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2016-04-30 (Sat)
NHKテレビの大河ドラマ「真田丸」の中では脇役に甘んじていますが、真田信幸(信之)は、沼田城主として検地を行い、天守閣造営を含む城郭や城下町の整備をおこなったことで、その妻小松姫とともに沼田の人々に慕われている存在といえます。

沼田城の全景と信之・小松姫の石像については前回の記事でご紹介しました。

今回は、沼田城址の再探訪がいよいよスタートです。

下の写真は、今回の再探訪の中で城址公園内の案内板に描かれていた「上野国沼田城絵図」の主要部分です。
※写真はいずれもクリックで拡大します。

沼田城再探訪-5

江戸幕府3代将軍家光が正保年間(1644~1647)に、全国の大名に城の防備体制を絵図に描かせて提出させた、正保城絵図の一つで、真田氏第4代城主信政の時代の沼田城と城下町の様子が分かる非常に貴重な資料とのこと。原図は国立公文書館内閣文庫に所蔵され、大きさが1.76m×2.34mもある(上記案内版の説明文より)というのも驚きです。

沼田城(本丸、二ノ丸、三ノ丸、捨郭)の跡地は廃藩置県ののち荒れ果てていましたが、旧沼田藩士の子息である久米民之助が私財を投じて購入し、園地として造営したのち、沼田市(当時は町)に寄贈したということです。

この公園の正面入口(テニスコート[三ノ丸跡]と市の観光案内所の間にある)から歩き始めます。

※観光案内所は今回立ち寄りませんでしたが、利根教育記念館の跡地に最近たてられたもので、沼田市の真田観光への力の入れ方がうかがえます。

すると、正面に久米民之助(皇居の二重橋の造営をしたことでも有名)の胸像が鎮座し、私が子供の時と同様に来園者を迎えています(下の写真)。

沼田城再探訪-6

その左に歩を進めると、下の写真のように本丸跡の広々とした園地をバックに案内標識が目にはいります。

沼田城再探訪-7

本丸跡の園地にはいって西へ歩くと、鐘楼が目に入ります(下の写真)。

沼田城再探訪-8

この鐘は1634年に真田信之が城主を譲った信吉が鋳造したもので、群馬県の重要文化財になっています(前記事の年表参照)。

※太平洋戦争末期には家庭用の鍋釜やお寺の鐘なども戦争用に供出させられたといわれていますが、この鐘は戦争でも動かない重みがあったようです。鐘楼のほうは、私が子供の頃は、沼田市立沼田小学校(私の母校)の西校庭と堀跡をはさんだ南側の道路傍にありました。それが老朽化して取り壊されてから長い時間が経過していましたが、文化財としての価値が再認識され観光上のメリットもあることから、この地に再建されたのでしょう。私の中では町家に囲まれるように立ち、町内の人々に時を告げていた鐘楼(鐘撞き堂)のイメージがまだ濃く残っているため、城址公園内に再建された鐘楼には若干の違和感が消え去りません。

鐘楼の前に立ち、振り返ると、そこから本丸跡の園地の対角線方向(下の写真中央に見える鳥居[英霊殿]の向こう側)には天守閣のあった小高い丘が見えます。

沼田城再探訪-9

※写真左には3つの獣舎が写っています。いずれも小動物が飼育・展示されているものと思われますが、今回は見ている暇がありませんでした。

※私が小学生の頃は、タヌキ、アナグマ、キジ、ニホンザル(当時、一段と高いおおきな檻の中にいました)が飼われていました。
天守閣跡の向こう側にはツキノワグマの檻もあり、見学者が手にちょっとした餌をつまんで熊の眼の前で「おまわり」と声をかけると、熊は後足で立ち上がってヨタヨタと歩きながらターンをしたものでした。

話が横道に反れましたが、鐘楼の前を通り過ぎ、園地の西端に着くと、そこは小高い丘になっていて、その端には桜の古木が聳えています。
これこそ、沼田・利根で一番有名な桜の木である「御殿桜」(写真中央の曲がりくねった枝を持つ古木)です。

沼田城再探訪-10

※私が沼田市に引っ越してきた小学生低学年の頃、父がこの御殿桜の下に町内会のメンバーと陣取り、花見に興じていたシーンが瞼に浮かびます。

この桜の木は樹齢400年余と言われており、真田信之が城郭を整備した当時もすでに咲き誇っていたことになります。

北村明道の描いた真田時代の沼田城(蔵内城)の全景図前回の記事で紹介)にもこの桜は描かれています(下の写真の左上隅)。

沼田城再探訪-11

当時はこの御殿桜と肩を並べるかのように、二層とも三層ともいわれる(やぐら)が築かれていたことがこの図やこの記事の冒頭で紹介した図からわかります。

櫓といえばつきものは、石垣です。
それについては、次回ご紹介することにします。


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2016-04-29 (Fri)
このシリーズ記事の第3回で「幻の沼田城、その1」として、NHKテレビの大河ドラマ「真田丸」でおなじみの沼田城を取り上げました。

その記事の中で、真田昌幸の長子である信幸が城主となってから天守閣を築き、威容を整えたことや、後にその城址が公園となっていて私の幼少期の遊び場だったことなどについて、簡単に触れました。

その記事の結びでは、3月に帰郷の折に城址を訪れて、そこで撮影した写真も援用することでこの話題をもう少し掘り下げることを予告しました。

3月下旬のその日はうす曇りで風もなく、気持ちよく沼田城址のそこここを見て歩くことができました。

初めて訪れた場所ではないので、探訪という言葉は使えないのですが、じっくり見て回ったのは夏の帰省時に入園前の子どもや甥姪の手をひいて散歩した時以来、四半世紀ぶりなので、ずいぶん様変わりしていて、初めて訪れた人並みのワクワク感がありました。

私にはそれに加えて小学生当時の木登りや虫採り、三角べ―スでのソフトボールなどで遊び回った思い出のグラウンドでもあり、特別の思いが交錯するものでした。

さて、前置きが長くなりました。

まずは、沼田城の全景図をご紹介しましょう。
写真はいずれもクリックで拡大します。

沼田城再探訪1
 北村明道画。沼田公園内の案内板の一つ。筆者撮影。

いかがですか?

残雪の谷川岳層、その手前の三峰山をバックに5層の天守閣がそびえ立っています。
江戸時代を通じて、関東では江戸城を除いては他に例のない5層の天守閣を擁し、江戸城が明暦の大火で焼失した後には5層の城郭としては唯一だったといいます。
この名城が後代の城主の失政がたたって取り壊しになったのは残念なことでした

※この絵は、原画は昭和28年に描かれ、その後、市の観光事業の一つとして公園内に大型パネルに模写されたものと思われます。私が子どものころ見た覚えがあり、当時、すでにパネルの絵が色あせつつありましたが、今回は綺麗に描き直されていました。

城郭を整備し、この天守閣を築いた真田信幸(信之)とその妻、小松姫の石像が城址公園の本丸天守閣跡を背にして仲睦まじく並んでいます(写真)。

沼田城再探訪2
真田信之と小松姫の石像。沼田公園。筆者撮影。

石像の台座の上に所狭しと、5円や10円の硬貨が6枚ずつ密集して並べてあるのを発見しました。
この写真も拡大するとそれが見えます。
どうやら、六文銭にあやかった見学者・観光客の願掛けのようです。
ローマのトレビの泉の真田版といったところでしょうか。

※この石像とのスリー・ショットの写真を同行者に写してもらっていたら、その場にいた私と同年配の男性に「信之に似ているね。」と言われました。
戦国の有名武将と似ているといわれて悪い気はしませんでした。
たしかに顔の輪郭と口元は似ていなくはないかなと。
ただし、百戦錬磨の武将の眼光の鋭さとは比べるべくもありません。

ご参考までに、沼田城の歴史についての説明版の内容、を以下の2枚の写真でご紹介します。

3田城再探訪3

沼田城再探訪4
 沼田城関係歴史。沼田公園内の案内板の写真を2分割したもの。筆者撮影。

次回の記事ではいよいよ、堀や石垣を巡っての城址再探訪スタートです。

お楽しみに。


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2016-04-27 (Wed)
春ですね。

自宅の庭のプランターに去年植えたホメリア(南アフリカ原産)たちもスラリと首を伸ばし、陽気に花を咲かせています。

朝、食事をしているとベランダの窓越しに、そのホメリアの花から花へとせわしなく飛び回る黒色系の蝶が目にはいりました。
たいていの蝶は、まもなくするとどこかへ飛び去ってしまうのですが、今回のこの蝶はなかなか離れません。
それならと、食事を中断し、一眼レフを首にかけて玄関をくぐり、現場へ直行。

間に合いました。
例によってISO感度やシャッター速度を調整しながら、バシャバシャとシャッターを押します。
そのうちの、比較的よくとれた2枚をまず、ご覧いただきます(写真1,2)。

Papilio protenor_160426_1
 写真1.ホメリアから吸蜜するクロアゲハPapilio protenor春型雌、その1
    (クリックで拡大します。以下同様)

Papilio protenor_160426_2
 写真2.ホメリアから吸蜜するクロアゲハPapilio protenor春型雌、その2

そうこうするうちに、この花が8株程度生えそろっているプランターでのとまり替えをやめ、1,2メートル離れたバラの枝葉にとまり、翅を拡げました(写真3)。

Papilio protenor160426_3
 写真3.バラの枝葉上で休息するクロアゲハPapilio protenor春型雌、その2

吸蜜を繰り返している間は翅をバタバタさせていて、両翅の表面が同時に写った写真はとれませんでしたが、バラの葉の上では、どうぞご覧くださいとばかりに、ポーズを決めてくれました。

図鑑とフェイスブック上の友人に相談した結果、クロアゲハPapilio protenor春型の雌でまちがいないことがわかりました。

雌だけに、腹部がレモンの実のように膨れていて、中に卵またはその前段階の細胞がたっぷりあることを思わせます。

写真をじっくり見直すと、写真をとっているときには気づかなかったことが見えてきます。

写真1では右前脚がホメリアの雄蕊に添えられています。
ムチのようにしなやかに曲がりながら一番深いところの蜜をさぐる口吻が挿入しやすいように、雄蕊をかきわけているかのようです。
しかし、よく見ると雄蕊は互いに癒合して太い管のようになっていて、簡単にまがるような代物ではなさそうです。
結局、蝶がぱっととまりかえたときに、たまたま爪がかかったのがこの蝶の右前脚の場合は雄蕊だったということのようです。

写真2では、口吻の先がいとも簡単に一番深い蜜腺のあたりに届いている様子がわかります。

写真3を拡大すると、左触角の中ほどに黄色い小さな粒がついているのが見えます(ブログ写真では厳しいかもしれません)。
触角も雄蕊に触れることがありますので、これは花粉でしょう。

他の写真の拡大では脚にも花粉らしきものがついていました。

蜜をもらい、お返しに花粉を運んであげる-いい関係ですね。

神がつくったかのような麗しい関係ですが、これも互いに騙し騙されの繰りかえしの中で進化的に安定なかたちにおさまっただけというのが進化学に立脚した生態学からの観方です。


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2016-04-23 (Sat)
昨日の記事「ヒメクロサナエとの出会い」に書いたように、やや大きい川の中流部の、傍流ともワンドともつかない浅い水辺の石にニホンカワトンボMnais costalis[2016年9月17日追記:採集地点はDNA分析からはアサヒナカワトンボが分布する地域に含まれており、アサヒナカワトンボMnais pruinosaである可能性のほうが高いことが判明しました。詳細についてはこの記事参照]の♂がとまっていてるのを見つけました。

下がその時の写真です。

Mnais_costalis_160422-a
 ニホンカワトンボMnais costalis[追記:アサヒナカワトンボMnais pruinosaの可能性が高い]の♂
   ※写真はクリックで拡大します。

4月6日の記事のときの個体は、あきらかに羽化当日のもので、複眼には不透明感があり、翅を染めるオレンジ色の発色も鈍い印象を与えていました。

ところが今度はどうでしょう。
ぐっと近づいて撮影した写真をごらんください(下記)。

Mnais_costalis_160422-b
 ニホンカワトンボMnais costalis[追記:アサヒナカワトンボMnais pruinosaの可能性が高い]の♂

胸部背面、腹部の基部や先端数節はうっすらと白粉を装っています。
そうです。化粧をしたのですね。
人間と違い、トンボではこのように♂のほうが♀よりも厚化粧します。
シオカラトンボは♂、ムギワラトンボはシオカラトンボの♀の別称、これはご存知ですね。

更に、翅の縁紋(翅の前縁の先端近くにある小さな“エンブレム”)も見てください。
羽化直後は白かったものが赤みを帯びてきています。

Possible_habitat_of_Mnais_costalis_160422

今は、写真のように河原の石の上にとまって(もちろん、木の枝や草の葉にもとまるでしょう)もっぱら体づくりに専念していますが、まもなく訪れる恋の季節に向けて、カワトンボたちもドレスアップや化粧も怠りがないようです。

最後の写真(下)は、この個体がいたすぐそばの「傍流」です。
カワトンボの幼虫には本流は流石がきついので、このような傍流はほっとできる場所にちがいありません。
洪水の時は一緒ですが。

あと1週間もすれば、なわばり(territory)の覇権をめぐっての橙色型♂同士のアクロバチックな空中戦が見られるようになるでしょう。

付記(2016年9月17日):
DNA解析を扱った論文を参照した結果、同定結果の誤りを訂正すべく、本文中に追記しました。またタイトルの二ホンカワトンボをカワトンボに変更しました。


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| トンボ:形態と機能 | COM(0) | | TB(-) |
2016-04-22 (Fri)
今日は朝から好天。

一昨日出かける予定だったのが急用のためとりやめになった、県西部山地へのトンボ探訪を2日遅れで実行しました。

最初は、やや大きい川の中流部で遠浅になったところで、サナエトンボ類の羽化探し。
岸沿いを歩き、水辺の河原を見て歩きましたが、羽化個体はおろか、羽化殻も見当たりませんでした。

その代わりというわけではありませんが、傍流ともワンドともつかない浅い水(それでも濁りはきになりません)のそばの河原の大きい石にニホンカワトンボの雄がとまっていて、飛び立って虫を採っているのを発見し、写真に収めることができました。
4月6日の記事のときの個体とくらべて(場所は違いますが)、体もしっかり硬くなり、たくましくなっていました。

この中流部を後にし、より上流部のそれも支流の沢に移動して、ふたたびトンボを探しました。
あまり期待できないかなと思いかけたその時、沢の水辺付近からカゲロウのような頼りない飛び方で舞い上がったトンボがいるではありませんか。それも私のすぐ近くで。

沢の斜面に生えている、撮影に手ごろな高さの草(シダの葉)にとまってくれました(下の写真)。

Lanthus_fujiacus_male_160422__a
 ※写真はクリックで拡大します。

垂れさがった葉の先端近くに、ぎこちなく、やっとこさという感じでぶらさがっています。
小型のサナエトンボ科の種ですが、私とは初対面。
帰宅後、写真と図鑑を照らし合わせ、ヒメクロサナエLanthus fujiacusの雄であることがわかりました。

さて、この個体ですが、しばらくすると翅をばたつかせながら、葉をたぐるようにゆっくりとよじ登り始めました(下の写真)。
脚が太長いですね。

Lanthus_fujiacus_male_160422__b

なんとか、葉の水平な部位にたどり着くところまでよじ登ることができました(下の写真)。

Lanthus_fujiacus_male_160422__c

ほぼ水平な部位に落ち着いた後は、ゆっくりと時間のたつのを待っているかのように、じっとしています(下の写真)。

Lanthus_fujiacus_male_160422__d

こうなると撮影会状態です。
ただ、カメラを無理な体制で構えて斜め上から撮ろうとしないと、腹の先が別の葉にかくれてしまったりと、なかなか大変でした。

下の写真はそんな中、100枚単位で爆撮りしたものからのセレクトですが、頭の先から尾の先までピントが合うことを目指していながら、まだ全然です。

Lanthus_fujiacus_male_160422__e

フェイスブック上では、そうそうたるプロ・セミプロの昆虫写真家の方々が惜しげもなく撮影テクニックを披露して下さっていますので、門前の小僧が読むお経くらいには写真の腕を磨きたいものだと思うこのごろです。

毎回、新しい出会いがあり、これからのトンボ探訪への期待は高まる一方です。


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| トンボ:生態写真 | COM(0) | | TB(-) |
2016-04-11 (Mon)
私の旧いトンボ友達の一人、Ken Tennessenさん(アメリカ)から、「トンボの俳句の本を出したので、日本の人に広めてもらえないか」とのメッセージが届きました。

タイトルは、''Dragonfly Haiku"(トンボの俳句)、著者はKobayashi Issa, Ken Tennessen, and Scott Kingとなっています。

もちろんIssaは小林一茶、日本人にはおなじみの江戸末期の俳人です。
一茶と、アメリカのトンボ研究者のとりあわせの妙、それにテーマがトンボとなれば、まずは読んでみたくなります。

注文して2週間ほどで海外のネット書店から1冊が届きました(写真)。

Dragonfly_haiku_by_Tennessen_and_King

読了してからの写真なので、本に開きぐせがついています。

本は、序文に続いて一茶のトンボに関する句とそのKingさんによる英訳と訳注、 Tennessenさんの句、Kingさん (以下敬称略)の句の順の章立てとなっています。
全103頁。

小林一茶は生涯に約22,000句を残し、そのうち蜻蛉を詠みこんだものが84句知られています(一茶研究会 一茶弐萬句データーベース作成プロジェクト、 2016)。

一茶の句の多く(約1万句)は、すでにDavid G. Lanoue (2016) によって英訳され、ウエブサイトで自由に閲覧できるようになっています。

今回、Kingは、一茶によるトンボ関連31句について、Lanoueの訳を全面的に参照しつつも、新しい解釈のもとで改訳しています。

私が見るに、Lanoueの訳が原文にかなり忠実なものであるのに対し、King によるものはトンボの生態についての知識や経験に裏付けされ、更に作者の一茶、訳者そして読者がその句から何を感じ取るかについて大胆な解釈を採りいれている点で、オリジナリティーが付加されています。

以下に、各章の中から私の気に入った2句とその訳を紹介したいと思います。
英語の俳句には私の訳句を添えてみました。


一茶の句:
(Haiku by Issa, translated by Scott King)

蜻蛉やはったとにらむ富士の山

The dragonfly --
who can stare longer
at Mount Fuji?


朝寒もはや合点のとんぼ哉

Cold morning
slow to get out of bed
the dragonfly


Ken Tennessenの句:
(Haiku by Ken Tennessen, translated by Hidenori Ubukata)

The path winding
ever skyward
is the dragonly's

天高く巻き昇りたるとんぼ哉


Yesterday's song
afloat --
a dead dragonfly

在りし日の唄が漂う浮き蜻蛉


Scott Kingの句:
(Haiku by Scott King, translated by Hidenori Ubukata)

The red dragonfly
a small amount of sunset
trapped in its wings

落日の朱を羽根に留め赤蜻蛉


One dragonfly --
even the most silent of ponds
comes alive

とんぼ来りて静寂の池の息吹かな


引用文献:
(Reference)

Kobayashi Issa, Ken Tennessen, and Scott King (2016) Dragonfly Haiku. Red dragonfly Press, Northfield MN.
http://www.odonatacentral.org/docs/Haiku_release.pdf

一茶研究会 一茶弐萬句データーベース作成プロジェクト (2016) 一茶の俳句データベース(一茶俳句全集V1.30).
http://ohh.sisos.co.jp/cgi-bin/openhh/jsearch.cgi?group=hirarajp&user=guest/

David G. Lanoue (2016) Haiku of Kobayashi Issa.
http://haikuguy.com/issa/

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| 文芸 | COM(0) | | TB(-) |
2016-04-07 (Thu)
オツネントンボSympecma paediscaは、トンボの中でも珍しい成虫越冬をする種です。

昨日の埼玉県西部丘陵地・低山地へのプチ遠征で、私を最初に出迎えてくれたのは、このオツネントンボです。

長い冬を風雪のシェルターとなる物陰に隠れて過ごし、春の陽気を感じるとおもむろにそこから這い出し、懐かしの水辺を求めて飛び立つのでしょう。
体の色が淡褐色をしているのは、それらシェルターになる枯葉や枯草の色に似ていることで(隠蔽色)、鳥獣による捕食を免れる効果をもつに違いありません。

今回は溜池の枯れヨシにとまる1匹の♂を写真にとることができました(写真)。
クリックすると拡大します。

Sympecma_paedisca_160406A
オツネントンボSympecma paedisca

Sympecma_paedisca_160406B
オツネントンボSympecma paedisca

複眼背面をよく見ると左右それぞれに鮮やかな水色のスポットが一つずつあります。
これは越冬前や越冬中にはなく、水辺での婚活が主要任務となる春先の雄が装う婚姻色です。
ある方のフェイスブックでの本種♂の写真に反応して、私が書き込んだコメントは、
「サファイアのエンゲージリングですね」
でした。

と盛り上がったところですが、つぎは少し野暮な話になります。
写真をパソコンで拡大してはじめて気づいたのですが、とまっていたヨシの枯れ茎にはクモの網がかかっていてるではありませんか。
下手をすると羽化してから約9カ月間つないできた命を一瞬のうちに落とすことになったかもしれません。
でも、オツネントンボはそれほど間抜けではないのかもしれません。
だからこそ、現在までも生き残っていると。。。

オツネントンボに関しては、このブログでも以下のようり何度か記事を書きました。
よろしければご笑覧ください。

オツネントンボ:錦秋の山頂駅でお出迎え

オツネントンボ♀:冬の貴婦人

トンボの寿命は何年くらい?

オツネントンボ♀(2):貴婦人の身づくろい

オツネントンボ(3):成虫越冬も悪くない?

昆虫の越冬:自然淘汰が操る物理化学


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2016-04-06 (Wed)
カワトンボ科(Calopterygidae)のカワトンボ属Mnais)の種の分類は日本のトンボ研究者の果敢な挑戦を跳ねつけてきていましたが、今世紀に入って、形態・分布に加えてDNA解析という武器を前にしてとうとう白旗を揚げたことは、日本のトンボ研究者・愛好家の記憶の中でまだぬくもりを残しています。

さて、DNA解析をこの問題解明のために導入した二橋亮さんらは、従来1種3亜種とされたほか、2種、3種、4種など諸説があったカワトンボ属の分類を、二ホンカワトンボMnais costalis SelysとアサヒナカワトンボM. pruinosa Selysの2種に見事に落ち着かせました(二橋、2007)。

私が大学生以来住んでいた北海道には二ホンカワトンボのみが分布し、私も大学院生の頃、いくつかの生息地に通い詰めて行動や生態を研究したものです。

さて、埼玉県に転居して4年目になる今年は、昨年までの市内中心の観察から転じてプチ遠征により、より多くのトンボの種と友達になる方針をとりました。

その手始めに、今日、快晴の天気予報をに後押しされて、県西部の丘陵地、低山地へのトンボ生息地回りを敢行しました。

フェイスブック仲間からの最近の情報から、オツネントボ、シオヤトンボ、あわよくばムカシトンボの羽化直後個体を期待しての水辺巡りでしたが、あにはからんやカワトンボ属の羽化直後の個体を数個体観察・撮影することができました。

ニホンカワかアサヒナカワかの同定は微妙なところがあるため、補虫網を久しぶりに解禁し、無事1♂1♀、いずれも撮影後にネットインし、標本として持ち帰りました。

主に尾園・川島・二橋「日本のトンボ」の記述を参考に、撮影・採集した個体をニホンカワトンボと同定しました[2016年9月17日追記:採集地点はDNA分析からはアサヒナカワトンボが分布する地域に含まれており、アサヒナカワトンボである可能性のほうが高いことが判明しました。詳細についてはこの記事参照]。

以下の写真はそれらをトリミングしたものです。
いずれもクリックで拡大します。

Mnais_costalis_160406_A
二ホンカワトンボMnais costalis[追記:アサヒナカワトンボMnais pruinosaの可能性が高い] 橙色型♂

Mnais_costalis_160406_B
二ホンカワトンボM. costalis>[追記:アサヒナカワトンボMnais pruinosaの可能性が高い 透明型♂

Mnais_costalis_160406_C
二ホンカワトンボM. costalis>[追記:アサヒナカワトンボMnais pruinosaの可能性が高い 透明型♀

今日はこれ以外に、オツネントンボを溜池で観察・撮影できましたが、シオヤトンボ、ムカシトンボには会えませんでした。
はたして、お預けなのか、そもそもそこにはいないのか、それは今後の宿題となりました。

引用文献:
二橋 亮,2007,カワトンボ属の最新の分類学的知見,昆虫と自然,42(9):4-7

付記(2016年9月17日):
DNA解析を扱った論文を参照した結果、同定結果の誤りを訂正すべく、本文中に追記しました。またタイトルに「?」をつけました。

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2016-04-05 (Tue)
ハッチョウトンボNannophya pygmaea (生態写真:外部リンク*)は日本にも分布する世界最小級のトンボです。

江戸時代の文化・文政年間(19世紀前期)にはすでにその存在が尾張藩医で本草学者の大河内存真に認識され、名古屋市の矢田川沿いにあった「矢田鉄砲場八丁目」にちなんで、このトンボの和名が名づけられたと言われています。

つい先日、私の旧い友人である金城学院大学の小野知洋教授から、「『張州雑志』に登場するハッチョウトンボと思われる記述」と題した論考の別刷が送られてきました。

その内容は、大河内存真から数十年遡る安永・天明年間18世紀中期から後期にかけて、内藤東甫(正参)が著した『張州雑志』の中にハッチョウトンボと思われる記述が見つかったというものです。

小野氏から、図版および本文を抜粋して引用・紹介することについて快諾をいただきましたので、以下、簡単にご紹介します。

尾張藩の医師で博物学者でもあった大河内存真(1796-1883)は、彼がシーボルトに贈った『蟲類冩集』の説明書の中にハッチョウトンボについて記述しており(上野1987)、これがこれまでのハッチョウトンボについての日本最古の文献ということになっていました。

上野(1987)の著書『日本動物学史』に記述されている関連部分をそのまま引用すると、「八七、ハツチウトンボ、赤卒(アカトンボ)の一種、その形はアカネトンボと同様なれども、アカネトンボよりは小形である。これは日本に於てヤダノテツポウバハツチウメ(矢田鉄砲場八丁目)にのみ発見せられ、その為にハツチウトンボの名を有する(雄)。」「八八、ハツチウトンボ,赤卒の一種(雌)。」となっているとのこと。

ところが、最近、小野氏は、尾張藩士で画家でもあった内藤東甫(1728-1788)によって著された尾張地誌『張州雑志』の矢田村の紹介の中に、ハッチョウトンボであると思われる記述を見出したそうです(下図)。

ハッチョウトンボ in 張州雑志、小野知洋論文からコピー

その項の全文を現代文としたものを、小野論文から紹介します。

赤蜻蛉
矢田河原に一種の赤卒(せきそつ・赤トンボ)がいる.形は甚だ小さくて色は赤い。通常のものとは異なっている。『本草綱目』のなかで李時珍(明代の本草学者)が言うには、小さくて赤いものは「赤卒」「●●」「赤●」「天𨿸」などといわれている。『造化権輿』(唐代の典籍と思われる)によると「水蠆」(ヤゴ)は●(蜻蛉の別字か)に化ける。また、羅願(人名と思われるが特定できない)が言うには、「水蠆」は蜻蛉に化ける。すなわち、蜻蛉は水上で交わり、物に付けて卵を散らし、「水蠆」になる。今、矢田河辺りに生息しているのは何から孵化したものか、わからない。形状は図の通りである。
注) ( )内は筆者(小野氏)付記、活字がない文字については「●」で記述している。

小野氏は、図が実物大とすれば体長は17-18mm程度となり、ハッチョウトンボに相当すること、図面は無着色だが、「赤卒」と記されている点、赤いハッチョウトンボのオスの成熟個体と一致すること、さらに、形が「甚だ小さく」「通常見かけるものとは異なっている」ことを特記している点をもとに、これらハッチョウトンボを示していると考えるのが妥当であるとしています。

私から見ても、内藤東甫がわざわざ矢田村のところでこのトンボを記していることから、ハッチョウトンボに間違いないと思います。

ちなみに、Jules Pierre Ramburがハッチョウトンボを新種として記載したのが1842年でしたので、それよりも54年以上前に日本で本種が識別されていたことがわかります。

この論文には、「矢田鉄砲場」の使われ方とこのトンボのかかわりについての考察もあり、その点についても私は興味を覚えました。

次回の記事で、それを取り上げたいと思います。

出典:
小野知洋(2016)『張州雑志』に登場するハッチョウトンボと思われる記述。なごやの生物多様性,3:11-15.

間接引用:
上野益三(1987)日本動物学史。八坂書房、東京。531pp.

写真の外部リンク先:
* ハッチョウトンボの生態写真:神戸のトンボ/兵庫県とその近隣のトンボたちリスト/ハッチョウトンボ
 http://odonata.jp/01live/Libellulidae/Nannophya/pygmaea/index.html


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