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2017-03-23 (Thu)
(この記事の正しい公開日は、2017-04-04 (Tue)です。)


グンバイトンボPlatycnemis foliacea Selys, 1886(*注1)
は、モノサシトンボ科に属する種で、日本と中国に分布しています(写真1)。

グンバイトンボ♂
 写真1 グンバイトンボPlatycnemis foliacea♂。四国、2016年6月。(写真はクリックで拡大)

このトンボは、♂の中脚、後脚の脛節が軍配のように扁平に拡がっているのが、大きな特徴です(写真2)。

グンバイトンボ♂体前部拡大 
写真2 グンバイトンボ♂の体前部。中脚、後脚の脛節が軍配のように扁平に拡がる。

一方、♀の脚の脛節にはそのような拡張がなく、モノサシトンボ科の他の種[例:モノサシトンボCopera annulata (Selys, 1863)(*注2)]の♀のそれと変わりがありません(写真3)。

グンバイトンボ♀
写真3 グンバイトンボ♀。四国。2016年6月。

このように同種♂♀の外部携帯に明瞭な形態の差異があることは「性的二型」と呼ばれますが、この二型が進化した原因はダーウィンが提起した性淘汰(性選択)であることが多いとされています。

というわけで、グンバイトンボ♂の軍配形の脛節はどのような適応上の利点があって進化してきたかは、トンボの行動を研究してきた者にとって大いに気になるところです。

筆者は、トンボの研究を開始した大学院入学時点以来43年間、北海道に住んでいたため、グンバイトンボを直接観察する機会が得られませんでしたが、定年退職して埼玉に移住したことで距離的にも投入時間的にもグンバイトンボ生息地へのアクセスがしやすくなりました。

そして、グンバイトンボとの対面は、2016年6月中旬、梅雨空を縫っての四国地方トンボ撮影行の中で実現しました。

生息地の情報や観察のコツは、トンボ王国・四万十学遊館(あきついお)館長の杉村光俊さんに伝授いただき、現地への移動では愛媛県在住のアマチュア昆虫写真家のお二人、飯田貢さん、山本桂子さんのお世話いただきました。

現地に着くと、ゆるやかに流れる川の草生した岸(写真4)の上を3人でじっくりと探し回ります。

グンバイトンボ観察地(四国)
写真4 グンバイトンボの生息地。四国、2016年6月。

じきに、「いたー!」、「いるよー!」と声があがりました。私の眼の前にも、モノサシトンボによく似たトンボの、飛んだりとまったりの姿が。
そしてついに、軍配そのものの脚をぶら下げて飛ぶグンバイトンボ♂の姿を確認しました。
あこがれのトンボとの対面です(写真1)。

うっとりと見つめていたいところでしたが、貴重な機会を失うわけにはいきませんので、一眼レフのファインダーを覗きながら、マニュアルフォーカスをいじりながらシャッターを連打しました。

残念ながら、♂が♀に求愛するシーン、連結し、交尾するシーン、産卵するシーンに出会う機会は得られませんでしたが、♂間の排他的行動を間近で観察することができました(写真5)。

グンバイトンボ♂間の排他行動
写真5 グンバイトンボ♂間の排他的行動。四国。2016年6月。

写真は人に見せるレベルのものが撮れなかったのですが、といいつつ見せていますが、観察していて印象的だったのは、相手の♂の接近に対して立ち向かっていくときに、脚を6本とも下方に垂らし、白い軍配状の脛節が(観察者から見て)大変目立ったことです。

写真5の(1)は、接近する相手に気づいて、とまっている草葉の上から飛び立ち、相手に向っていくところです。
(2)は、相手と睨み合うかのように向かい合っている瞬間です。
(3)は、相手を退けて、再び草葉にとまる直前です。
(4)は草葉にとまっている状態(これのみピントを合わせることができました)。

この観察中にもう一つ気づいたことがあります。
それは、♂が相手を追いかけ、別れて、戻る時に、軍配面を後方に向け、軍配を「誇示」したことです。

私は、グンバイトンボの軍配は、孔雀の♂の尾羽のように、♀に求愛する際のセックスアピールになるのだろうと予想していましたが、どうやら鹿の角のように、♂間で相手を威嚇する機能もあるように思えます。

ここまで考察したところで文献にあたってみたところ、杉村ほか(1999)の『原色・日本トンボ幼虫・成虫大図鑑』の「グンバイトンボ」の項に、次のような記述がありました。

「成熟雄は<中略>縄張りを保持<中略>ほかの♂にであうと軍配状の真っ白い肢をいっぱいに広げてホバリングしながらにらみあい、体を上下にゆさぶっては徐々に上方へ移行し、頃あいをはかって別れる。♀に対しても、まず肢を思い切り拡げて自己顕示を行う。」

「体を上下にゆさぶっては徐々に上方へ移行し、頃あいをはかって別れる。」とありますが、私の観察でもたしかにその傾向はありました。

「♀に対しても、まず肢を思い切り拡げて自己顕示を行う。」との記述は、やはり軍配の白い面を相手に向けて誇示をすることを表現したものといえます。

ヨーロッパに生息するPlatycnemis latipes Rambur, 1842Platycnemis acutipennis Selys, 1841の♂の中脚、後脚も日本のグンバイトンボよりも少し劣りますが、広がった脛節をもちます(参考サイト:Hyde, 2016)。

しかし、これら2種の♂は(少なくともフランスの当該観察地では)求愛の際に拡がった脛節を用いず、飛行中に同種♂を威嚇する際に用いるとのことです(Hyde, 2016)。
下記にその部分の原文を抜粋しておきます。

"Males like to perch on low vegetation near a river bank, and search for prey and mates with a slow zig-zagging or bouncing flight. Their wide tibias are not used in courtship, but as threatening behaviour to other males of the same species in flight."(Hyde, 2016)

日本のグンバイトンボとフランスの同属種の間のこの行動の違い(♀に対する誇示の有無)が、種による違いなのか、それともどの種においても個体群による行動の差あるいは、同一個体群においても何等かの条件によって誇示をしたりしなかったりするのかは、興味のあるところです。

私も今度グンバイトンボを観察に行くときは、♂と♀の間の行動がふんだんにみられる季節、時間帯を狙いたいと思います。

さて、最後に、今回の観察中に見られた、雄の体清掃行動の写真をご覧いただきます(写真6)。

グンバイトンボ体清掃 
写真6 グンバイトンボ雄の体清掃行動。

写真6では、腹部を第2節と題節の間で背方に強く折り曲げ、全体に弓上に背方へ反らせています。腹部を上下に上げ下げする動作の最上点に達する直前のタイミングです。
このような腹部上下により翅の表面についた塵などが拭い去られる効果があると考えられます。

下の写真7は、体清掃が終り、すっきり、まったりとした感じのこの個体です。

グンバイトンボ体清掃後
写真7 グンバイトンボ雄。体清掃行動を終えて、まったりと。

このような、均翅亜目(イトトンボ、カワトンボなどを含む分類群)のトンボが腹部をリズミカルに上下に屈曲して翅と腹をこすりあわせる運動(体清掃行動)は、オツネントンボについて、すでにこのブログに書きました。
連続写真つきで長々と書きましたのでよろしければ御笑覧ください。

末筆になりましたが、この場を借りて、今回の観察でお世話になった、杉村さん、飯田さん、山本さんに感謝いたします。


*注1:Platycnemis Burmeister, 1839の語源は、platyが「扁平な」を、cnemis (κνημίς)が「(よろいの)すね当て」を意味する。

*注2:モノサシトンボが新種記載された時点では、Psilocnemis Selys, 1863のもとに置かれた。その後、Psilocnemis はコガネムシ科Scarabaeidae Latreille, 1806の中でPsilocnemis Burmeister, 1842として使われていることが判明し、本種にはCopera Kirby, 1890が充てられ、これが長い間使われてきている。
しかし、最近、DNA系統解析に基づき、Copera から旧北区以外の種をPseudocopera Fraser, 1922に移す提案がなされている(Dijkstra et al. 2014)。
それに従えば、モノサシトンボの学名は、Pseudocopera annulata (Selys, 1863)となる(World Odonata List参照)。
ちなみに、Psilocnemisの語源は、Psiloは「裸の、露出した」、cnemis は、前述のように「 すね当て」を意味する。


引用文献:
Dijkstra K-D.B., Kalkman V.J. , Dow R.A., Stokvis F.R., van Tol J. 2014: Redefining the damselfly families: a comprehensive molecular phylogeny of Zygoptera (Odonata). Systematic Entomology, 39: 68-96.

Hyde, Bruce  2016 Featherleg Differences.  http://www.ipernity.com/blog/bruce.hyde/4392388


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2017-03-20 (Mon)
私も分担執筆した下記の伝記本:

辻 和希 編(2017):
  海游舎。A5判・上製本・432頁。定価(本体4,600円+税)
  ISBN978-4-905930-10-5

がこのたび(2017年3月)刊行された。

生態学者・伊藤嘉昭伝 
生態学者・伊藤嘉昭伝。(写真はクリックで拡大)

3月14日から東京の早稲田大学早稲田キャンパスで開催された、日本生態学会大会会場内の書籍展示コーナー(海游舎ブース)での展示即売では評判を呼んでいという。

書籍展示開始早々に、海游舎の本間さんから著者献本をしていただき、学会セッションの合間にパラパラと本文をめくり、帰宅後は各執筆者の文章に吸い込まれるように読みふけった。

昼は学会でのポスターセッションと口頭発表セッション、それに自由集会への参加、帰宅してのこの伝記本の耽読という生活リズムが3日間続いた末に読了した。

以下、目次の順に、印象に残った寄稿文を中心に感想を述べたい。

「第一部 農研時代」では、農業技術研究所時代の伊藤嘉昭博士(私を含め、知り合いは「伊藤さん」と呼んでいた)の、基礎研究を重視した個体群生態学の研究姿勢、同僚・後輩とのチーム形成などが語られている。その中で冨山清升さんの一文は伊藤さんのあまり知られていない面に当時の仲間との写真も添えて触れていていて印象に残る。

「第二部 沖縄県時代」では沖縄でのウリミバエ根絶を指揮した伊藤さんを、そのチーム員が生き生きと回想している。 藤崎憲治さんの一文は異色で、伊藤さんのこの成功伝説に隠れた負の側面、その後あらわれている問題点とその解決の方向までも論じていて興味深い。

「第三部 名古屋以降」では、名古屋大学農学部に助教授として任用され、そこで害虫管理ではなく、進化生態学、行動生態学の研究・教育を優れた若手研究者(院生、助手)とともに進めた伊藤さんを、当時の弟子たちが描き出す。
ここはやはり、辻 和希さん、粕谷 英一さんの書いた部分を読むと、伊藤さんの教育者・研究者としての評価の骨格が浮かび上がる。

「第四部 著作活動」では、伊藤さんが文字通り大量に上梓した生態学関連の書籍が日本の生態学に与えた影響について語られる。松本忠夫さんは、伊藤さんの出したすべての本について評価する。嶋田正和さんは伊藤さんの社会進化に関するとらえ方の変遷を厳正に審査している。私の一文もこの第四部に収録されているが、北海道大学で私を含む当時の若い院生に「種の社会学」がどう浸透していて、その後どう脱ぎ捨てられていったかのケース・ヒストリ―の形をとった。

「第五部 比較生態学とその周辺」では、比較形態学者の鈴木邦雄さんの仕事に伊藤さんの『比較生態学』が大きく影響していたことが語られ、意外性がある。

「第六部 ハチ研究」では、山根 爽一さんらによってカリバチの社会進化についての伊藤さんの新説とその問題点が伊藤さんの人間像とともに語られる。

「第七部 伊藤さんの思想」では、岸由二さんの一文が読み応えがある。行動生態学の日本への導入の立役者の一人だった岸さんがいつしか生態学会に出てこなくなったのかの謎も解き明かされる。いや、一人の研究者の動向というよりも、日本の生態学全体の大きな歴史的な転換があったのがこの時代(1975年頃~1990年頃 )であり、それが生々しく描きだされたということなのだろう。

この本の分担執筆者55名の中には、編者の辻さんをはじめ、生態学理論の不完全さを克服し、新しい理論を提案するなど世界のトップレベルで活躍している生態学者が少なとも数名含まれている。

このような人材を育んだ「苗床」をしつらえ、拡げていったのが伊藤さんであることは、本書から読み取ることができる。

伊藤さんは、観察した事実を記載し、帰納法的に見出した傾向に解釈を加え、それを日本語「論文」として発表するのが普通だった時代(1980年前後以前)に、「論文の骨組みをつくってからデータをとれ」「英語で世界的に通用する雑誌に論文を毎年1本以上投稿せよ」「毎日1本論文を読め」と、若い研究者を叱咤・激励したという。

まさに、この本の帯カバーに大書されているとおり、「この1冊で日本の生態学史がわかる」。
「生態学史の『すべて』がわかる」としていないところに、謙虚さも漂う。

巻末には、引用文献、事項索引、人名索引も添えられている。

生態学とは何か?と考えている人、これから生態学をやりたい人、あるいは科学と政治思想とのかかわりの事例に興味ある人には必読の1冊であろうと思う。

ついでに、誤植の報告:
48頁、1行目 開開催 → 開催
169頁、9行目 話し → 話
403頁、26行目 J. → J. Ethol.


出版社直接購入案内の情報:
 → こちらをクリックし、その頁の最下段に注目。


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2017-03-10 (Fri)
前回記事では、「さいたま市荒川堤防から見える山々(北~北西方向)」を写真を添えてご紹介しました。

今回はその続きの終わりで、「さいたま市荒川堤防から見える山々(北西~南西方向)」の同定奮闘記です。

撮影時期は、今年2月上旬のよく晴れ渡った日で、北西からの乾いた季節風が空気を澄ませてくれて、絶好の撮影条件をもたらしてくれていました。

前回記事の写真と撮影場所は同じで、写す方向を変えただけです。

写真1は、その撮影機会に真っ先に写した富士山で、若干のトリミングをした後で、フォトレタッチソフトでコントラストを強めるとともにガンマ輝度を下げて、重なる山並やその背景の空と色調の違いを強調したものです。
さいたま市から望む富士山、コントラスト調整
写真1。さいたま市から望む富士山、コントラスト調整済。(写真はクリックで拡大)

写真2は、そのようなフォトレタッチ処理を施す前のもので、山と空の区別もなかなかつきにくかったことがわかります。

 さいたま市から望む富士山、コントラスト未調整
写真2。写真1と同じ。さいたま市から望む富士山、コントラスト未調整。

それはともかく、静岡と山梨の県境にある富士山が、間に関東山地を挟む埼玉県から、これほどまで裾野の下のほうまで、ほぼ全容を見せつけているのも、ちょっとした驚きです。
写真を撮影した堤防から荒川を挟んだ対岸側に富士見市とふじみ野市が並んでいるのも、むべなるかなです。

なぜ、富士見ーふじみのライン上から富士山が裾野まで広くみられるのでしょうか。
それは、富士山と富士見ーふじみのラインを直線で結んだベルト状の地域に、標高1000メートル以上の山がほとんどない、言い換えれば、そのゾーンがいわば低標高ゾーンを形成しているからです。

その低標高ゾーンとは、相模湖から大月市にかけての相模川沿いの地帯です。
このゾーンはその北部(北は碓氷峠から南は相模川まで)に拡がる秩父山地や、南部に拡がる丹沢山地にはさまれながら、なぜ低くなっているのでしょう。

小山(1995)によれば、このくぼ地ゾーンは、伊豆、丹沢山地を載せて北上してきて、ユーラシアプレートに潜り込む、フィリピン海プレートが、付加帯のひとつである丹沢山地を地上に残しながら滑り込んでいた境界部のトラフ(平田ほか、2008の、9頁、図8参照)と考えられます。

さて、このへんで本題に戻すことにします。

まずは、さいたま市北西方向の山々です(写真3)。前回記事の最後の写真と方向は重複し、浅間山とその南東方向の山々が写っています。

さいたま市北西方向の山々(浅間山ほか)
 写真3。さいたま市北西方向の山々(浅間山ほか)。

浅間山のみ、真っ白に雪化粧しています。
標高が高い(2568m)こともあるのですが、活火山のため1700m以上に樹林がないことも雪を目立たせています。
写真左(白石峠の更に左)の稜線は小さなコブが連続しているように見えますが、どれがどのピークかの確認は断念しました。

写真4は、その更に南に見える山々です。

さいたま市西北西方向の山々(武甲山ほか)
写真4。さいたま市西北西方向の山々(武甲山ほか)

この写真では、なんといっても武甲山が目立ちます。
この山に向って右(北)の斜面は、左斜面にくらべて、より急角度になっていて、更によく見ると岩だらけの山肌が大きく露わになっています。
これは明治以来の石灰岩(セメント原料)の採掘による大規模な傷跡で、そのため山頂の高さも30mほど低くなったとのこと(Wikipedia)。

一番左の芋木ノドッケは「ヤマレコ」さんのサイトを参考にして同定できましたが、その右に連続するコブがどのピークに該当するのかは判断保留としました。

次の写真5には、雲取山や鷹ノ巣山といった、聞いたことのある山が写り込んでいました。

さいたま市西方向の山々(雲取山ほか)
写真5。さいたま市西方向の山々(雲取山ほか)

雲取山(2017m)は埼玉、山梨、東京の3都県の境界点にある山で、その眺めはよさそう。
一度登ってみたくなりました。

次の写真6の主役は大菩薩嶺です。

さいたま市西南西方向の山々(大菩薩嶺ほか)
写真6。さいたま市西南西方向の山々(大菩薩嶺ほか)

大菩薩嶺よりも大菩薩峠のほうが私にはなじみがありました。
一つは私が子供の頃のチャンバラ映画の題名そのもので、中里介山の同名小説を大映が映画化したもの(1960年)。主役の浪人・机竜之介を演じたのは市川雷蔵(Wikipedia)。
もう一つは私が大学生の頃、過激派組織赤軍派の武装訓練準備がこの峠付近で行われ、一斉逮捕された事件。

しかし、今の私がこの峠に行けば、山並の風景や足下の花や虫にカメラを向けるほうに熱中するに違いありません。

この写真で、熊沢山の向って左の斜面がわざとらしく白いのは何かと疑問に思いました。
山岳写真のサイトで調べたところ、熊沢山の南斜面は森林が欠けているため、冬季の遠望ではその部分に積もった雪が、遠くからも白くはっきり認識できるためとわかりました。

さてさて、いよいよ富士山が見えてきました(写真7)。

さいたま市南西方向の山々(1)(富士山と北隣)
写真7。さいたま市南西方向の山々(1)(富士山と北隣)

富士山の向って右のゴツゴツの連続も山名の同定に苦労しました。
ギブアップして「ヤマレコ」さんのサイトを参考にしたほか、GoogleMapの3D画像閲覧機能を利用するなどしてなんとか、同定に漕ぎつけた山を写真上に書き込みました。

写真8は、富士山を中央に、左右に引き立て役の山々が並びます。

さいたま市南西方向の山々(2)(富士山と南隣)
写真8。さいたま市南西方向の山々(2)(富士山と南隣)

丹沢山地に属する蛭ケ岳はさすがに1672mと高く、このクラスの山々が富士山の手前に控えてしまうと富士山は8合目から上くらいしか見えなくなるでしょう。

いよいよ最後は、富士山の南に居並ぶ丹沢山地です(写真9)。

さいたま市南南西方向の山々(丹沢山ほか)
写真9。さいたま市南南西方向の山々(丹沢山ほか)

丹沢山地には1500m前後の山座が7,8座あり、山頂と麓の平野部との気温差は9℃程度になる。
これは暑い夏を高地で過ごし生殖休眠を確実なものとする生活史をとっているアキアカネにとっては、丹沢山地が絶好の避暑地となりうることを意味します。

房総トンボ研究所の互井賢二さんは、千葉県市川市の海岸近くに集結する羽化後間もないアキアカネたちは、千葉や茨城の山ではなく、東京湾上を横切り丹沢山地に向うという仮説をたてています。
今後、マーキングなどにより、それが実証されれば楽しいですね。

話が前後しますが、もちろん秩父山地にも1500mはおろか2000m級の山が群立していますから、アキアカネの避暑地になります。

寄居町在住のトンボ研究家である新井裕さんは、埼玉県の平野部で羽化したアキアカネは西に向い、秩父山地にたどりついて、そこで避暑をし、秋になると東に向い、平野部に戻り交尾・産卵するとしています。

トンボのブログらしく、トンボの話に落ち着いたところで、今回の記事の締めくくりたいと思います。

下の地図は、山座同定の際に使用した写真撮影地点からの方位線です。
これに加えて電子国土地図の詳細図をチェックしながら、稜線の形状、山襞(尾根・谷)の方向や形状を参考に山座同定を行いました。

このブログの読者の方で、山座同定に誤りあるいは疑問がありましたら、コメント欄等でご指摘いただければと思います。

山座同定のための方位線、電子国土地図に上書き 


引用文献:

平田大二・山下浩之・川手新一2008:伊豆・小笠原弧北端部、箱根火山周辺の地形・地質テクトニクス。神奈川博調査研報(自然)2008、13:1-12.

小山真人、1995.西相模湾断裂の再検討と相模湾北西部の地震テクトニクス。地学雑誌。104(1):45-68。(平田ほか2008から間接引用)


今回の山座同定の参考サイト:

ヤマレコ:「【メモ1】荒川(さいたま市)から眺める連山(2015年1月)」

馬場直之:「山と旅への招待」:「芋木ノドッケ(いもきのどっけ)」:「堂平山より」

横手の休日:「大菩薩連嶺・・・富士と南アルプスの展望」:「一旦下って天狗棚山を越えて振り向くと歩いてきた大菩薩嶺と熊沢山が良く見えました(写真右)」

日本列島 山だらけ:「天狗棚山」:「石丸峠越しに今日の目的地、天狗棚山(1,957m)が見えます。」

GoogleMap3D機能


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2017-03-04 (Sat)
埼玉県さいたま市に転居して足掛け5年目になり、身の回りの昆虫(とくにトンボ)や草木に集中させてきた視線を、はるか地平線に向ける余裕がでてきたようです。

先日、自宅近くの小さな川にかかる橋を渡りながら、ふと北のように視線を向けると、どうやら男体山らしき山影が目に入りました。

そこで、1月下旬、2月上旬の、快晴そして乾いた北西の季節風が吹く日に、さいたま市の西端を流れる荒川の土手の上に行ってみました。

案の定、北から半時計回りに南西の方向まで、山並がほぼ途切れることなく連なっている状況を目にすることができました(写真1)。

さいたま市から北に見える山(ワイド)コントラスト未調整 
写真1.さいたま市荒川堤防から見える山(真北方向)。(クリックで拡大)

ただし、北北東から時計回りに南南西までは大宮から東京まで続くビル街の陰に隠されて、筑波山や(あたりまえですが)房総や三浦半島の山々は見ることはできません。

さて、確認できた北関東の山々から関東山地を経て富士山方面までの山並を、一眼レフのズームを変えながらバチバチと撮り、自宅に戻りました。

今回は、このようにして撮影した風景写真の中に写り込んだ、北関東(栃木、群馬)の山々を、地形図とにらめっこしながら同定した結果をご紹介したいと思います。

「トンボのブログなにに、なぜ山を?」と聞かれたら、「はいはい、アキアカネが避暑のために目指すのが、これらの山々ですよ」と答えましょう。ちと苦しいですね、ハイ。

関東山地(埼玉県西部山地)から富士山・丹沢方面までの山座同定結果は次回以降の記事で取り上げる予定です。

山座同定のための画像処理
写真1のように、撮影したままの状態では、うっすらと山が写っているだけで、尾根と谷からなる山襞や、前後の山の重なり具合もよくわかりません。

そこで、フォトレタッチソフト(私の場合、Photoscape[フリーソフト])を用いて、強制的にコントラストを大幅にアップし、ガンマ輝度を下げて、山襞などがわかりやすくなるように調節しました(写真2)。
その副作用として、近景の田畑や住宅地などが大部分真っ暗になっています(若干違和感あり)。

さいたま市から北に見える山(ワイド)
写真2.写真1(真北方向)のコントラストをアップしたもの。山襞がはっきりする。

写真2から、さいたま市の真北方向にある、女峰山から、男体山、白根山を経て皇海山までの主な山が同定できました。

写真3は、そこから北北西方向へカメラの向きを変えたもので、武尊山、赤城山が確認できました。
武尊山、赤城山はいくつかの峰が寄り集まっていますが、この後の写真でより詳しく山座を同定します。

さいたま市から北北西に見える山(ワイド)
写真3。さいたま市の北北西に見える山。

さらに北西に目を転ずると、浅間山が確認できます(写真4)。
この山はコントラストをアップすることで初めて存在が確認できました。
もっと空気が澄んだ条件下では肉眼でも確認できるはずです。

さいたま市から北西に見える山(ワイド)
写真4。さいたま市の北西に見える山。

各山塊を構成する山々
ここで、以上の範囲内で確認できた山の塊ごとに、更に詳しく山座の同定をしてみました。
まずは真北のうちの男体山一帯です(写真5)。

男体山、女峰山方面、詳細
写真5。男体山周辺。

写真5から、男体山の右に大真名子山、小真名子山、帝釈山、女峰山、赤薙山が確認できました。

日光白根山方面、詳細 
写真6。(日光)白根山周辺。

写真6では、(日光)白根山、皇海山に加えて錫ケ岳が確認できました。

 武尊山方面、詳細
写真7。武尊山周辺。

写真7では、武尊山の左右に剣が峰、獅子ケ鼻山、鹿俣山が確認できました。

 赤城山、詳細
写真8。赤城山周辺。

写真8では、赤城山を構成する黒檜山、駒ケ岳、長七郎山、地蔵岳、荒山、鍋割山が確認できました。

千ノ倉山方面、詳細
 写真9。仙ノ倉山。

写真9は、その稜線の形から、仙ノ倉山と同定できました。
谷川岳の西に連なる山の一つです。
これもコントラストをアップしてはじめて存在がわかったもので、小さな驚きを感じました。

上ノ倉山方面、詳細
写真10。上ノ倉山。

写真10は、仙ノ倉山から三国山を通り過ぎて更に西にある上ノ倉山と同定しました。
稜線部しか見えませんが、山襞に特徴があることから、(参考サイトを参照するなど)苦しんだ末、このように同定しました。
やはり、コントラストをアップした際に、浮かび上がったものです。

浅間山方面、詳細
写真11。浅間山方面、詳細。

写真11の主峰は、浅間山で、これは初心者にもすぐわかる山です。
その左後方は外輪山の一つ、黒斑山。少し離れた右には四阿山と同定しました。
残念ながら、(草津)白根山は手前の防風林に隠されたようで見つけることができませんでした。

浅間山の南東隣接山地、詳細 
写真12。浅間山の手前(南東)の山塊、詳細。(山名訂正後)

写真12は、浅間山とその手前(南東方向)の山並です。
最初にアップした記事では、手前に妙義山、向かって左に武甲山があると見ました。

しかし、武甲山はその南に本物があることに気付き、ヤマレコさんのブログを改めて見直したところ、武甲山ではなく御荷鉾山とすべきことがわかりました。

更に、妙義山が御荷鉾山よりも手前(南東側)にあるのは矛盾しますので、再検討しました。
その結果、どうやら登谷山としたほうがよさそうと判断しました。

写真12の中の山名もそのように訂正し、差し替えました(3月5日)。

以上が栃木県の女峰山・男体山から半時計回りに浅間山・武甲山までの、さいたま市の荒川堤防から見える真北から北西までの方向に見える山々でした。

山座同定のテクニック
山座同定は専門外でかなり時間を浪費してしまいました(謎解きと同じ楽しみがあったので投げ出さずに済みました)。
山の形は見る角度で異なりますので、私のカメラがどの方向から撮ったのかがわかるように、地図上に撮影地点を打点し、そこから放射状に方位線(角度10度ごと)を引いたものを作りました(図1)。

さいたま市の荒川堤防から見える山を特定するための方位線 
図1.さいたま市の荒川堤防から見える山を特定するための方位線(電子国土地図[3枚貼り合わせ]に方位線を上書きして作成)

そして、これは怪しいと思った山を電子国土地図の地形図(主題図、色別標高図、透過度30%前後)の縮尺を自由に変えながら、写真に写った山襞と地図の色別標高図の山襞と照合し、また稜線の凹凸と地図の標高とを見比べたりしながら、山名を同定しました。

答合わせ
このようにして同定した山の名があっているかどうかを、インターネット上の画像検索結果(以下の参考サイト)と照合し、答え合わせをしました(以下の参考サイト)。
正直にいえば、一回目の答え合わせでゾロゾロと不正解を出してしまい、褌を締め直してやり直したのが今回の記事です。

皇海山などの山塊から西に流れる大きな裾野を、私は最初赤城山の裾野と勘違いし、本物の赤城山を榛名山と勘違いしたのが上記の不正解を引き起こしたボタンの掛け違いでした。

なんと、榛名山は、防風林の陰に隠れてまったく見えていなかったのでした。
そのため、答え合わせをする前から「あれっ?〇〇山が見当たらないぞ」といった不具合がありました。

さてさて、今回の記事にも、まだ間違いがある可能性は十分あります。
お気づきの方がおられましたら、コメント等でご指摘いただければと思います。


参考サイト(答合わせに利用させていただいた):

ヤマレコ:「【メモ1】荒川(さいたま市)から眺める連山(2015年1月)」
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-573545.html

渋川の旅行記(ブログ):「赤城高原サービスエリアからの風景」:「仙ノ倉山が見られる」
http://4travel.jp/travelogue/10764913

富岡・甘楽の旅行記(ブログ):「富岡市鏑橋付近から見られた真っ白な浅間山」:「鏑橋付近より見られる浅間山と妙義山」。
http://4travel.jp/travelogue/10981367

気ままにアウトドア:「四阿山」:「嬬恋村大笹付近より望む四阿山」。
http://ameblo.jp/aojisi-a/entry-12003135977.html

船水:「赤城山の左には草津白根山から白砂山系の山々」:「真ん中ちょうど奥に佐武流山があり、そのすぐ左が上ノ間山でさらに左が白砂山です。真ん中から少し右が忠次郎山で上ノ倉山、大黒山と続きます。」
http://tyf.la.coocan.jp/gunma_yama/otakanayama/shirasuna.htm

嵐山ふるさと塾・チーム嵐山:「GO! GO! 嵐山 3」:「2012年1月13日の男衾自然公園」:「A:水沢山、B:上ノ倉山、C:十二ケ岳、D:小野子山、E:平標山、F:仙ノ倉山、G:エビス大黒ノ頭、H:子持山」
http://ranzan.blog.jp/archives/1674499.html

ピーター・スコーヴ:「埼玉県から見える山」。
https://peterskovshashin.wordpress.com/tag/埼玉県から見える山/


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