水道料金の値上げや水質の低下などが懸念されていましたが(例:長嶺超輝 2017)、払拭されてはいません。

これからの日本の先行きで、安全・安心な水の安定した供給と森林生態系の保全が脅かされないよう、注視し、行動していくことが求められます。


次回予告

次回記事では、南部フォッサマグナ地域に属する山々の2回目として、檜洞丸ほかの山を、望遠クローズアップ写真に地質データや人間社会とのかかわりを添えて紹介する予定です。


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引用・参考文献

朝日新聞デジタル(2018)水道民営化の導入促す改正法が成立 野党「審議不十分」
https://www.asahi.com/articles/ASLD63392LD6ULBJ002.html

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#9,35.512,139.485

学研全訳古語辞典(2019 アクセス)Weblio 辞書:籠る
https://kobun.weblio.jp/content/籠る

木暮理太郎(1941)「マル及ムレ」『山の憶い出 下』(龍星閣)所収、龍星閣/青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/001373/files/56557_56999.html

長嶺超輝(2017)「水道民営化」法で、日本の水が危ない!?
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-7936.php

日刊SPA!(2019) 外国人による日本の土地買収が激化 北海道や長崎、沖縄も.
https://nikkan-spa.jp/1538120

農林水産省(2016) 外国資本による森林買収に関する調査の結果について.
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/keikaku/160427.html

山岳伝承「ひとり画がたり」(2019 アクセス)山の伝承「丹沢・富士山隠しの大室山」
https://blogs.yahoo.co.jp/toki3son/42713682.html

精選版 日本国語大辞典(2019 アクセス)コトバンク:牟礼・山。
https://kotobank.jp/word/牟礼・山-2086830

とよだ 時(2019 アクセス)「丹沢・富士山隠しの大室山」http://toki.moo.jp/merumaga/yamatabi/yamatabi05.html

上野研究室/東京工科大学工学部応用化学科有機合成化学研究室(2014)「2014/12/3 八王子キャンパスからの富士山」
https://sites.google.com/a/edu.teu.ac.jp/ueno/diary/2014123bawangzikyanpasukaranofushishan

ウィキペディア(2019 アクセス)(個々の山についての一般的な知識について参照した).
https://ja.wikipedia.org

wiktionaryの英語版(2019アクセス)
https://en.wiktionary.org/wiki/山https://en.wiktionary.org/wiki/산https://en.wiktionary.org/wiki/뫼
https://en.wiktionary.org/wiki/메 


山座同定のテクニック:
このシリーズ記事で採用している山座同定のテクニックについては、シリーズ初回記事に詳しく紹介してありますのでご参照ください。


ハッシュタグ:
#羽根倉橋から見える山 #さいたま市から見える山 #荒川から見える山 #埼玉県から見える山 #関東の山々 #関東の山並 #神奈川県の山 #山梨県の山 #丹沢山地の地形 #南部フォッサマグナ #水源林 

| 地球科学 | COM(0) | | TB(-) |
2019-03-22 (Fri)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を地質や成因のデータも添えて紹介しています。

13回目の今回記事では、関東山地(広義;丹沢山地を含む)を構成する4つの地質帯のうち、一番南のゾーンを占める、南部フォッサマグナ成因について紹介します。

写真1丹沢山地南部フォッサマグナを構成する主要山塊の一つです。

丹沢山地、さいたま市運動公園から 
写真1 丹沢山地主要部の遠望(さいたま市荒川畔の運動公園から;2019年3月18日;コントラスト調整済)(写真はクリックで拡大します)

写真2は、同じ方面を羽倉橋から撮影したものですが、丹沢山地の主要部に加えて、大室山(丹沢山地に属す)と富士山(いずれも南部フォッサマグナに所属)が写っています。

富士山~丹沢山~三ノ塔 
写真2 南西方向:富士山~丹沢山~三ノ塔 (過去記事から再掲)

この地域の個々の山の詳細については、次回以降の記事でご紹介することとします。

目 次:
◆課題設定:中央構造線の屈曲と南部フォッサマグナ
◆南部フォッサマグナの成因:高橋(2016)による概説
◆南部フォッサマグナの地質:天野ほか(2007)による概説
◆南部フォッサマグナの成立過程(天野による多重衝突説)
◆なぜ潜り込まないで衝突する?
◆南部フォッサマグナの境界を探る:糸魚川 – 静岡構造線の南端部は未決着?
◆次回予告
◆山座同定のテクニック
◆引用・参考文献
◆ハッシュタグ


課題設定:中央構造線の屈曲と南部フォッサマグナ

今回のシリーズ記事作成に際して関東山地(広義)を地質帯や地質構造線に焦点を当てながら山々を見つめ直した中で、中央構造線が諏訪湖のあたりで強く折り曲げられるように北側に大きく凹んでいること(図1)に、筆者はあらためて注目し、その原因を少し詳しく知りたくなり、文献検索を試みました。

関東地方の地質区分と構造線(高橋、2016を模写) 
図1 関東地方南西部の地質区分と構造線高橋(2016a)の図3を模写)(過去記事から再掲) (図はクリックすると拡大します)

日本列島の地図上に中央構造線を描いた図(たとえば、こちらの文献の図2;斎藤・宮崎 2016;外部リンク)を見ればわかるように、中央構造線はそれに寄り添う三波川帯、秩父帯、四万十帯とともに、四国愛媛県北岸から紀伊半島をへて愛知県新城市の東端までは、西南西から東北東に向かってほぼ直線的に走っていますが、天竜川を越えるころから北北東に大きく反り曲がり、諏訪湖付近からは突然東方向に折れ、埼玉県に入ってからは南東に向かっています 。

そして、これら三つの地質帯が一様に凹まされた部分を埋めるように、陸地をなしている部分(丹沢山地富士山およびその周辺の山塊、そして伊豆半島)が、南部フォッサマグナと呼ばれている地域です(図1)。

ナウマンが命名して以来、最近まで専門家は本州中部を横断する糸魚川―静岡構造線東側の大地溝帯を一繋がりの地質地域としてフォッサマグナと呼称して来ましたが、現在では、それぞれ成因が異なる北部フォッサマグナ南部フォッサマグナという別の地質地域に分割して扱うようになっています*(高橋 〔2016〕を参照)。

さて、いかにしてここに南部フォッサマグナという地域が出来上がったのでしょうか?

これが今回記事のテーマです。

(*注:コトバンクで調べたところ、世界大百科事典第2版、大辞林、デジタル大辞泉ではフォッサマグナ一つながりのものとして取り扱っていて、日本大百科全書(ニッポニカ)だけが南北それぞれのフォッサマグナの地質帯としています;2019年3月20日)


南部フォッサマグナの成因:高橋(2016)による概説

テクトニクス(構造地質学)を専門とし、ブラタモリへの出演や出前授業などの知識啓発活動も展開している高橋雅紀博士は、南部フォッサマグナ成因に関して、以下のように概説しています(高橋 2016)(<>に挟まれた注記は引用者による)。

「赤石山地と関東山地<狭義>の地帯配列が漢字の “ 八の字 ” 状に湾曲しているのは,フィリピン海プレートの運動により伊豆 – 小笠原弧が北上して,1,500 万年前から現在に至るまで本州中央部に衝突し続けてきたからである(Matsuda,1978;Niitsuma and Matsuda,1985;Amano, 1991等).」

「赤石山地と関東山地<狭義>に挟まれた範囲には,衝突した伊豆 – 小笠原弧の火山岩類や深成岩類と,衝突された側である関東山地<狭義>から供給された大量の土砂が厚く堆積していて,南部フォッサマグナ(South Fossa Magna)と呼ばれている.」

「南部フォッサマグナでは,数百万年前には丹沢ブロックが関東山地<狭義>に衝突・付加し(Hyodo and Niitsuma,1986),現在は伊豆半島が丹沢山地に衝突し続けている(天野ほか,1986).南部フォッサマグナは,世界的にも稀な島弧と島弧の衝突帯である.」

このように、南部フォッサマグナはフィリピン海プレートの運動により陸塊や海底岩体が本州に衝突を繰り返して付加されることで出来上がったユニークな出自の土地であるとされています。

この繰り返しの衝突を重視した説を、最初の提唱者である天野一男博士らの論文(2007)からかいつまんで以下に紹介します。


南部フォッサマグナの地質:天野ほか(2007)による概説

下の図2は、「島弧-島弧多重衝突説」(天野, 1986;Amano, 1991)に基づいた南部フォッサマグナの地質の概略」を示す地図を、天野ほか(2007)の図1から模写したものです。

南部フォッサマグナの地質概略(天野ほか、2007) 
図2 南部フォッサマグナの地質概略(天野ほか 〔2007〕の図1から模写)。

天野ほか(2007)は、上の図2(引用元では図1)にもとづき、南部フォッサマグナの地質を以下のように区分しています。

「南部フォッサマグナに分布する地層は,富士山箱根火山等の第四紀火山の噴出物を除くと,主として2種類の地層群からなっている.」

「一つが伊豆地塊<中略>,丹沢地塊<中略>,櫛形山地塊<中略>,御坂地塊<中略>を主として構成している水中溶岩・水中火山砕屑岩類 <中略>」である。

「他の一つが足柄地域西桂地域<富士吉田市の北東に隣接>に分布する礫岩・砂岩を主体とした地層群である」

「<足柄地域の地層群は>かつて古伊豆-小笠原弧に所属していて,フィリピン海プレートの沈み込みに伴ってユーラシアプレートないしは北アメリカプレートに衝突付加した火山弧の断片であり,<西桂地域の地層群は>沈み込むプレートの前面に存在したトラフを充填した堆積物と考えられる. 」

引用文中にあるように、富士山箱根火山は上述の地塊の衝突が終った後の第四紀に形成された火山ということになります。


南部フォッサマグナの成立過程(天野による多重衝突説)

図3は、天野ほか(2007)の図3から模写した、天野(1986),Amano(1991)による南部フォッサマグナの成因の有力な説である多重衝突テクトニクスの模式図です。

天野(1 9 8 6),Amano(1 9 9 1)による南部フォッサマグナ 多重衝突テクトニクス 
図3 天野(1986),Amano(1991)による南部フォッサマグナ 多重衝突テクトニクス(天野ほか 2007)の図3から模写)。

以下、図3にかかわる内容を、天野ほか(2007)から抜粋して引用します。

「杉村(1972)はフィリピン海プレートの本州弧下への沈み込みに伴って伊豆-小笠原弧が本州弧に衝突したことを<初めて>指摘し<中略>た.」

「天野(1986)や Amano(1991)は,櫛形山地塊御坂地塊,丹沢地塊,伊豆地塊を全て衝突付加した地塊とする,島弧-島弧多重衝突説を提唱した.」

「 南部フォッサマ グナはフィリピン海プレートの沈み込みに伴って本州弧に 衝突・付加した古伊豆-小笠原弧に所属する海洋性島弧の 断片とトラフ充填堆積物からなる」

「<中略>丹沢山地は,3番目に衝突・付加した地塊であり,主と して水中溶岩・水中火山砕屑岩類よりなる.」

上記引用文だけでは少し分かりにくいので、図3の意味するところを私なりに読み取ってみます(下記)。

図3の上段1200万年前、ユーラシアプレートの南東縁のこの部分(関東山地〔狭義〕になるエリアの西端付近)に、フィリピン海プレートに乗って運ばれた櫛形山地塊御坂地塊がこれから順に衝突しようとしており、日本海拡大の勢いにも押されたユーラシアプレートの縁は既に押し上げられ初めています。そこから侵食されて流出した土砂がプレート境界のトラフの底部に堆積しています。

図3の中段500万年前、櫛形山地塊と御坂地塊はすでに衝突を終え、付加体としてユーラシアプレートの縁に楔のように刺さり込み、後方から丹沢地塊を載せたフィリピン海プレートに押し続けられています。その結果ユーラシアプレートの縁および先行の衝突地塊を一層押し上げています。トラフには陸側から供給された土砂(藤川層群となる)が堆積しています。

図3の下段100万年前、丹沢地塊はすでに衝突を終えて付加体となり、北アメリカプレート*と後続の伊豆半島を乗せたフィリピン海プレートの両側から押され続けたために高く押し上げられています(丹沢山地の成立)。プレート境界でもあるトラフの位置は、丹沢地塊の前方(北側)から後方(南側)にジャンプしており、そこには富士川層群になる土砂が堆積しています

(*注:島弧が衝突する相手が図3の上・中段ではユーラシアプレートとなっていて、下段で北アメリカプレートとなっている理由は、南部フォッサマグナ付近にユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界があり、この間に衝突の位置が東寄りに微妙にずれた結果、異なるプレートに衝突することになったということと考えられます)


なぜ潜り込まないで衝突する?

さて、なぜ上述の各地塊は、プレートとともに潜り込まないで、このように相手のプレートと衝突するのでしょうか?

その答えを、産業技術総合研究所(2018)による解説の中から紹介しておきます。

フィリピン海プレートの表層部は主に相対的に重たい海洋地殻からなるが、その東端部の伊豆・小笠原諸島は日本列島と同じく軽い島弧地殻であるため沈み込みにくい。」

「このため、日本列島に対して北北西方向へ凸状に押し込む強い変形を及ぼし、伊豆・小笠原諸島の火山岩と周辺の深海堆積物、その境界付近に発達する凹地(トラフ)に堆積した地層などを日本列島に押しつけながら沈み込む。」

南部フォッサマグナ地域では、それら付加された地層・岩体が、逆断層・褶曲によって変形し複雑に織り込まれている。」

というわけで、丹沢山地一帯は、地質学的に興味深い現象が現在進行形で多々起きている、「生きた地球観察の場」の一つであるといえるでしょう。

ところで、1923年の関東大震災(M7.9)も、この南部フォッサマグナを生み出したプレートの動き(陸側プレートの歪みが限界に達して一気にずれ動く)によって生起していますので(災害教訓の継承に関する専門調査会 2006)、こちらの面でも油断は怠らないようにしたいところです。


南部フォッサマグナの境界を探る:糸魚川 – 静岡構造線の南端部は未決着?

高橋(2016)は、南部フォッサマグナの境界に関して、以下のように述べています。

「<中略>南部フォッサマグナの東縁は<中略>関東山地<狭義>(四万十帯)と丹沢山地<中略>の境界である藤ノ木 – 愛川構造線<中略>から相模川付近を大磯丘陵の東まで南下したあと,<中略>江ノ島から三浦半島の葉山隆起帯,さらに,東方に房総半島の嶺岡構造帯へ続くと考えられる。」

「この境界は 1,500万年前に関東地方に沈み込みを開始したフィリピン海プレートと,上盤であるユーラシアプレートとの境界である。」

「もちろん現在では,プレート境界は丹沢ブロックの衝突に伴って,伊豆半島との境である神縄(かんなわ)断層および国府津–松田断層にシフトしている.」

「<中略>南部フォッサマグナの東縁は,太平洋プレートの沈み込みに伴う付加体(四万十帯)とフィリピン海プレートの沈み込みに起因する付加体との境界と定義されよう.」

「とすると,南部フォッサマグナの西縁は厳密には糸魚川 – 静岡構造線ではなく,その西側を併走する十枚山構造線が適切である(<高橋(2016)の>第 1 図). 」

当ブログの関連記事では、高橋(2016)の図3を模写したにもかかわらず、南部フォッサマグナの西縁が糸魚川 – 静岡構造線と一致しているかのような図(今回記事の図1)に仕上げて、それを元に書き綴ってきました。

今回、十枚山構造線のことを意識して高橋(2016)の図1と図3をよく見たところ、たしかに糸魚川 – 静岡構造線とは別に十枚山構造線が描かれていて、そこまでが南部フォッサマグナの範囲として色付けされていました。

日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンクから間接引用)によれば、構造線(tectonic line)は「断層のなかでとくに大規模なもの、すなわちその延長が100キロ~数千キロメートルに及ぶ大断層を構造線とよぶことがある。」とされています。

したがって、構造線はかならずしも地質境界と一致するわけではなく、南部フォッサマグナを地質によって定義した場合は、十枚山構造線(ニッポニカの定義を採用すれば十枚山「断層」)を西縁とするのが妥当となります。

このことを踏まえて今回記事の図2(天野ほか 2007の図1を模写)を見直してみると、十枚山構造線の方を糸魚川 – 静岡構造線が通っている扱いとなっています。

このように(天野ほか 〔2007〕に準じて)取り扱った場合は、南部フォッサマグナの西縁と糸魚川 – 静岡構造線は一致することになります。

このように、十枚山構造線を含む南北に並走する2,3の断層のうちのどれを糸魚川 – 静岡構造線とするかについては専門家の間で議論が分かれているようです。

したがって、ざっくりとした言い方としての「糸魚川 – 静岡構造線が南部フォッサマグナの西縁である」は必ずしも誤りではないように思われます。

もちろん、厳密さを求めるのであれば、「十枚山構造線が南部フォッサマグナの西縁である」とするのが現時点では妥当でしょう。


次回予告:
次回記事では、南部フォッサマグナに属する山々の各論の第一弾として、丹沢山地のいくつかの山(丹沢山、蛭ケ岳など)を、望遠クローズアップ写真に地質や人間社会との関わりについてのトリビアを添えてご紹介する予定です。

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引用・参考文献

天野一男(1986)多重衝突帯としての南部フォッサマグナ.月刊地球,8,5.(天野ほか〔2007〕から間接引用)

Amano, K.(1991) Multiple collision tectonics of the South Fossa Magna in central Japan. Modern Geol ., 15, 315–329.(天野ほか〔2007〕および高橋 〔2016〕から間接引用)

天野一男・松原典孝・田切美智雄(2007)富士山の基盤:丹沢山地の地質 -衝突付加した古海洋性島弧-.in:荒牧重雄・藤井敏嗣・中田節也・宮地直道 編(2007)富士火山.山梨県環境科学研究所、所収、p.59-68.
http://www.mfri.pref.yamanashi.jp/fujikazan/original/P59-68.pdf

天野一男・高橋浩之・立川孝志・横山健治・横田千秋・菊 池 純(1986)足柄層群の地質–伊豆微小大陸の衝 突テクトニクス–.北村 信教授記念地質学論文集,7–29,東光印刷,仙台.(高橋 〔2016〕から間接引用)

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#9,35.512,139.485

Hyodo, H. and Niitsuma, N.(1986) Tectonic rotation of the Kanto Mountains, related with the opening of the Japan Sea and collision of the Tanzawa Block since middle Miocene. Jour. Geomag. Geoelectr ., 38, 335– 348. (高橋 〔2016〕から間接引用)

国立研究開発法人産業技術総合研究所(2018)南部フォッサマグナ(伊豆衝突帯)の歴史を凝縮した身延地域の地質図を刊行。
https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2018/pr20181029/pr20181029.html

コトバンク(世界大百科事典第2版、大辞林、デジタル大辞泉、日本大百科全書〔ニッポニカ〕) https://kotobank.jp/

Matsuda, T.(1978)Collision of the Izu-Bonin arc with central Honshu: Cenozoic tectonics of the Fossa Magna, Japan. Jour. Phys. Earth , 26, Suppl., S 409-S 412. (高橋 〔2016〕から間接引用)

Niitsuma, N. and Mastuda, T.(1985) Collision in the South Fossa Magna area, central Japan. Recent Prog. Natural Sci. Japan , 10, 41–50. (高橋 〔2016〕から間接引用)

災害教訓の継承に関する専門調査会(2006)「1923 関東大震災報告書」第2章 地震の発生機構。
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai/pdf/1923--kantoDAISHINSAI-1_04_chap1.pdf

斎藤  眞・宮崎一博(2016)中央構造線に関する現在の知見−九州には中央構造線はない−.
https://www.gsj.jp/hazards/earthquake/kumamoto2016/kumamoto20160513-2.html

杉村 新(1972)日本付近におけるプレートの境界.科学, 42:192-202. (天野ほか〔2007〕から間接引用)

高橋雅紀(2016)東西日本の地質学的境界【第二話】 見えない不連続. GSJ 地質ニュース、 Vol. 5 No. 8:244-250.
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol5.no8_244-250.pdf

ウィキペディア:(地質についての一般的な知識について参照した).
https://ja.wikipedia.org


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2019-03-15 (Fri)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を地質や成因、そして人間社会との関わりについての知見も添えて紹介しています。

12回目の今回記事では、関東山地を構成する4つの地質帯のうち、南部フォッサマグナ地域に属する山々を、羽根倉橋からのパノラマ写真からもう一度リストアップするとともに、南部フォッサマグナ地域の主要部分を占める丹沢山地地形を概観しておきます。

南部フォッサマグナ地域の地史および所属の個々の山の詳細については、次回以降の記事でご紹介することとします。

目 次:
◆南部フォッサマグナ地域の位置と地質概要
◆丹沢山地の地形概略
◆南部フォッサマグナの山々(パノラマ)
◆次回予告
◆山座同定のテクニック
◆引用文献
◆ハッシュタグ


南部フォッサマグナ地域の位置と地質概要

関東山地を構成する4つの地質帯の中での南部フォッサマグナ地域の位置付けは、図1(オリジナルの図は高橋(2016)の図3;外部リンク)の通りです。

地質帯の境界となる構造線の位置を含めた詳細については、過去記事を参照ください。

関東地方の地質区分と構造線(高橋、2016を模写) 

図1(再掲) 関東地方南西部の地質区分と構造線高橋(2016)の図3を模写)(図はクリックすると拡大します)

藤ノ木ー愛川線の南側の陸地全体を占める南部フォッサマグナは新第三紀以降の衝突・付加体*で、礫岩・砂岩そして第四紀火山の噴出物などからなる地質帯です(高橋 2016;地質調査総合センター 2019 アクセス;Wikipedia)。

(*付加体とは、海洋プレートが海溝で大陸プレートの下に沈み込む際に、海洋プレートの上の堆積物がはぎ取られ、陸側に付加したもの〔Wikipedia〕。詳細はこちら;外部リンク)

四万十帯南部フォッサマグナの境界をなす藤ノ木ー愛川構造線は、丹沢山地の北の縁から南東隅までを巻くように走っています(詳細は下記)。


丹沢山地の地形概略

藤ノ木ー愛川構造線は、甲府盆地南縁部以西を除いては、相模川(山梨県では桂川と呼称)さらには中津川荻野川といった小河川の流路が作る谷間地形とよく一致しており、丹沢山地を少し東の斜め上空*から眺めた場合(こちらの画像;GoogleMapの航空写真モード、3D表示;外部リンク*)、手に取るようにわかる経路を走行しています。

(*注:神奈川県海老名市上空から西北西を鳥観したもの;リンク先URLは引用文献リストに明記)

このリンク先画像で、画面中央から左端にかけてに大きく横たわるのが丹沢山地、そしてその左奥の均整のとれた独立峰は言わずと知れた富士山です。

この画像の一番手前を、右(北)から左(南)に流れる大きな川は相模川です。
画像左端付近で相模川に合流している2本の川のうち、真ん中の真っ直ぐな川は中津川、そして奥から手前に曲がり込んで合流している細い川は小河川である荻野川です。

丹沢山地の一番手前(東)の稜線をなしている仏果連山*(仏果山、経ケ岳を含む)の山麓の台地(ゴルフ場がひしめいている)を削る、この荻野川づたいに藤ノ木ー愛川構造線が走っています。

この構造線は、荻野川の延長上に右奥に向って進み、いくつかの低い峠を越え(その間、中津川の上流の谷も通過)、その先にある画面右奥(北西)の相模湖に到達し、以後は丹沢山地の北縁を刻む相模川(山梨県では桂川と呼称)の長い谷筋沿いを西に向かって中央自動車道と並走します。

ついでながら、仏果連山のうちの高取山は、大規模な採石事業によって山肌が大きくえぐられ続けていて、地元では反対運動(「西山を守る会」のサイトを参照)も続けられています。

GoogleMapのこの3D画像でこの角度から観る丹沢山地は、ニ・三の山塊に分かれています。
中央奥に、主要な山塊がどっしりと構えていて、右(北西)から左(南東)に向かって檜洞丸、蛭ケ岳を含む丹沢主稜*丹沢山、塔ノ岳などを含む丹沢主脈*、そして三ノ塔を含む表尾根*が連なっています。

丹沢主稜の蛭ケ岳の右(北西)の稜線の後方からは大室山がひょっこりと顔を出しています。

その手前の、大山(1252m;富士山と同じ方向にピークをもつ)を主峰とする山塊(東丹沢*)も存在感があります。

(*注:主脈、主稜などの範囲と詳細は右を参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/丹沢山地;ちなみに、このリンク先の丹沢山地の地図入りの地図で、仏果連山の高取山の位置に誤りがあります〔2019年3月14日現在〕。正しくは経ケ岳の南)


南部フォッサマグナの山々(パノラマ)

写真1~3は、羽根倉橋上で構えたカメラで南部フォッサマグナの山々を収めたパノラマ写真です(過去記事から再掲)。

権現山~富士山~大室山 
写真1 南西~西南西方向:権現山~富士山~大室山 (過去記事から再掲)(写真はクリックで拡大します)

写真1で、富士山および大室山南部フォッサマグナに属しますが、権現山生藤山を含み、手前で右(北)から左(南)になだらかに(大室山の手前まで)裾を引いている稜線は、前回記事で紹介した通り、四万十帯に属します。

四万十帯の起伏の最南端が武蔵野に裾を下ろす直前、背景の大室山の丁度手前(東)には、世界一の登山者数を誇るといわれる高尾山(599m)が頭をもたげています。

さて、写真1をクリックして拡大したものをご覧ください。
手前から2番目の稜線は、道志川、国道413号線の北側に並行する道志山塊と呼ばれる尾根(石老山〔702m〕、鳥井立1047m〕、赤鞍ヶ岳1299m〕などを含む)で、南部フォッサマグナに属します。

次に、写真2~3をご覧ください。
富士山、および大室山の左(南東)にこんもりと盛り上がって連なるのが、南部フォッサマグナの主要な山塊である丹沢山地です。

それぞれ、丹沢主稜を代表する檜洞丸蛭ケ岳丹沢主脈の顔である丹沢山、表尾根の主峰である三ノ塔、そして東丹沢の大山となっています。

富士山~丹沢山~三ノ塔 
写真2 南西方向:富士山~丹沢山~三ノ塔 (過去記事から再掲)

蛭ケ岳~丹沢山~三ノ塔~大山 
写真3 南南西~南西方向:蛭ケ岳~丹沢山~三ノ塔~大山 (過去記事から再掲)


次回予告

次回記事では、南部フォッサマグナ地域の地史について簡単に紹介する予定です。


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山座同定のテクニック:
このシリーズ記事で採用している山座同定のテクニックについては、シリーズ初回記事に詳しく紹介してありますのでご参照ください。


引用文献

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#9,35.512,139.485

Google;GoogleMapの航空写真モード、3D表示(神奈川県海老名市上空から西北西を鳥観したもの)https://www.google.co.jp/maps/@35.4621439,139.4081855,1486a,35y,280.68h,74.98t/data=!3m1!1e3?hl=ja )

西山を守る会
http://nishiyamawomamorukai.web.fc2.com/)

高橋雅紀(2016)東西日本の地質学的境界【第二話】 見えない不連続. GSJ 地質ニュース、 Vol. 5 No. 8:244-250.
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol5.no8_244-250.pdf

ウィキペディア:丹沢山地
https://ja.wikipedia.org/wiki/丹沢山地


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2019-03-08 (Fri)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を地質データや人間社会との関わりについても添えて紹介しています。

11回目の今回記事では、関東山地の4つの地質帯のうち、埼玉県秩父地方と東京都の奥多摩地方の大部分を占める四万十帯に属する山々のうち、権現山、生藤山について、望遠クローズアップ写真に地質データや人間社会との関わりに関するトリビアを添えて、紹介します。

四万十帯の地質概要と境界となる構造線についてはこちらの過去記事を、また四万十帯に属する山々のリストは前回記事をご覧ください。

地質データは、地質調査総合センター(2019 アクセス)による「地質図Navi」の地質図をマウスで右クリックすることで表示されたものです。

目 次:
◆権現山
◆権現山の山名の由来
◆生藤山
◆生藤山の山名の由来
◆次回予告:
◆山座同定のテクニック:
◆引用文献
◆ハッシュタグ


権現山

写真1権現山 (ごんげんやま;1312m) は、前回記事で取り上げた大菩薩嶺から東に分岐し、南東にカーブする稜線上にあり、山梨県上野原市と大月市を隔てています。

権現山 
写真1 権現山(さいたま市羽根倉橋から望む)

権現山から南東方向を見下ろすと談合坂サービスエリア付近の中央自動車道を行きかう車が見えるはずです(GoogleMapの3D表示から判定)。

権現山を含む稜線の南斜面には藤ノ木ー愛川構造線が中央自動車道とほぼ平行に走っていて、丹沢山塊がどっしりと構える南部フォッサマグナとの境界線をなしています。

四万十帯に属する権現山地質は、古第三紀始新世~漸新世の海成層(砂岩)から成る付加体ですが、南部フォッサマグナに属する丹沢山塊の地質は新第三紀以降のより新しい岩体からなる付加体です。

権現山という名の山は全国に多数(少なくとも89座;地理院地図での検索)存在し、隣接する神奈川県にも同名の山が3座あります。


権現山の山名の由来

権現山は大勢籠山という別名を持っていて、その山頂には山梨県上野原市和見の王勢籠神社(おせろう じんじゃ)の奥宮が所在するそうです(Wikipedia)。

ちなみに、この神社の祭神は日本武尊(ヤマトタケル、『甲斐国社記・寺記』に拠る)で、神犬の数を75匹とする狼信仰で特徴づけられるといいます(Wikipedia)。

このあたりについて、出典を明示して解説した文献として、植月 学 学芸員(現、弘前大准教授)による論考(2009)があります。そこから一部を抜粋して以下に引用しておきます。

引用文中の、<>で括った文言は引用者(生方)による注釈です。

王勢籠権現<おせろうごんげん>(現在は王勢籠神社)は、上野原市和見集落内に里宮が、権現山山頂に奥宮がある。」

「『甲斐国志』巻之七十二、神社部<中略>より抜粋する。<中略>大勢(オホムレ)権現 西原・浅川・野田尻ノ境大勢篭山ノ峰ニアリ 社人ハ和見村ノ名主ナリ、<中略>、此神犬ヲ使コト七十五匹此犬ヲ頼ム時ハ能ク盗賊火難ヲ防守ルトテ近郷ノ農人犬ガリニ名主ガ家ニ来リ札ヲ請フテ帰レバ犬必ズ来リテ家内田畑ヲ守ルト云フ但シ其ノ形人ノ目ニ見ユルコトナシヤトヒ来ル日限迄キリ火ニテ飼料ヲ作リ供ヘ置ケバ則チ喰ヒツクスト云フ。」

「漢字の当て方や『オホムレ』という読み方は現在とは異なるものの、奥宮が存在する権現山はかつて大勢龍山(おおむれさん)と呼ばれていたとされるので、江戸時代にはこのように<大勢篭山と>呼ばれていたのかもしれない。」

なお、山犬(オオカミ)を信仰の対象とする神社が置かれた山は関東山地に他にもいくつかあり、生態系と地域社会との関わりという角度からも興味が持たれます。
これについても、いずれブログで取り上げてみたいと思います。


生藤山

写真2生藤山(しょうとうさん;990m)は、相模川水系と多摩川水系を隔てる分水嶺(東京都西多摩郡檜原村と神奈川県相模原市緑区との境界)に属し、相模湖を南東に見おろす位置にあります。

生藤山 
写真2 生藤山(さいたま市羽根倉橋から望む)

生藤山は神奈川県の最北端の位置にあり、そのすぐ南西隣にある三国峠三国山)は神奈川(相模国)、山梨(甲斐国)、東京(武蔵国)の境界であることからその名がつけられています。

生藤山の地質は後期白亜紀の海成層からなる付加体で、山頂付近は泥岩、北東斜面は砂岩となっています。


生藤山の山名の由来

Wikipediaには、生藤山の山名の由来に関して、以下の記述があります。

「昔は国境の木は伐らないルールがあり、生藤山は二国国境のため『切り止め山』と呼び、これが『きっと山』『生藤山』となり、『しょうとうさん』と呼ぶようになった、という。」

「切り止め山」が生藤山の由来であるというこの説の出典を探してみましたが、ネット検索では見つかりませんでした。

そのかわりに、「おかちゃん眠りの館」さんのブログ(2019アクセス)に出会い、以下のことがわかりました。

生藤山のことを、北側の武州西多摩郡檜原村では軍荼利(グンダリ)と呼び、南側の相州津久井郡佐野川では生藤山と呼んでいたこと。

生藤山は、かつては三国山から茅丸山(生藤山から稜線づたいに400m東;地理院地図で1019mのピーク)までの尾根に連なる山々の総称であったということ。

以下、その根拠となる出典を紹介している部分を、おかちゃん眠りの館(2019アクセス)が引用(カタカナはひらがなに置き換え、句読点を付し、旧漢字はなるべく常用漢字に置き換えて引用)している文章から抜粋する形で間接引用しておきます。

引用文中の、<>で括った文言は引用者(生方)による注釈です。

まずは、『大日本國誌 相模国 第2巻』の生藤山の項からの引用文を間接引用:

生藤山
 津久井郡佐野川村の西並字生藤山にあり。高大約3849尺(注:約1170メートル)。山頂より2分し、南は本村<佐野川村>並<並でなく北?>は武蔵西多摩郡檜原村 軍荼利山と云 に属す。山脈西南三国嶺より来り東<は>茅丸山に連なる。」

次は、武田久吉*博士の『北相の一角』からの引用文を間接引用:

「此の辺の地理を記したもので生藤山の名の見えて居るのは、自分の知って居る処では例の武蔵通志で<中略>軍荼利という山の異称としてあって、而も三国山とは別に取扱ってある。」

郡村誌<西多摩郡檜原村史?>を見ると左<下>の如き記事がある。」

「三国山 又三国峠或は三国岳に作る 南部にあり高380丈5尺<=1153m>嶺上より3分して北は本村<すなわち>檜原村字南郷に東南は相州津久井郡佐野川村字生藤山に西は甲州都留郡棡原村に属す」

軍荼利山 佐野川<相州津久井郡>にては生藤山と云 同方部にあり高384丈9尺<=1160m>峰頭より両分して北は本村<すなわち>檜原村字南郷に南は佐野川村字生藤山に属す」

「生藤山というのは決して単独な峰の称呼ではなくて、茅丸及びその以西三国山に到るあたりの山峰をかく総称するものだろうと想像するに難くない。」

ところで、軍荼利(グンダリ)は、神奈川県側からは生藤山と呼ばれている山を東京都(西多摩郡)側で呼称しているということは以上に引用した通りですが、山梨県側からはこれとは別の山(三国峠の北西の熊倉山との間の稜線上にあるA(971m)、B(952m)二つのピークのいずれか)を軍荼利山としているということを、私が引用した「おかちゃん眠りの館」さんののブログ記事(2019アクセス)では取り上げていて、このA、B二つのピークのどちらが山梨県側で言う軍荼利(グンダリ)に該当するかを検討しています。

(*注:武田 久吉〔ひさよし;1883-1972〕は、日本の植物学者・登山家・自然保護活動家。北大、京大で講師を務め、原色日本高山植物図鑑〔保育社〕などの著書がある。尾瀬ヶ原を電源開発から守った自然保護活動の先駆者としても知られる人物。北大、尾瀬、自然保護については私〔生方〕にも縁があるので、いずれこの人物を当ブログで取り上げたいと思う。)

以上で、4回にわたる関東山地四万十帯の山々の紹介を終わります。

ここには、修験道の修行の場、あるいは狼信仰を支える祈りの場として、それに加えて御巣鷹山、あるいは水源涵養林として、大切にされてきた河川上流集水域の自然林がある、ということを知ることができたのは私にとって大きな収穫でした。


次回予告

次回記事では、丹沢山地、富士山など、南部フォッサマグナに属する山々を総論というかたちで、地質・地形に重点を置いてご紹介する予定です。


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山座同定のテクニック:
このシリーズ記事で採用している山座同定のテクニックについては、シリーズ初回記事に詳しく紹介してありますのでご参照ください。


引用文献

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#9,35.512,139.485

『大日本國誌 相模国 第2巻』:おかちゃん眠りの館(2019アクセス)から間接引用

『甲斐国志』巻之七十二、神社部:植月(2009)から間接引用

『武蔵通志』:武田久吉『北相の一角』から間接引用:おかちゃん眠りの館(2019アクセス)から間接引用

おかちゃん眠りの館(2019アクセス)グンダリ山はどっちだ?
http://okachan.blue.coocan.jp/zakki/gundari/gundari.html

武田久吉『北相の一角』:おかちゃん眠りの館(2019アクセス)から間接引用

植月 学(2009)「王勢籠権現の狼信仰」『山梨県立博物館研究紀要』 第3集
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/pdfdata/kiyou3_uetsuki.pdf

ウィキペディア:(地質についての一般的な知識について参照した).
https://ja.wikipedia.org


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2019-03-02 (Sat)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を地質データや人間社会との関わりについても添えて紹介しています。

10回目の今回記事では、関東山地の4つの地質帯のうち、埼玉県秩父地方と東京都の奥多摩地方の大部分を占める四万十帯に属する山々から、大菩薩嶺をとりあげて、望遠クローズアップ写真に地質データや人間社会との関わりに関するトリビアにも触れながら紹介します。

四万十帯の地質概要と境界となる構造線についてはこちらの過去記事を、また四万十帯に属する山々のリストは前々回記事をご覧ください。

地質データは、地質調査総合センター(2019 アクセス)による「地質図Navi」の地質図をマウスで右クリックすることで表示されたものです。

目 次:
◆大菩薩嶺
◆大菩薩嶺の山名の由来と大菩薩峠
◆多摩川源流域になぜ原生林が残ったか
◆次回予告:
◆山座同定のテクニック:
◆引用文献
◆ハッシュタグ


大菩薩嶺

写真1大菩薩嶺(だいぼさつれい;2057m)は山梨県の甲州市と丹波山(たばやま)村の境界をなす稜線の主峰で、日本百名山の一つです。

大菩薩嶺 
写真1 大菩薩嶺(さいたま市羽根倉橋から望む)

この稜線は、奥多摩湖上流端付近で多摩川に流れ込む小菅川の集水域と甲府盆地の重川の集水域を隔てる分水嶺であり、写真1に写っている東側斜面は、雲取山の南東斜面、鷹ノ巣山の全周と同じように、東京都の水道水源林(地図はこちら;外部リンク)となっています。

この分水嶺の向こう側(西側)に降った雨や雪に由来する水が流れていく先は、はるか富士山の西の裾野を回り下った先の駿河湾ということになります。

大菩薩嶺は奥多摩の最奥部にある山の一つですので、地元住民や登山者以外の人が近くでその姿を観る機会はなかなかありません。

ですが、山梨県で国道411号(青梅街道、大菩薩ライン)を東向きに車で走行する機会があれば、甲州市踊石付近で大菩薩嶺正面に聳えて見えるはず(GoogleMapのStreetViewでのチェックによる)ですので一度お確かめください。

大菩薩嶺の地質は、後期白亜紀の海成層(砂岩)からなる付加体です。


大菩薩嶺の山名の由来と大菩薩峠

大菩薩嶺の山名の由来に関して、長野(2005)に詳しい論考がありますので、以下に抜粋して引用します。

大菩薩嶺もまた金峰山に連続した修験道霊山であった形跡を残している<中略>。中里介山が大正2(1913)年から都新聞に連載した長編小説の「大菩薩峠*」の舞台となった峠は、山頂から2km 南下した鞍部で標高 1898m の高所である。」
 
「 大菩薩嶺の山名起源は『甲斐国志』によれば、後三年の役(1083~'87 年)に際して、奥州の豪族清原氏を討つべく源義光(新羅三郎)が東国へ向かう途中、道に迷った時、樵夫が現われてこの峠まで導き、何処ともなく消え去ったという。義光は峠から西方を振り返ると白旗の翻るのが眺められ、思わず『八幡大菩薩』と唱えて神の加護に感謝したことから山名になったという。」
 
近世は甲州から武州多摩郡青梅を経て江戸に通じる重要なであったが、甲斐側からも武蔵側からも、峠に辿りつくまでの道は嶮阻で、人家も農地も程遠いことから、物資運搬の手段として『大峰荷渡し』と称して、無人の取引する習慣があった。そのことを甲斐国志は次のように記している。」

大菩薩坂 是レハ小菅村ト丹波村ヨリ山梨郡萩原村ヘ越エル山路ナリ。  升(昇)降八里、明(妙)見大菩薩社二社アリ、一ハ小菅ニ属シ、一ハ萩原ニ属ス。萩原村ヨリ米穀ヲ小菅村ノ方ヘ送ルモノ此ノ峠マデ持チ来リ、明見社ノ前ニ置キテ帰ル。小菅ノ方ヨリ荷ヲ運ブ者、峠ニ置キテ彼ノ送ル所ノ荷物ヲ持チ帰ル。此ノ間数日ヲ経ルト雖モ盗ミ去ル者ナシ。雪降リテ二月末ツカタ漸ク往来スル。此互ニ荷物ヲ送ルニ去ル冬置キシ物紛失スルコトナク、相易ヘテ持チ帰ルナリ。』

より詳細については、長野(2005)をご覧ください。

日本は震災時の窃盗犯罪が少ないなど、公徳心は他国よりも高い傾向が見られ、私(生方)の自宅近くにある農家の無人直売所も問題なく営業を続けています。
同じ評価が江戸時代のこの地域の民衆にも下されてもよいかもしれません。

Wikipediaによれば、現在の大菩薩峠の位置付けは近年に認定されたものであり、江戸時代からの街道としての旧大菩薩峠は少し離れたところにあり、現在は賽の河原という地名が付されているとのことです。

その「賽の河原」は、現在の大菩薩峠から大菩薩嶺に向って稜線を歩き、最初のピークである親不知ノ頭を越えたところの鞍部に建つ避難小屋の一帯であることが、Wako Dentalさんのブログ 「大菩薩嶺 レポート 登山 (2015-1101)」 の19枚目の写真「甲州市が設置した大菩薩連嶺案内図」から読み取れます。

写真1で、大菩薩嶺につらなる稜線を構成する左端2つのピークが、左(南)から順に親不知頭、妙見ノ頭であり、その間に賽の河原があることが、地形図やGoogleMapと見比べることで判断できました。


多摩川源流域になぜ原生林が残ったか

これまで見てきた、雲取山、鷹ノ巣山、高丸山、大菩薩嶺は多摩川源流域に聳える山々であり、山頂から山麓までの斜面には、ブナの巨木に象徴される原生林が伐採されることなく保存されていることが知られています。

この多摩川源流域になぜ原生林が残ったかについて、以下に長野(2005)から抜粋・引用し、若干の考察を加えたいと思います。

「環境庁(省)の第6回自然環境保全基礎調査(1999・2000 年)による『2000 年日本の巨樹・巨木のすがた』(全国巨樹・巨木林会 2002 年7月)によれば、市町村別に巨木(地上約 1.3m の樹幹周3m 以上)の多い第1位は、東京都奥多摩町(891 本)<中略>である。」

自然林残された理由を一般通念から言えば、①嶮岨な地形とか、樹木の繁茂に不適な地質・土壌、寒冷な気候などの自然的条件。②商品性に乏しい林相・樹種や、輸送の不便など経済的条件が指摘される。しかし見落し勝なことは、③山岳信仰(神道・仏教・修験道)による聖域化によって自然が保護(守護)されてきた歴史的伝統の存在である。」
 
「多摩川流域については、御嶽山・雲取山(三峰山の主峰)・甲武信ヶ岳・金峰山・大菩薩嶺など、古くから神仏習合した修験道山岳聖域に囲まれている。また石灰岩質の山が散在して鐘乳洞があると、山里に近い渓谷部まで胎内信仰で聖域化された。日原の鐘乳洞のように周域は一石大権現の聖域となっているのはその例である。」

「多摩川源流域の中核地域ともいえる奥多摩町が、全国市町村の中でも巨木数の多い自然林が残された背景には、御巣鷹山<生方注:この文脈での御巣鷹山は一般名詞>の存在があると考えられる。<中略>江戸将軍家をはじめ有力大名が江戸近郊の武蔵野台地を主な鷹場とした為、雛鷹を捕獲して江戸の鷹匠へ送り届ける必要があり、営巣自然林不可欠だったからである。」 

「多摩川源流域に関しては、江戸時代初期の承応2(1653)年から多摩川上流の羽村(青梅市)を取水口とする玉川上水が、江戸四ッ谷大木戸までの約 50km の間に導水されて、武蔵野台地の開拓と、江戸市民への給水に多大な貢献をしていた。」

「明治維新後も<中略>首都東京の水と、水源林確保が重要視されていたことから、明治 34(1901)年に至り、多摩川源流域である西多摩郡の国有林と、若干の民有林を買収し、その後も付加されて<中略>東京府(都)水源林として自然林が保存される結果となった。」

より詳細については、長野(2005)をご覧ください。

長野(2005)のこの考察は、原生的自然の保護における山岳信仰および鷹狩のための鷹の供給源としての原生林維持、さらには水源林の重要性の認識が果たした役割を明らかにしたもので、今後の環境保全を進めていく上でも参考にすべき先人の智慧を伝えたものといえます。


次回予告
次回記事では四万十帯の個々の山の紹介の締めくくりとして、権現山生藤山についてとりあげます。


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山座同定のテクニック:
このシリーズ記事で採用している山座同定のテクニックについては、シリーズ初回記事に詳しく紹介してありますのでご参照ください。


引用文献

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 

長野 覺(2005)多摩川現流域の山岳信仰と自然保護に関する調査・研究
http://www.tokyuenv.or.jp/wp/wp-content/uploads/2011/02/5fd2cb3affa4fd05188913b73ea34edd.pdf

Wako Dental(2019 アクセス)大菩薩嶺 レポート 登山 (2015-1101) 
https://www.wakodental.com/archives/2621

ウィキペディア(Wikipedia):(山名の読み方、地質、人間社会とのかかわりなどの一般的な知識について参照した).


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