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2016-02-26 (Fri)
このほど、トンボ自然史研究所のフェイスブックを公開しました。

https://www.facebook.com/dranathis/

トンボ自然史研フェイスブック公開

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2016-02-25 (Thu)
お蔭様で、当ブログが、
「人気ブログランキング」の中の、「動物・生物ブログランキング」ジャンル:
http://blog.with2.net/rank2385-0.html
で、本日、週間1位にランクされました。

2月19日にこのランキングにエントリーしたばかりですので、最初の1週間での達成となりました。

ブラタモリにあやかった「天空の城下町(沼田)」シリーズの最新記事4本は、このブログとしては拍手数もおおくなっていて、関心をもっていただけたようです。

ローカルなジャンルでの順位なので、お山の大将(それもつかの間のもの)にすぎませんが、お山から周囲を見回す気分を味わうことで、今後のブログネタを思いめぐらす上でのエネルギー補給にはなりました。

そうそう、本丸たるトンボの話のほうでも精進したいと思います。


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2016-02-23 (Tue)
2016年2月13日にNHK総合TVで放送された、「ブラタモリ #31 真田丸スペシャル・沼田」:
http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list31/index.html
の中で、タモリ氏一行が河岸段丘の主丘、沼田台地へと急勾配を登った軽便鉄道「利根軌道」の軌道跡を談笑しながら歩み登るシーンがありました。

下の地図(クリックで拡大)で、太い緑線を入れた部分です。

戸鹿野橋付近、緑線書込み。地理院地図より
出典:地理院地図(太緑線は筆者が記入)。

私は高校卒業まで沼田台地の上の住宅地に住んでいましたが、利根軌道(下の写真:外部リンク)があったことを知る機会がないままこの放送の日を迎えました。

http://yamada.sailog.jp/photos/uncategorized/2013/11/09/gunma_tonekidou2_2.jpg
出典:(4)。

次のシーンでは、その軌道で使われていたというレール部材の実物が紹介され、更には、利根軌道で使われていた電気機関車の大型模型の工房(下の写真:外部リンク)で、タモリ氏と女性アナウンサーが試乗する様子まで放映されました。

http://digital.asahi.com/articles/photo/AS20151129001167.html
出典:(5)。

模型もビックリですが、沼田・渋川間を軽便鉄道が走っていたとはビックリポンでした。

この鉄道については、下の一覧のような参考サイトがありますので、詳細についてはそれらを参照されるとよいでしょう。

私が疑問を抱いたのは、利根鉄道が1918年に全線電化され営業を開始したたった6年後に、上越南線の開通に伴い廃止された(1)ところです。

もし、たった6年間の旅客・物資輸送のために、用地を買収し、軌道敷設工事、橋梁工事、架線工事をしたのであれば、投資した費用を運賃収入で回収しきれないうちに廃止に追い込まれ、経営としてなりたたなかったのでは、という疑問です。

しかし、少し調べたところ、この鉄道の経営者は損をしなかった可能性が高いと考えるに至りました。

というのも、利根軌道が電化する以前の1911年に馬車鉄道として開通していたということで、鉄路に関しては13年間の営業運転期間があったこと(1)。

利根鉄道の電気機関車は、足尾鉱山で鉱石運搬用に使われていた中古機関車を転用したため、初期投資の経費が削減されたこと(4)。

また、この路線が沼田 - 土合間に敷設された軽便線と連携していたことで、上越線清水トンネル工事の資材輸送の需要があったこと(1)。

私設鉄道の新規敷設の基準を大幅に緩和した「軽便鉄道法」が1910年に施行されたこと(7)。

加えて、軌間762mm以上の規格で建設された路線に対し、開業から5年間の間(後の改正で、10年間へ延長)は政府により5%の収益を補償するという軽便鉄道補助法が1911年に公布されたこと(7)。

ちなみに、この政府補償導入は「軽便鉄道」の敷設ブームを引き起こしたという(7)。

沼田までの上越南線の開通により並行線となった東京電燈の軌道線(旧利根軌道)は営業を廃止し、地方鉄道法における補償(578,150円)を受けた(1)。

ちなみに東京電燈は今の東京電力であり、当時は鉄道事業にも進出していたことがわかる(3)。

***

というわけで、利根鉄道の6年間の電車運行は、経営者にとって悪くはなかったようです。

利根鉄道と私の唯一の接点は、利根鉄道が沼田市戸鹿野で利根川をまたぐ橋梁の橋げた(下の写真:外部リンク)の根元部分の岩場です。

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-49-64/kyodain/folder/434881/51/10437851/img_1?1357654381
出典:(6)。

上掲の地図では、中央少し下の「+マーク」のある位置です。

実は、この橋げたのある川岸は半世紀前までの沼田の子供たちの格好の水泳場だったのです。
この部分は利根川の川幅が狭まり、両岸が岩であるため、水深が深く、岩の上から飛び込んでも川底にぶつかることはありません。
この起伏の多い岩場に腰かけて、背中いっぱいに夏の日を浴びたことを、昨日のことのように思い出します。

利根川の流れは勢いがあり、それを横切って対岸まで泳ぐのは泳ぎを覚えたての私には大きな試練でした。

沼田台地上の市街地から、沼田公園(城址公園)の空堀の底の小道を降りて薄根川(少し川幅が広く、適度に深みもある、茶碗淵とよばれていた場所)に泳ぎにいくことが多かったのですが、水泳教室など、人数が多く中級者もまざる場合は長い下り坂を下って、戸鹿野のこの橋げたのある岩に出かけたものです。

私が中学校に入学した1960年頃から、沼田小学校ほかに学校プールが作られるようになり、川へ出かけての水泳は激減しました。

「水辺の土木遺産」(6)の著者は、この橋げたは利根川の左岸に水路式発電所を建設するために、発電機本体や資材を運ぶための支線としてに架橋された(竣工は1923年)ものであるとしています。

この方は、この橋の建設に関与したご自身の祖父が残したその時の写真やメモをもとに、そのように結論しておられます。

ただ、私には疑問が残ります。
もしそうであれば、沼田へ向かう利根軌道の電車はどの橋を渡っていたのでしょうか?

すぐ横に、もう一つ橋はあります。
(6)の著者によれば、県道269号線に架けられた鋼ワーレントラス(業界用語!)のこの橋、戸鹿野橋(現在も稼働中)は1924年竣工です。

このタイミングを考えると、県道269号線のこの橋は上越線開通に伴い廃止された利根鉄道の通っていた橋を壊して、より頑丈なものに架け替えたものである可能性もあります。

もしそうだとしても、(6)の著者が言われるように、支線のための橋梁を在来の橋と平行して架ける必要性がわかりません。
橋を渡ったあとから支線を分岐すればよいわけですから。

私は今のところ、この産業遺産ともいえる橋げたは、他の多くの方同様、利根軌道のものであろうと考えています。
ただし、別の可能性も否定できません。

というわけで、謎が残されました。

もうすでに解決しているのかもしれませんが。。。

ご存知の方はコメント欄等でご指摘ください。


参考サイト一覧:

(1)ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E6%A0%B9%E8%BB%8C%E9%81%93
利根軌道

(2)群馬の廃線鉄道
利根軌道
http://www6.wind.ne.jp/kou-s/chungking/haisen/tonekidouline/tonekidou.html

(3)鉄道資料館
東京電灯 【鉄道】   ~ 鉄道資料編 ~
http://www.kigekiraumen.com/kippu/touden.htm

(4)やまだくんのせかい
 ― 人生に遊び楽しむ、やり残し無し ―
利根軌道
http://yamadas.blog.so-net.ne.jp/2013-11-09
http://yamadas.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%88%A9%E6%A0%B9%E8%BB%8C%E9%81%93

(5)朝日新聞デジタル
群馬)百年前の利根軌道、模型で再現 沼田の親子
http://digital.asahi.com/articles/ASHCV3HRMHCVUHNB002.html?rm=497

(6)水辺の土木遺産
群馬県沼田市 利根軌道 戸鹿野橋跡。
http://blogs.yahoo.co.jp/kyodain/10437851.html

(7)ウィキペディア
軽便鉄道法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%BD%E4%BE%BF%E9%89%84%E9%81%93%E6%B3%95



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2016-02-22 (Mon)
NHKテレビの大河ドラマ「真田丸」で真田昌幸の長子、信幸が城主として天守閣を築くなどその威容を整えた、沼田城。

その城下町が、2016年2月13日にNHK総合TVで放送された、「ブラタモリ #31 真田丸スペシャル・沼田」:
http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list31/index.html
で、その地形的特徴にフォーカスをあてて紹介されたことは記憶に新しい。

私が小・中・高校生時代を過ごした実家は、この城跡にほど近いところにありました。

城跡にはわずかな石垣と掘跡があるだけですが、自然豊かな公園として整備されています。

子供たちは、そこで、かくれんぼ、チャンバラごっこ、忍者ごっこ、探検ごっこ、木登り、虫採り、ソリ滑り、草野球などに興じていました。
もちろん私も、ガキ大将やミソっかすに交じってその輪の中にいました。

沼田城址(沼田公園)周辺の地図(クリックで拡大):

沼田公園周辺地図ー地理院地図より
地図の出典:地理院地図:
http://maps.gsi.go.jp/?z=10&ll=35.93998,139.75903#17/36.648486/139.040115

上の地図で、沼田公園の文字になかば覆われた花壇の園路のある広場一帯が本丸で、そのすぐ上(北)の鳥居のマーク(英霊殿)のところは小高い丘になっていて、そこに関東で江戸城と並び称される5層の天守閣があったといわれています。

もっといろいろご紹介したいところですが、残念ながら現地写真の手持ちがありません。

今年3月に久しぶりに沼田に里帰りする予定がありますので、その機会に城の遺構や史跡説明板などを撮影してきたいと思います。

このサブタイトルでの次の記事では、それらの写真や資料を添えてこの話題をもう少し掘り下げることにします。

お楽しみに。


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2016-02-21 (Sun)
NHKテレビの大河ドラマ「真田丸」の舞台の一つ、群馬県沼田市は、学齢期の私を育んだ町です。

2016年2月13日にNHK総合TVで放送された、「ブラタモリ #31 真田丸スペシャル・沼田」:
http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list31/index.html
では、真田家として初めて沼田藩主を務めた真田信之(信幸)の正室である、小松姫(本多忠勝の長女)の墓所(沼田市の正覚寺)が紹介されました。

沼田での「ブラタモリ」は河岸段丘を主テーマとした散歩であったため、沼田城址そのものも、信之の長男で沼田藩を引き継いだ真田信吉の墓所も散歩先に入っていませんでした。

私は小学生のときに信吉の墓所を訪れていますので、そのときのエピソードを紹介したいと思います。

「ブラタモリ」では、真田藩主が台地上に開いた用水路をタモリ氏らが探訪していました。
沼田城から600m東でその用水路と隣接する位置に天桂寺があり、その敷地内に信吉の墓(写真:外部サイト)があります。
http://livedoor.blogimg.jp/tigersdream/imgs/d/5/d588d8b4-s.jpg
(リンク先:Tigerdreamの上州まったり紀行

私が沼田小学校4年生だったときに、担任のM先生(男性)は実践家で、馬頭観音や庚申塔の拓本採りを体験させるなどして、私たち児童が楽しみながら歴史に興味をもつように導いてくれました。

夏休みの自主課題の一つとしてだったでしょうか、私は2,3人の友人と天桂寺の墓地を訪れ、信吉の墓の正面に和紙をあて、墨をつけたポンポンで叩いて、拓本を採っていました。
すると、そこに30~40歳くらいの男性があらわれて、私たちに講釈を始めました。

男性:「この人は、ぺルリ*が日本に来た頃の人で偉い殿様の墓だよ。」
私たち:「ふーん。そうなんだ。。。」
私には「ぺルリ」という人物名は初耳で、妙に耳の奥に残りました。

あとで社会科の教科書に「ペリー」という人物を見つけた際に、「あー、ぺルリとはこの人だな。」と天桂寺のエピソードが蘇りました。
それと同時に、信吉が活躍した戦国時代から江戸時代初期と、幕末のペリーの来航とは200年もずれていることにも気づきました。

そういうわけで、天桂寺の親切なおじさんの話は、そのまま覚えてしまうとテストでバツがついてしまう内容を含んでいたことになりますが、それでも、なんとなく歴史への興味を繋ぎとめるる効果はあった。

いまの小学生なら、その場でスマホで検索してしまうかもしれません。
おじさんの出番が少なくなるご時世になりました。

さて、次の記事では、沼田城の本丸に迫る予定です。

お楽しみに。

*ペルリという日本語表記については、来航当時から終戦後しばらくまではそう呼ばれていたようで、岩波文庫にも『ペルリ提督日本遠征記』(1955年) があります。

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2016-02-20 (Sat)
2016年2月13日にNHK総合TVで、「ブラタモリ #31 真田丸スペシャル・沼田」:
http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list31/index.html
が放送されました。

群馬県沼田市は、私が小学校から高校までを過ごした土地ですので、かぶりつくように視聴しました。

沼田駅の跨線橋に登って眺めた先には日本最大の河岸段丘といってもよい沼田台地が横たわり、そこでタモリ氏の口から出た言葉は「僕は大学に入学して真っ先に沼田に来た。この河岸段丘を見に。僕は地学が好きでね。」。

タモリ氏と地学の間に縁があったとは意外や意外。
そういう私も中学時代は地歴部と地学部に所属していたので、思わぬところで守備範囲が重なりました(笑)。

河岸段丘は通常、地理の教科書に出てくるので社会科の先生が扱いますが、実のところ自然地理学の対象です。
なのでタモリ氏が「地学」と口にしていたことに違和感を感じる人もあるでしょうが、妥当な表現であったといえます。

ちなみに、私が在職していた大学の教員養成学部の社会科の教員団の中で、自然地理学担当教員は唯一、理系の学部・大学院出身でした。

話が横道に反れてしまいました。

沼田の河岸段丘は、南北に流れる利根川、それに東から合流する薄根川、片品川の3つの川に削られて出来上がったものです。

下の図で、「+印」の場所が沼田城天守閣の位置、その左(西)に南北に流れる利根川、北に薄根川、南に片品川が見えています。

沼田盆地、地形、電子国土より-crop
出典:地理院地図(電子国土Web)
http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.640738,139.063139&z=14&base=std&ls=relief&disp=1&vs=c1j0l0u0#14/36.648727/139.039793

では、削られる前の沼田台地はどうやって形成されたのでしょうか?

私が中・高校生のころ、自宅にあった『沼田町史』をめくって身につけた知識は、沼田盆地が一つの大きな湖だったこと、その縁が切れて侵食が進み、沼田台地を残して深く、また段差を持つ河谷が形成された、というものでした。

今回、ネット検索したところ、その後の研究でもそれは裏付けられ、詳しい層序や編年が明らかにされていることが確かめられました。

まずは久保氏の論文(下記)から。

久保誠二 1968: 群馬県沼田盆地に分布する礫層および湖成層とその堆積構造。地質学雑誌、74:499-509.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/74/10/74_10_499/_pdf

それによると、以下のストーリーが読み取れます。

棚下(上の図で、片品川合流点の下流で急にU字型の蛇行をしている部分)で赤城山(図の右下の枠の直下に山頂)からの火砕流と子持山(図の左下に山頂)からの火砕流がぶつかり、利根川をせきとめたことで古沼田湖が形成された。

このせき止めには少なくとも3回の火砕流による上積み(ダム高のかさ上げに相当)があった。

沼田の湖成層はAからEまでの5層があり、その境界のいくつかは、この上積みのイベントと関連しているようだ。

沼田台地の平坦な面を覆う沼田礫層は、古沼田湖の水位がいくらか低下した後に赤城火山方面から供給された砂礫が扇状地を形成しながら堆積したものである可能性が高い(片品川上流からの供給ではない)。

***

段丘の形成については、この論文では触れていませんが、次の論文で考察がなされています。

竹本弘幸 1998利根川水系片品川流域の地形発達史-赤城山の活動とその影響について-地理学評論、71A-11:783-804.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1984a/71/11/71_11_783/_pdf

それによると、以下のようなことが述べられています。

約20万年前に沼田面(沼田台地の上位面)の形成が始まり、この時期は赤城新期成層火山形成期に対応する。

約13~10万年前の新期成層火山前期後半には、赤城山の噴出物によって利根川が一時的にせき止められ、それによって成立した古沼田湖の影響で河谷の埋積が進んだ。

約10万年前の赤城山の新期成層火山活動前期の終了とともに、河川は下刻に転 じた。

6万年前ころから再び谷の埋積が始まるが、これは北アルプスの立山などで最終氷期前半の氷成堆積物が形成された時期と一致する。ただし、赤城山の火山活動による一時的な河床上昇 もあったと考えられる。

約5万年前には側刻が卓越し、広い侵食段丘面が形成された。

最終間氷期以降の片品川上流と赤城山からの礫供給は,片品川・利根川の河床上昇をもたらし、広い堆積段丘を作った。
その後の侵食の復活により、更に多くの河岸段丘が形成されていった。


***

上記論文では、下刻に転じる理由が述べられていませんが、これは、おそらく次のようなことによるでしょう。

せき止められた部分のカットダウンが、時にはイベント的に崩落することで、また時には連続的にジワジワと削り下げることで、沼田盆地の出口(棚下あるいはその上下流部)の河床が下がることで、それより上流の水系全体で下刻が促進されるようになるのでしょう。

私の育った家がある沼田台地は、学生時代の帰省で沼田駅の改札口を出ると、両手を広げるように私を出迎えてくれました。
その懐に誘われるかのように、汗をかきながら急坂(滝坂)を一歩一歩登ったものです。

この記事の続きでは、真田家も登場する沼田の城下町について、私の経験も交えて綴ってみたいと思います。

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| 地球科学 | COM(1) | | TB(-) |
2016-02-19 (Fri)
今日(2月19日)は、移動性高気圧に覆われ、さいたま市は朝から快晴。予想最高気温は16℃。

近くの樹林の多い公園では何か虫たちが飛んでいるかもしれない、また可憐な花々が咲きだしているのではと、早目の昼食もそこそこに、カメラを片手に出かけました。

トンボはもとより、ふわふわ飛ぶ小型双翅目(ハエ目)の姿も目にしませんでしたが、シジュウカラの番がしきりに鳴く林に続く道端には、可憐なオオイヌノフグリVeronica persicaの花があちこちに仰向けの姿をさらしていました。



少し移動した先の南向きの土手斜面の草むらには元気にカントウタンポポTaraxacum platycarpumの花が輝いていました。
総花は皿のように大きく広がって、なかなか見事です。
セイヨウタンポポに負けないでいつまでも命をつないでと声をかけたくなります。



ほかの花や虫が見当たらないので車で移動して桜区役所の敷地へ。
狙いは早咲きの桜です。

駐車場周りに植栽されたカワヅザクラCerasus speciosa x C. campanulataは五分咲きで、ほんのりと蜜の香りを漂わせていました。



いくつかの木を順に見ていくと、1本の木では、2,3匹のミツバチがも蜜と花粉を集めにきていました。

IMG_1561-cropーedit-credit-s

後脚の脛節にある「花粉バスケット」にたっぷりと花粉団子を練り込んで、せわしなく、一つの花から次の花へとブンブン移動して蜜を吸っていました。
ミツバチさんに、なんだか元気をもらった気分で家路につきました。

明日はまた冬に逆戻りのようです。

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2016-02-15 (Mon)
これまでに記載された、トンボ目(Odonata)に属するすべての種のリストが閲覧できるサイトがあります。

World Odonata List (世界のトンボ目のリスト)
Compiled by Martin Schorr and Dennis Paulson
http://www.pugetsound.edu/academics/academic-resources/slater-museum/biodiversity-resources/dragonflies/world-odonata-list2/

まさに圧巻です。

世界のトンボ全種、約6000種が科までは分類順に配列され、科の中では属・種のそれぞれがアルファベット順に配列されています。

そのため、ブラウザーでスクロールダウンするだけで、トンボの系統進化にともなう分岐と多様化が手にとるようにわかります(ただし、現存種についてだけですが)。

たとえば、どの科が属の数が多いかとか、どの属が種の数が多いとか。。
そして、種が多い属は地史的時間の中で比較的最近現れ、新しい生活様式で多様な環境に進出したものかもしれません。
一方、1科が1属からなり、種の数も数えるほどのものは数億年前の生き残りがかろうじて残されているのかもしれません。
そんな、生物進化のロマンを掻き立ててくれます。

科より上の亜目の取り扱いはどうなっているでしょうか?

20世紀末までは、現存のトンボ目は大きく、均翅亜目、ムカシトンボ亜目、不均翅亜目の3つの亜目に分類されていましたが、その後、現存のムカシトンボ科を不均翅亜目の中の一系統に含め、その結果ムカシトンボ亜目を認めない分類体系が優位に立つようになりました。ムカシトンボ科の数少ない分布国の一つである日本でも、それを受け入れて2亜目にしている本も出ています(尾園・川島・二橋『日本のトンボ』文一総合出版、2012年)。

ごく最近、分子系統解析と形態解析とを総合して検討した上でムカシトンボ亜目を復活させる動きも出ています。
これら、亜目の取り扱いの最近における変遷については、以前の私の記事「トンボ目の系統樹」:
http://dranathis.blog.fc2.com/blog-entry-:46.html
に出典も添えて少し詳しく触れています。

今回ご紹介する世界トンボリストでも、ムカシトンボ亜目を独立させた3亜目のシステムを採用しています。
ただし、このリストの著者もムカシトンボ科を不均翅亜目に属させる分類体系の存在に言及しています。

次に、種より下のレベルの取り扱いです。

日本のトンボの図鑑では従来、亜種も種同様に並べてそれぞれ別の和名をつけて取り上げてきました。
しかし、これにはいくつか問題があります。

和名だけ並べたリストを見た素人は、それらすべてが種であると誤解します。
しかし、亜種はあくまでも亜種であり、一つの種の内部の地理的変異(それも形態的に区別可能なもの)に対して種同様に分類群の位置を与えたものにすぎません。

種と種の区別は相互に生殖隔離があるかどうかで峻別できますが、亜種と亜種の区別は恣意的な面があります。
したがって、亜種に種と比肩するような資格を与えるのは混乱のもとであるという考えが成り立ちます。

日本でも分類学者の間で亜種に和名をつけるのをやめようという動きが出ており、その場合、亜種に対しては種○○のどこどこ亜種(例:モイワサナエの西日本亜種)という標記を採用しています。

前述の尾園ほかの『日本のトンボ』は亜種に和名を与えない立場を日本で初めて採用した図鑑であり、英断であると評価できます。

今回紹介している世界のトンボ目リストでは、亜種は種と同様には扱わず、種のシノニム(同物異名)同様の扱いとしています。

少し長くなりました。

話を終える前に、このリストが作成される過程で、下記の労作が大いに参考にされたことを付記しておきたいと思います。

津田 滋(2000) 『世界のトンボ分布目録』 2000、、自刊。

また、今回紹介しているリストは頻繁に新しい知識により更新されており、最近ではアフリカからの60種の新種が一気に追加されたことが特記されます。

協力者の数も多く、そのリストの中には『日本のトンボ』の共著者の一人である二橋亮氏の名前も見えます。

このように地道に作成・維持されているリストは多くのトンボ研究者・愛好家のまさにプラットフォームになるものであり、Schorr、Paulson両氏はもちろん、協力者の方々の努力を称賛してやみません。


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| トンボ:系統と分類 | COM(0) | | TB(-) |
2016-02-07 (Sun)
「トンボにも恋愛感情はありますか?」
唐突ですが、これはある生物系専門学校の生徒から最近届いた私へのメール質問の一つです。

ほかにも三つほどトンボ関連の質問がありましたが、それらはトンボの本を調べればわかることなので本のタイトルや入手法を書いたものを回答としておきました。

このトンボの恋愛についての質問の答はどの本にも書いてないでしょう。

私も即答できませんので、少し調べてみました。

まず、「恋愛」とは何かですが、『広辞苑』第6版では「男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい」と説明されています。
辞典にはそれ以上のことが書いてないのでもどかしいのですが、「恋愛が成就する」ことは結婚もしくはそれに準ずる相互の太い絆の成立することにほかならないでしょう。
ですから、恋愛感情は、つまるところ、二人だけの世界をゴールにもつ、感情の高ぶりであるといえるでしょう。

以下、18歳未満の方が閲覧するには不適切な内容が含まれますのでご注意ください。

最近BBCのWebsiteの科学と自然の欄にすっきりまとめられた記事:
The Science of Love:
http://www.bbc.co.uk/science/hottopics/love/
には、恋愛感情(Fall in love)が次の三つの段階に区分されています。

1)性欲:ホルモンである、テストステロンとエストロゲンによって突き動かされる。とくにテストステロンは女性においても主要な性衝動を担っている。

2)誘引:恋に落ち、寝食を忘れて恋い焦がれる状態。ここではモノアミンと呼ばれる神経伝達物質の一群が重要な役割を果たす。

・ドーパミン:これはコカインやニコチンによっても分泌が促される快感物質。
・ノルエピネフリン(アドレナリン):発汗や胸の高鳴りをひきおこす。
・セロトニン:もっとも重要な化学物質で一時的に狂わせるほど。

3)接触:これがなければ「誘引」段階は終わらない。最終的に愛の結晶(つまり二人の子)ができることになる。ここでは二つのホルモンが神経系から分泌され、社会的結合の効果をもたらす。
・オキシトシン:出産や授乳でも分泌され、母子関係の強化の効果をもつが、両性間の性的結合のオルガスムの際に分泌され、両性間の絆を強める効果がある。
・バソプレッシン:オキシトシンと同じようなタイミングで分泌されるが、両性間の絆を長期的に維持する効果がある。

*  *  *  *

性欲から両性間の絆にまでかかわるこれらホルモンはハタネズミをはじめ、他の哺乳動物でも調べられており、動物界を通して、両性間の誘引や結合の行動傾向ににホルモンが作用していることがわかります。

さて、トンボではどうでしょうか?

残念ながらトンボでこれらのホルモンが調べれられた例はないようです。

しかし、ショウジョウバエではドーパミンが雄の求愛行動に影響することがわかっています(Lieu et al. 2008)。
面白いことに、ドーパミン濃度が高すぎると雄が雌だけでなく雄に対しても求愛行動をしきりにするようになるとのことです。

結論としては、おそらくトンボでもドーパミンが分泌され、特に雄が雌を探し回ったり求愛したりする行動を促していることが予想されます。
実験による検証と詳細の解明がまたれます。

Tong Liu et al. 2008. Increased Dopamine Level Enhances Male–Male Courtship in Drosophila. The Journal of Neuroscience, May 21, 2008 • 28(21):5539 –5546 • 5539.
http://www.jneurosci.org/content/28/21/5539.short

他の参考サイト:
THE NEUROCHEMISTRY OF SEX
By Walter Last
http://www.health-science-spirit.com/neurosex.html


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2016-02-05 (Fri)
私のフェイスブック仲間が本日シェアした画像の中に、ビックリポンなものがありました。

ミャンマーのマンダレー大学の
Sein Peさんが、
‎Entomology
https://www.facebook.com/groups/TheEntomologyGroup/
に2016.2.4.に投稿した写真(下記URL)です。

https://www.facebook.com/groups/TheEntomologyGroup/permalink/10153566978268393/

琥珀に閉じ込められたとんでもない頭でっかち、細長い首(実際は前胸)、小さい胸・腹の昆虫に、私は、思わず、「本物?」

コメント欄の書込みに、よく似た体型の虫の写真を添えてNecrophylus属の1種が紹介されていました。

アミメカゲロウ目Neuropteraの中でウスバカゲロウ(アリジゴク)類とは別の亜科ですが同じ下目に属しているものです。

関連した検索を少ししてみたら、Faluke Pacoさんによる、
Necrophylus arenariusのYoutube動画がみつかりました。(下記URL)

https://www.youtube.com/watch?v=2V3nCBNiers

細長い首(前胸)をまるでツルやフラミンゴが首を振るように(それほどではないですが)動かし長良、地面を歩き回り、餌を探している様子がよくわかります。

つまり、ネット上で最近よくある「偽画像」(fake)ではなく、本物として、こういう奇妙な形の生き物が存在し、今も地球のどこかを歩き回っていることが確信できます。

動画撮影者、Faluke Pacoさんのブログ(下記)にはこの種の生活の様子が簡潔にまとまっています。

http://faluke.blogspot.com.es/2013/10/necrophylus-arenarius.html

スペイン語での説明でしたので、Googleの自動翻訳(英訳)も参考にしながら、日本語に訳してみました(下記)。

Author: Faluke Paco (October 6, 2013):
Title: Necrophilus arenarius(アミメカゲロウ目に属する)
「Necrophilus arenariusの幼虫は、洞窟、地面の割れ目、亀裂などの中の埃や細砂を住みかとし、砂埃に半分隠れていて、あるいはその長い脚で地面の上を歩いて、そこにいる小さな昆虫を捕食する。
彼らの特徴は、餌を確保し捕える上で大きく突き出したり、掃き出せる巨大な前胸と、餌食を陥れるのに適応した堅牢でカーブした強力な顎である。
発育完了までの幼虫段階は、食物の供給量に依存して2~3年にもわたる。」
(生方秀紀、訳)


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