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2019-02-28 (Thu)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を地質データや人間社会との関わりについても添えて紹介しています。

回目の今回記事では、関東山地の4つの地質帯のうち、埼玉県秩父地方と東京都の奥多摩地方の大部分を占める四万十帯に属する山々のうち、雲取山、鷹ノ巣山、高丸山について、望遠クローズアップ写真に地質データや人間社会との関わりに関するトリビアを添えて、紹介します。

四万十帯の地質概要と境界となる構造線についてはこちらの過去記事を、また四万十帯に属する山々のリストは前回記事をご覧ください。

地質データは、地質調査総合センター(2019 アクセス)による「地質図Navi」の地質図をマウスで右クリックすることで表示されたものです。

目 次:
◆さりげなく顔を覗かす百名山
◆雲取山
◆雲取山:名前の由来を探る
◆本来の三峰山(妙法ヶ岳、白岩山、雲取山)と修験道
◆鷹ノ巣山と高丸山
◆日原鍾乳洞と信仰
◆次回予告:
◆山座同定のテクニック:
◆引用文献
◆ハッシュタグ


さりげなく顔を覗かす百名山

さいたま市から西の地平線を見ると、1000~1300m級の低い山々から成る秩父帯の稜線が、だらだらと西南西方向まで続いています。

しかし、その背後をよく見ると、四万十帯に属する雲取山大菩薩嶺といった2000m級の山が、さりげなく顔を覗かせていることに気づかされます。

どちらも日本百名山に名を連ねているだけあって、私も埼玉県に居住する前から山名は頭の中にありました。

しかし、実際にどれが何山かが分かったのは、ブログ記事作成準備のために山座同定にどっぷり浸かった中ででした。


雲取山

中でも、雲取山(くもとりやま・くもとりさん;2017m)(写真1)は さいたま市からもっとも近い2000m級の山であるということもわかり、親近感が増しました。

雲取山
写真1 雲取山(さいたま市羽根倉橋から望む)

雲取山は前述のとおり日本百名山。東京都・埼玉県・山梨県の境界にある東京都の最高峰・最西端の山で、その南東斜面は東京都水道局の水道水源林の一角をなしています(水道水源林の地図はこちら;外部リンク)。

雲取山の地質は、山頂部は後期白亜紀の混在岩からなる付加体、頂上直下の南西斜面は後期ジュラ紀~後期白亜紀のチャートからなる付加体です。


雲取山:名前の由来を探る

雲取山の名前はどこから来ているのでしょうか?

少し調べてみた結果、2説があるようです。

一説は、「神楽師」さんのブログ(2019 アクセス)に、「<雲取山は>大雲取山村の西にあり。甲斐丹波山村と秩父郡大血川村の堺によれり。この辺は悉く高山なれど、わけてこの山は峻峰にして、雲をも手に取るが如く思うというより斯くは号するなり。<『武蔵名勝図絵』の日原村の項目)>」と記されているもので、必ずしも他所の山の名にあやかったものではない、シンプルな説です。

もう一説は、「日帰り登山へGO!」さんのブログ(2019 アクセス)に以下のように、まとめられています。

雲取山三峯神社の南方約8kmに位置する。かつては雲採山とも記され、大雲取山ともいわれた。雲取山北方の白岩山妙法ヶ岳と合わせて三峰山と呼び、三峯神社との関係が伺える(現在は三峯神社の辺りの山が三峰山と呼ばれる)。かつてこの一帯は熊野修験系の道場であり、雲取山には石権現が祀られ三峯山の奥の院とされていたことが『新編武蔵風土記稿』に見える。山名の由来も、紀州熊野の大雲取山からきていると思われる(他、熊野には小雲取、妙法山がある)。」

そこで、地理院地図で和歌山県の熊野地域を見たところ、確かに熊野修験に利用される参詣道のうちの熊野参詣道(中辺路)が妙法山大雲取山小雲取山の山頂またはその中腹を通っています。

田辺市熊野ツーリズムビューロー(2019アクセス)による「熊野古道マップ」にはその参詣道の絵地図が紹介されています(こちらの図Hと図G;外部リンク)。

これに関連して、「百科事典マイペディア」による「修験道」の項目には、以下のようなことが書かれています。

「日本古来の山岳信仰と密教の呪法・修行法が習合して成立した実践的宗教。<中略>平安中期には密教系の行者の中から、山々の回峰修行により霊力を強めようとする験者が台頭し<中略>、吉野・金峯・大峰・熊野一帯を根本道場とした。鎌倉末期には宗派的にも密教から独立し、全国各地の山に修験道の道場が設けられた。そのおもなものは津軽の岩木山、出羽三山、日光二荒山、筑波山、秩父三峰山、富士山、御嶽山、立山、白山、石鎚山,英彦山などであった。<後略>」

これらの知見に基づくなら、とくに妙法ヶ岳と雲取山がセットで秩父に存在し、実際に修験道の修行の場とされていたことから、関東山地(秩父)の雲取山の名前は熊野の霊峰の名にちなんだとみるのが妥当と思われます。

武蔵名勝図絵』の中での解釈では、妙法ヶ岳が近くに存在する理由がうまく説明できませんので、『新編武蔵風土記稿』の説明のほうが妥当というべきでしょう。

こんな風に軍配をあげかかった矢先、『武蔵名勝図絵』は、『新編武蔵風土記稿』を編纂した植田孟縉(うえだ もうしん、1758年~1844年)が著したものであることたわかりました(Wikipediaより)。

ということで、二つの説は別の解釈というよりも、図絵に添える説明の方では簡潔にするために、熊野修験道とのかかわりなどの詳細が省かれたとみるべきでしょう。

私がこのように結論した後で、地理学者の長野 覺(ただし)博士(2005)著の「多摩川現流域の山岳信仰と自然保護に関する調査・研究」に出会いました。


本来の三峰山(妙法ヶ岳、白岩山、雲取山)と修験道

長野 (2005)の中には、雲取山を含む三峰山とそこで行われた山岳信仰について、およそ以下のような歴史が述べられています(抜粋)。

「現在、三峰山といえば埼玉県秩父郡大滝村の大輪からロープウェイで上る三峯神社の鎮座する山を指すのが一般的である。しかし本来の三峯山は三峯神社奥社のある妙法ヶ岳から、さらに南へ高度を増して続く白岩山雲取山の三山を総称して三峰山と尊称する山岳聖地を形成していた。」

「 天平8(736)年に全国で疱瘡が流行した時、聖武天皇は諸国の神社に奉幣したが、その折に三峰宮に「大明神」の称号を賜わり、翌年には皇后の寄進による観音像を別殿に安置したことで、神仏の鎮座する霊山となった。」 

「 文亀2(1502)年に<中略>修験者の道満が三峰山社堂の<中略>再興を発心して秩父地方を勧進し<中略>観音院を建立した<中略>。その後観音院は三峰山修験道の拠点として山伏たちが集まるようになり、妙法山<引用者注:妙法ヶ岳>・白岩山・雲取山から、おそらく甲斐金峰山にかけて、或はまた雲取山南側の多摩川源流域一帯の山岳は、御嶽山<引用者注:武蔵御岳山>とも交流をもった広域の修験道場として原環境の存在が重視されたと考えられる。 」

 「天文2(1533)年に観音院の龍栄は、天台修験の本山的存在であった京都の聖護院に赴き、そこで三峰大権現の号を授けられ、ここに観音院は聖護院を本寺とする系列下に位置づけられ、行動力に富む修験者(山伏)たちの活動拠点となった。」

より詳細については、長野(2005)をご覧ください。

この文献では、雲取山の名が紀州熊野の大雲取山に由来していることについて取り立てて言及されてはいませんが、妙法ヶ岳・白岩山とあわせて修験道の活動拠点となっていたことが史実を元に結論づけられています。


鷹ノ巣山と高丸山

写真2鷹ノ巣山(1736m)と高丸山(1733m)は東京都奥多摩町にあり、雲取山から南南東に延びる稜線上にある山です。

鷹ノ巣山、高丸山 
写真2 鷹ノ巣山、高丸山(さいたま市羽根倉橋から望む)

この稜線は石尾根とも呼ばれ、日原(にっぱら)川と多摩川上流(奥多摩湖がある)との分水嶺になっていて、その両斜面は雲取山の南東斜面と同様に東京都の水道水源林となっています(地図はこちら;外部リンク)。

さいたま市から見えているのは両山の日原川側の北東斜面ということになります。

両山の地質ですが、鷹ノ巣山は前期白亜紀~後期白亜紀の砂岩泥岩互層からなる付加体、一方で高丸山は後期白亜紀の混在岩からなる付加体です。

雲取山とその北東隣の白岩山との鞍部を横切り、高丸山・鷹ノ巣山を含む石尾根の北東斜面をトラバースするかたちで南東に向かって仏像構造線が走行しています。

この構造線の向こう側(北東)に広がる秩父帯のこの部分には、古生代ペルム紀~中生代ジュラ紀の海成層石灰岩の鉱脈が存在し、採掘も活発に行われてきています。

日原川の支流の小川谷の東斜面にある日原鍾乳洞は、この石灰岩を地下水が長い年月をかけて溶かし続けたことによって出来上がった、総延長1270mの長大な洞窟です。


日原鍾乳洞と信仰

長野(2005)は、日原鍾乳洞と信仰について、以下のように述べています。

「日原鐘乳洞<中略>は現在は奥多摩町日原地区が共同で観光資源として管理し活用しており<中略>訪れる人が多い。しかし明治時代以前、特に神仏分離以前は、一石大権現として崇拝された日原鐘乳洞であった。 」

「鐘乳洞<中略>暗い洞窟内は黄泉(よみ)への道と観想したのであろうか、死の谷・地獄谷・三途の川・針の山・死出の山・賽の河原・血の池地獄など、死後の恐怖を連想させる窟内の形状に符合した名称が付けられている。しかしまた地獄の恐怖を救済してくれる数多くの場所がある。蓮の花は極楽浄土の象徴であり、<中略>阿弥陀ヶ原では極楽浄土へと導かれる。垂れ下る十二本の鍾乳石の姿から十二薬師と名付け、十二神将を従えて人々の病苦を救済してくれる祈りの場所とした。」

「別コースの洞穴では、まず弘法大師の岩屋を拝してから、聖なる窟を守護する仁王の岩屋を潜り、母の岩屋を潜るのは胎内に入ることを意味している。それから窟内の絶壁を登ると密教世界の主尊である大日如来の岩屋を拝し、荒神(竃神)の岩屋を経て元の通路を戻ることになり、否応なしに信仰の世界に導かれる。」

より詳細については、長野(2005)をご覧ください。

本シリーズの各記事では、各山の地質は付け足し程度に書き込んだだけでしたが、四万十帯の海成層石灰岩が日原鍾乳洞を産む元となり、そこに神仏合体の民間信仰が深くはいりこんでいるということに、今回の記事作成の過程で気づく結果となり、何か一つの鉱脈を探し当てたような達成感に浸ることができました(ちょっと大袈裟)。


次回予告:
次回記事では四万十帯の個々の山の紹介の第二弾として、大菩薩嶺についてとりあげます。有名な大菩薩峠はどこにあり、またかつては どこにあったのか、大菩薩嶺に雲取山、鷹ノ巣山、高丸山を加えた多摩川源流域になぜ原生林が残ったかなどです。お楽しみに。


山座同定のテクニック:
このシリーズ記事で採用している山座同定のテクニックについては、シリーズ初回記事に詳しく紹介してありますのでご参照ください。


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引用文献

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 

日帰り登山へGO!(2019 アクセス)三峰駐車場から霧藻ヶ峰、白岩山、芋ノ木ドッケを経て雲取山!
http://yamaon.ojaru.jp/kumot.html

百科事典マイペディア:「修験道」

神楽師(2019 アクセス)日本百名山 山名の由来
http://www.yamasuki.com/tozan/iroiro/nihon_yurai.html

長野 覺 2005)多摩川現流域の山岳信仰と自然保護に関する調査・研究

田辺市熊野ツーリズムビューロー(2019アクセス)熊野古道マップ
http://www.tb-kumano.jp/download/kumanokodo-maps/

ウィキペディア(Wikipedia):(山名の読み方、地質、人間社会とのかかわりなどの一般的な知識について参照した).
https://ja.wikipedia.org


ハッシュタグ:
#羽根倉橋から見える山 #さいたま市から見える山 #荒川から見える山 #埼玉県から見える山 #関東の山々 #関東の山並 #四万十帯の山 #山岳と修験道

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2019-02-27 (Wed)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を地質データや人間社会との関わりについても添えて紹介しています。

8回目の今回記事では、関東山地の4つの地質帯のうち、埼玉県秩父地方と東京都の奥多摩地方の大部分を占める四万十帯に属する山々を、羽根倉橋からのパノラマ写真からもう一度リストアップしておきます。

個々の山の詳細については次回以降の記事でご紹介することとします。


目 次:
◆四万十帯の位置と地質概要
◆四万十帯の山々(総論)
◆山座同定のテクニック
◆次回予告
◆引用文献
◆ハッシュタグ


四万十帯の位置と地質概要

関東山地を構成する4つの地質帯の中での四万十帯の位置付けは、図1(オリジナルの図は高橋(2016)の図3;外部リンク)の通りです。

地質帯の境界となる構造線の位置を含めた詳細については、過去記事を参照ください。

関東地方の地質区分と構造線(高橋、2016を模写) 
図1関東地方南西部の地質区分と構造線高橋(2016)の図3を模写)(過去記事から再掲) (図はクリックすると拡大します)

仏像構造線と藤ノ木ー愛川線に挟まれた四万十帯は白亜紀~古第三紀の付加体*で、砂岩、泥岩、チャート、玄武岩、斑れい岩などからなる地質帯です(高橋 2016;地質調査総合センター 2019 アクセス)。

(*付加体とは、海洋プレートが海溝で大陸プレートの下に沈み込む際に、海洋プレートの上の堆積物がはぎ取られ、陸側に付加したもの〔Wikipedia〕。詳細はこちら;外部リンク)


四万十帯の山々(総論)

写真1~3は羽倉橋上でカメラを構え、関東山地(ただし、丹沢山地を除く)の南半分を収めたパノラマ写真です。

雲取山~大菩薩嶺~大岳山 
写真 西方向:雲取山大菩薩嶺など四万十帯と、御前山芋木ノドッなど秩父帯過去記事から再掲)(写真はクリックすると拡大します)

写真1で、雲取山、高丸山、鷹ノ巣山、大菩薩嶺を含む最後方の稜線は四万十帯に属します。御前山、大岳山を含む後方から2番目の稜線の山々は秩父帯です。その中間にある芋木ノドッケおよび
一番手前の低山秩父帯です。

大菩薩嶺~権現山 
写真2 西南西~西方向:大菩薩嶺権現山の四万十帯と、御前山などの秩父帯過去記事から再掲) 

写真で、最後方の大菩薩嶺、権現山を含む稜線に連なる山々およびその背後は四万十帯です。御前山、大岳山を含む後方から2番目の稜線の山々は秩父帯です。

権現山~富士山~大室山 
写真 南西~西南西方向:権現山・生藤山の四万十帯と、富士山大室山の南部フォッサマグナ。過去記事から再掲) 

写真で、権現山、生藤山を含み、手前で右(北)から左(南)になだらかに(大室山の手前まで)裾を引いている稜線は四万十帯に属します。その背後に聳える富士山大室山南部フォッサマグナに属します。


山座同定のテクニック:
このシリーズ記事で採用している山座同定のテクニックについては、シリーズ初回記事に詳しく紹介してありますのでご参照ください。


次回予告:
次回記事では、羽根倉橋から見える四万十帯の山々のうち、雲取山、鷹ノ巣山、高丸山について、望遠クローズアップ写真に地質や人間社会とのかかわりを添えてご紹介します。


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引用文献

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 

高橋雅紀(2016)東西日本の地質学的境界【第二話】 見えない不連続. GSJ 地質ニュース、 Vol. 5 No. 8:244-250.

ウィキペディア:(地質についての一般的な知識について参照した).


ハッシュタグ:
#羽根倉橋から見える山 #さいたま市から見える山 #荒川から見える山 #埼玉県から見える山 #関東の山々 #関東の山並 #四万十帯の山

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2019-02-19 (Tue)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を地質データも添えて紹介しています。

7回目の今回記事では、関東山地の4つの地質帯のうち、埼玉県秩父地方と東京都の奥多摩地方の大部分を占める秩父帯に属する個々の山々を、望遠クローズアップ写真を添えて紹介します。

目 次:
◆秩父帯の位置と地質概要
◆秩父帯の山々
◆武甲山
◆武甲山の地質と特殊植物群落
◆両神山
◆両神山の地質と民間信仰
◆武川岳
◆大持山、小持山
◆大持山、小持山の地質
◆御前山
◆芋木ノドッケ
◆大岳山:チャートがもたらした江戸漁民への方位目印
◆次回予告
◆引用文献
◆ハッシュタグ


秩父帯の位置と地質概要

関東山地を構成する4つの地質帯の中での秩父帯の位置付けは、図1(オリジナルの図は高橋(2016)の図3;外部リンク)の通りです。

地質帯の境界となる構造線の位置を含めた詳細については、前々回記事を参照ください。

関東地方の地質区分と構造線(高橋、2016を模写) 
図1(回記事から再掲) 関東地方南西部の地質区分と構造線高橋(2016)の図3を模写)(図はクリックすると拡大します)

御荷鉾構造線と仏像構造線に挟まれた秩父帯は石炭紀からジュラ紀の付加体*で、石灰岩・チャートからなる地質帯です(高橋 2016;地質調査総合センター 2019 アクセス)。

(*付加体とは、海洋プレートが海溝で大陸プレートの下に沈み込む際に、海洋プレートの上の堆積物がはぎ取られ、陸側に付加したもの〔Wikipedia〕。詳細はこちら;外部リンク)


秩父帯の山々

写真1は関東山地北東部を収めたパノラマ写真で、左半分に秩父帯の山々(両神山武甲山武川岳小持山大持山)が写っています(前回記事参照)。
丸山を含む右半分は前回記事で紹介したとおり、三波川帯に属します。

東御荷鉾山~大持山、山名入り、その2 
写真1 関東山地の北東縁部分 (さいたま市羽根倉橋から望む)(前回記事から再掲)(写真はクリックすると拡大します)

雲取山~大菩薩嶺~大岳山 
写真2 関東山地(写真1のすぐ左〔南〕)(さいたま市羽根倉橋から望む)過去記事から再掲) 

写真2写真1のすぐ左(南)隣のパノラマです。この中で、芋木ノドッケと、御前山大岳山を含む後方から2番目の稜線の山々およびその手前の低山秩父帯です。

最後方の稜線(雲取山高丸山鷹ノ巣山大菩薩嶺)は四万十帯に属します(次回記事で紹介)。

秩父帯の山々のうち、羽根倉橋から見える主なの山々を、以下に一つ一つ紹介してゆきます。

地質データは、地質調査総合センター(2019 アクセス)による地質図Navi」の地質図をマウスで右クリックすることで表示されたものです。


武甲山

写真3は、武甲山(ぶこうざん・ぶこうさん;1304m)と両神山です。

さいたま市から見える秩父帯の山を北(右)から順に紹介する場合のトップバッターは武甲山ですが、羽倉橋の上から見る時にだけ、両神山が武甲山の右にひょっこりと顔を出します。

武甲山、両神山 
写真3 武甲山、両神山 (さいたま市羽根倉橋から望む)

武甲山は、私が数年前に埼玉県に転居して自宅二階のベランダから真西の地平線を見渡した時に、最初に「あれは何?」と思った山です。

というのも、手前の低い稜線の向こうから尖った頭を突き出し、しかも右(北)斜面が不自然なほど急で、直線的な傾斜をしていたからです。

やがて、その山の名前が武甲山で、セメントの原料となる石灰岩が大規模に採掘されて来たために、あのような左右(南北)不対称な形の姿にされていることを知ることになりました。

そういえば「秩父セメント」のブランド名は、私の子供の頃、工事現場で目にしたセメント袋に大きく書かれていました。


武甲山の地質と特殊植物群落

実際、武甲山山頂は古生代ペルム紀~中生代後期三畳紀に堆積した玄武岩からなる付加体ですが、その北斜面は同じ時期に堆積した石灰岩の海成層が付加体になったもので、関東地方最大規模の石灰岩体であると言われています(地質調査総合センター 2019 アクセス)。

写真4は、2014年4月に、秩父市の羊山公園に家族で花見に出かけた時に撮った、武甲山の北斜面です。


武甲山の北斜面(羊山公園から) 
写真4 武甲山の北斜面(秩父市、羊山公園から;2014年4月

桜の枝越しですが、山の中腹から山頂までがテラス状に幾重にも削られていることがわかります。

武甲山のこの北斜面をGoogleマップの航空写真モード(3D表示)で上空から見た鳥観図はこちら(外部リンク)です。

Wikipedia(2019アクセス)によれば、武甲山は、秩父市と横瀬町の境界に聳える日本二百名山の一つで、固有種*のチチブイワザクラ(現地写真〔上州花狂いさん撮影〕はこちら;外部リンク)をはじめ石灰岩地の高山植物が群生し、「武甲山石灰岩地特殊植物群落」として国指定の天然記念物となっているとのこと。

(*注:チチブイワザクラの学名は Primula reinii Franch. et Sav. var. rhodotricha (Nakai et F.Maek.) T.Yamaz. なので、固有種ではなく固有変種(種よりも下位の分類階級)とするのが妥当です。参考:米倉浩司・梶田忠〔2019アクセス〕)。

武甲山は1900年の測量では標高は1336メートルを記録したが、山頂付近も石灰岩の採掘が進められたために、1977年(昭和52年)の測量では標高1295メートル(三角点)とされたとのこと。2002年の調査では西へ約25m離れた地点で標高1304m(国土地理院による最高地点)が得られたそうです(Wikipedia 2019アクセス)。

武甲山は石灰岩採掘により山容の変化が著しく、そのため旧山頂にあった縄文時代から近代までの信仰遺跡、巨岩群も完全に消滅し、天然記念物の高山植物群生地も大半が失われたとされます(Wikipedia 2019アクセス)。

文化庁(2019アクセス)には、武甲山石灰岩地特殊植物群落を構成する植物種として、チチブイワザクラの他にも、ミヤマスカシユリ、ブコウシャジン、ブコウカスミザクラ、チチブヤナギ ブコウマメザクラ、チチブヒョウタンボクなど多くの種・変種がリストされていますが、チチブイワザクラを含め希少な種・変種が今も残っているのか大変気になるところです。  


両神山

写真3(再掲)で、武甲山の右に顔を出している両神山(りょうかみさん;1723m;日本百名山)は幅広のゴツゴツした山頂が印象的です。

両神山は結構高い山ですが、秩父盆地を越えて遠方にあるため、羽根倉橋の上流側や下流側に観察者が移動すると、前景の稜線に隠されて、見ることができなくなります。

というわけで、羽根倉橋は、さいたま市の中では、両神山を見るためのベストスポットの一つといえるでしょう。

武甲山、両神山 
写真3(再掲) 武甲山、両神山 (さいたま市羽根倉橋から望む)
両神山(神流町塩沢峠から) 
写真5 両神山(後方のギザギザの稜線全体が山頂部)の北斜面(群馬県神流町塩沢峠から;2016年6月)

写真5は、私が2016年6月に秩父から群馬県の富岡方面へ車で移動中に、標高1070mの塩沢峠で埼玉県側を振り返って写した風景写真のうちの1枚です。

その時は、西から東に向かって下っていく稜線が幾重にも繰り返されている地形的特徴に興味を覚えましたが、石灰岩のピラミッドのように見える武甲山以外の山の名は区別できていませんでした。

今回、地形図やGoogleMapで検討した結果、写真5に写っているのは両神山であることがわかりました。

写真4、5のように東から見ても北から見ても、ギザギザの山頂部を持つ両神山の独特の山容は、その標高もあいまって周囲の他の山々を圧倒しています。


両神山の地質と民間信仰

両神山は地質学的には、石炭紀~前期ジュラ紀に堆積したチャートからなる付加体です。

実際に、両神山を構成する地層中からペルム紀やジュラ紀の放散虫の化石が多く発見されています(吉田・松岡 2003;Hisada et al. 1992)。

チャートとは何か、についてブリタニカ国際大百科事典では以下のように解説しています(抜粋)。

チャート(chert)は堆積岩の一種。主成分は二酸化ケイ素。放散虫、海綿の骨片などの化石を含むことが多い。海底火山活動や陸水によってもたらされたケイ酸分が、遠洋で化学的に沈積したとみられるものが多い。日本の古生界や中生界に多い。硬く、浸食に強いので急峻な山や峡谷を形成する。チャートは石器時代の人類の主要な工具であった。

二酸化ケイ素の結晶はダイヤモンドと同様に共有結合結晶であり、融点が高かったり硬い性質を持つ(Wikipedia)ので、これが石器にされたり、急峻な稜線を作り出す理由といえるでしょう。

山遊び♪さんのブログのこの写真(外部リンク)からも、両神山頂上付近の岩のゴツゴツ感が伝わってきます。

両神山が人間社会と古くから関わりを持ってきたことがWikipedia(以下に抜粋)に紹介されています。

両神山は小鹿野町と秩父市の境目にある。古くからの信仰の山であり、表登山道とされる東面の日向大谷からの道には、数多くの石仏、石碑、丁目石が残されている。東面の両神神社<観蔵院>と御嶽神社<金剛院>の2院を主要拠点として、修験道が展開されてきた。金剛院の古文書では1679年の御教書が確認されている。


武川岳

写真6武川岳(たけがわだけ;1051m)は、さいたま市から見ると武甲山のすぐ左に見える山ですが、実際は一つ手前の稜線にある山で、武甲山の南ではなく南東に位置します。

高麗川の上流部を走行する西武鉄道秩父線と国道299号は、飯能市と横瀬町の境界となる稜線の下を横切る正丸トンネルをくぐっていますが、この稜線上の最高峰が武川岳です。

武川岳の地質は、前期ジュラ紀から中期ジュラ紀の混在岩から成る付加体です。

大持山、小持山、武川岳 
写真6 大持山、小持山、武川岳 (さいたま市羽根倉橋から望む)


大持山、小持山

写真6大持山(おおもちやま;1294m)、小持山(こもちやま;1273m)は、武甲山から始まり北から南に連なる稜線上にあり、武甲山のすぐ南に位置します。

前述の武川岳がある稜線は、大持山の南東肩から東方向に分岐し、南東に連なる別の稜線(堂平山や丸山を含む)と接続しているものです。


大持山、小持山の地質

大持山小持山地質は、両神山と同じく、石炭紀~前期ジュラ紀に堆積したチャートからなる付加体です。

硬いチャートの岩が山頂部にあるため、両神山と同じく、山頂を含む稜線上のあちこちに岩が露出しているほか、とくに小持山南西斜面が切り立っている地形が出来上がっています。

刃物のように切り立った、小持山南西斜面をGoogleマップの航空写真モード(3D表示)で西南西から見た鳥観図はこちら(外部リンク)。

武甲山から小持山を経て大持山への稜線トレッキングで撮影された写真が、HIRACCHI.COMさんのブログ記事

このリンク先の10枚目の写真を見ても、たしかに小持山は石器の刃のように切り立っています。


芋木ノドッケ

写真7芋木ノドッケ(または芋ノ木ドッケ;1946m)は、中期ジュラ紀~前期白亜紀の混在岩からなる付加体で、秩父帯に属しています。

雲取山、芋木ノドッケ 
写真7 雲取山(こちらは四万十帯)、芋木ノドッケ (さいたま市羽根倉橋から望む)

芋木ノドッケは、雲取山から稜線(埼玉県、秩父市と東京都、奥多摩町の行政境界)づたいに北北東の位置にあり、多摩川の支流である日原川の源流部の一角をなしています。

すなわち、さいたま市から見える雲取山の斜面はそのまま東京都の奥座敷の上縁だったというわけです。

その雲取山(東京都の最高峰;2017m)は、喉から手が出るくらいに憧れさせる名前の山ですが、四万十帯にしますので、その賞かいは次回記事までお待ちください。

Wikipediaによれば、ドッケとは尖った峰を意味する言葉とのことで、東の峰続きには三ツドッケ(天目山、1576m)があります。


御前山

写真8御前山(ごぜんやま;1405m)も秩父帯に属する山です。

一方、背後の大菩薩嶺四万十帯に属します(次回記事に登場予定)。

御前山、大菩薩嶺 
写真8 御前山、大菩薩嶺 (さいたま市羽根倉橋から望む)

御前山は、東京都の多摩川上流、奥多摩湖の南東に聳えています。御前山と次の大岳は、多摩川水系の集水域を大きく南北にわけれた場合の、南側の集水域の分水嶺を作っている稜線(奥多摩町と檜原村の境界)に属している主要な山です。

多摩川水系の北側の集水域の分水嶺は埼玉県と東京都の行政境界となっています。

御前山の山頂部は、ペルム紀~ジュラ紀の海成層、石灰岩を主とした付加体です。
北東斜面は中期ジュラ紀~前期白亜紀の混在岩となっています。


大岳山:チャートがもたらした江戸漁民への方位目印

写真9大岳山(おおだけさん、おおたけさん;1266m)は稜線伝いに御前山の東にある山です(日本二百名山)。

大岳山 
写真9 大岳山 (さいたま市羽根倉橋から望む)

大岳山の南東につらなる馬頭刈山の南東の山麓部(JR五日市線の武蔵五日市駅付近)は秩父帯の南端になっています。

大岳山は、山頂部が石炭紀から中期ジュラ紀のチャートからなる付加体、北東斜面は中期ジュラ紀から後期ジュラ紀の海成層(砂岩泥岩互層)からなる付加体です。

大岳山も、両神山などと同じチャートから成るだけあって、頭の尖った山です。

東京登山さんのブログ記事「大岳山と馬頭刈山尾根を縦走」に掲載の大岳山の山頂の写真(外部リンク)を見ても、地面のあちこちから岩がゴツゴツ露出していることがわかります。

大岳山は、山頂付近の特徴的な形が目立つことから、古くは江戸湾の漁民からも目印にされ、鍋の蓋を伏せたように見えることから、「鍋割山」あるいや「鍋冠山」とも呼ばれていたそうです(Wikipedia)。

硬い岩石であるチャートchert)が作り出した山容が、舟で江戸湾に漕ぎだした漁民にとって一つの方位目印になったのでしょう。

船頭が見習いの漁夫に示した墨書きの海図chart)の縁には、その方向に鍋割山に模した膨らみが描かれていたかもしれません。

お後がよろしいようで。。。


次回予告

次回記事では、写真2で最後方に見え隠れしている稜線を構成している雲取山、高丸山、鷹ノ巣山、大菩薩嶺などの四万十帯に属する山々を、望遠写真と地質データを添えてご紹介する予定です。


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引用文献

文化庁(2019 アクセス)文化遺産オンライン:武甲山石灰岩地特殊植物群落.

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 

Hisada, K., Ueno, H. and Igo, H. (1992) Geology of the Upper Paleozoic
and Mesozoic sedimentary complex of the Mt. Ryokami area in the
Kanto Mountains, central Japan. Sci. Rep. Inst. Geosci. UnwTsukuba, Sec. B, 13, 127-151.(吉田・松岡 2003から間接引用)

上州花狂い(2019 アクセス)チチブイワザクラ

高橋雅紀(2016)東西日本の地質学的境界【第二話】 見えない不連続. GSJ 地質ニュース、 Vol. 5 No. 8:244-250.

ウィキペディア(Wikipedia):(山名の読み方、地質、人間社会とのかかわりなどの一般的な知識について参照した).

米倉浩司・梶田忠(2019アクセス)植物和名ー学名インデックス YList.検索語:”Primula reinii”.

吉田 和弘・松岡 篤(2003)関東山地秩父累帯両神山チャートユニットのパイルナップ構造.
地質學雜誌 109(6), 324-335.


ハッシュタグ:
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2019-02-15 (Fri)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を地質データも添えて紹介しています。

6回目の今回記事では、関東山地の地質帯のうち、最北東部に位置する三波川帯に属する個々の山々を、望遠クローズアップ写真を添えて紹介します。

目 次:
◆三波川帯の位置と地質概要
◆三波川帯の山々
◆関東ふれあいの道のある稜線に沿う御荷鉾構造線
◆次回予告
◆引用文献
◆ハッシュタグ


三波川帯の位置と地質概要

関東山地を構成する4つの地質帯の中での三波川帯の位置付けは、図1(オリジナルの図は高橋(2016)の図3;外部リンク)の通りです。

地質帯の境界となる構造線の位置を含めた詳細については、前回記事を参照ください。

関東地方の地質区分と構造線(高橋、2016を模写) 
図1(前回記事から再掲) 関東地方南西部の地質区分と構造線高橋(2016)の図3を模写)(図はクリックすると拡大します)

中央構造線と御荷鉾構造線に挟まれた三波川帯は、太平洋下のプレートによって運ばれてきた中期ジュラ紀~古第三紀付加体*に起源を持ち、地下深部で形成された高圧型変成岩(主として結晶片岩)からなる地質帯です(岡本ほか 2009;高橋 2016;地質調査総合センター 2019 アクセス)。

(*付加体とは、海洋プレートが海溝で大陸プレートの下に沈み込む際に、海洋プレートの上の堆積物がはぎ取られ、陸側に付加したもの〔Wikipedia〕。詳細はこちら;外部リンク)

写真1は、昨年秋に撮影した埼玉県長瀞の岩畳で、手前のゴツゴツとした段差のある岩盤をなしているのが結晶片岩です。

長瀞、岩畳 
写真1 長瀞の岩畳(結晶片岩からなる)

2014年の秋に、私が初めてこの岩場に足を踏み入れた時には、他では見たことのない青黒い縞と白い縞が不規則に繰り返す特徴的な岩面の表情と、岩塊の巨大さに圧倒されたものです。

日本地質学の父とも称される、ハインリッヒ・E・ナウマンが政府に地質調査所の設立を具申するきっかけとなった岩だけのことはあります(前回記事事参照)。


三波川帯の山々

以下、三波川帯の山々のうち、羽根倉橋から見える主な山々とその地質データを紹介します。

地質データは、地質調査総合センター(2019 アクセス)による「地質図Navi」の地質図をマウスで右クリックすることで表示されたものです。

東御荷鉾山~大持山、山名入り、その2 
写真2 関東山地の北東縁部分の遠景 (前回記事から再掲)(写真はクリックすると拡大します)

写真2は関東山地北東部を収めたパノラマ写真で、右半分に三波川帯、左半分に秩父帯の山並が写っています(前回記事参照)。

写真3以下は、この山並のうち、三波川帯に属する山々を望遠クローズアップしたものです。

笠山、西・東御荷鉾山 
写真3 笠山、西・東御荷鉾山(さいたま市羽根倉橋から望む)

写真3の、東御荷鉾山(ひがしみかぼやま(1246m)と西御荷鉾山(1287m)は、埼玉県境に近い群馬県の山で、地質は前期白亜紀から古第三期暁新世の変性玄武岩(高圧型変成岩に含まれる)です。

ただし、西御荷鉾山の南斜面(これ以南は秩父帯に属する)は後中期ジュラ紀から前期白亜紀の混在岩からなる付加体です。

写真3笠山(かさやま、837m)は埼玉県小川町/東秩父村の山ですが、東西の御荷鉾山と同じ前期白亜紀から古第三期の変成玄武岩です。

笠山には、過去記事でも紹介したように、乳房山という別名があります。

笠山と稜線を連ね、ときがわ町の西の境界をなしている堂平山*(どうだいらさん、875m)、剣ケ峰(876m、写真4)、そして横瀬町の丸山(960m、写真5)も、同じ前期白亜紀から古第三期の変成玄武岩です。

*注:ただし、堂平山の山頂部(写真4)は後期ジュラ紀から前期白亜紀のチャートからなる付加体となっていて、秩父帯が島状に乗っかっているかたちです。

剣ケ峯、堂平山 
写真4 剣ケ峯、堂平山(さいたま市羽根倉橋から望む)

写真4堂平山の山頂部には何か建造物が見えます。

ネット検索したところ、91cm反射望遠鏡を備える堂平観測所ドームなどの施設からなる「星と緑の創造センター」(ときがわ町が運営)とわかりました(公式サイト;外部リンク)。

そのドームは、なんと、国立天文台「堂平観測所」として西暦2000年まで稼働していたもので、現在は自然体験施設の一部として活用されています。

丸山 
写真5 丸山(さいたま市羽根倉橋から望む)

写真5には丸山が見えます。山の形にあまり特徴がないため、判定に手間取りましたが、山頂直下の斜面に広範囲に伐採跡が識別できたことと、右隣の山の伐採跡のパターンなどから確信を得ることができました。

その丸山の山頂に、何か建造物が見えます。

ネット検索した結果、埼玉県民の森展望広場が山頂にあり、コンクリート造りの展望台が建っていることがわかりました(写真はこちら;外部リンク)。

ところが、写真5で山頂部をを拡大して見えるのは細長いタワーです。

これを地理院地図でチェックしたところ、山頂部が東西に長い馬の背状になっていて、展望台は西(左)の「肩」の部分(三角点あり)にあり、東(右)の「腰」の部分には無線中継塔があるということがわかりました。

さいたま市方面(東方向)からは、その無線中継塔が見えるのみで、展望台は木立に隠れて見えにくくなっています。


関東ふれあいの道のある稜線に沿う御荷鉾構造線

写真2で、丸山のすぐ左(南)隣の小ピークから左に延々とつらなる濃紺の稜線は、武甲山や大持山がつらなる淡紺色の稜線の手前側を、関東平野にゆっくりと下っていきます。

東御荷鉾山~大持山、山名入り、その2 
写真2(再掲) 関東山地の北東縁部分(さいたま市羽根倉橋から望む)前回記事から再掲)

この濃紺の稜線は飯森峠からユガテまでは飯能市の北東境界となっていて、「関東ふれあいの道*」が開かれています。

*注:「関東ふれあいの道」は、この稜線だけでなく、関東地方のあちこちの低山地に開かれていることが地理院地図での検索からわかりました。

前回記事で書いたように、この濃紺の稜線のうち、丸山から右(北)は三波川帯、それよりも左は秩父帯となっています。秩父帯となっている稜線の部分も、その北東斜面の3~6合目あたりから下は三波川帯になっています。

言い換えれば、両地質帯の境界となる御荷鉾構造線が丸山の南でこの稜線をまたぎ、以後はその稜線に沿って北東斜面を走っています。 


次回予告

この御荷鉾構造線の向こう側(南西側)に広がる秩父帯には、写真2の左半分の遠景の淡い紺色の稜線を構成する武甲山から大持山までの山々も含まれています。さらに、最背景の両神山もそうですし、写真2のフレームをはみ出して左(南)に延々と続く稜線上にも、まだまだ秩父帯に属する山々が多くあります。次回記事では、これらの山々のいくつかを、望遠写真と地質データを添えてご紹介する予定です。


引用文献

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 

岡本 和明, 青木 一勝, 丸山 茂徳(2009) 四国中央部三波川変成帯のテクトニクス 地質学雑誌 115 巻 Supplement 号 p. S37-S49

高橋雅紀(2016)東西日本の地質学的境界【第二話】 見えない不連続. GSJ 地質ニュース、 Vol. 5 No. 8:244-250.

ウィキペディア:(山名の読み方、岩石などの一般的な知識について参照した).
https://ja.wikipedia.org


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2019-02-10 (Sun)
本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を紹介しています。

5回目の今回記事では、東御荷鉾山(写真1、右端)からずらりと南に連なる関東山地の山々を、望遠クロ―ズアップ写真を添えて紹介する予定でしたが、その成因・地質を紹介する上で基盤となる関東山地の地質帯とそれを区切る構造線について、最新(2016年)の文献に基づいてまとめたものを先にご覧いただきます。

東御荷鉾山~大持山、山名入り、その2 
写真1 関東山地の北東縁部分の遠景 (過去記事掲載写真に加筆)(写真はクリックすると拡大します)

目 次
◆関東山地は一級品のジオパーク?
◆中央構造線を西から東へたどる
◆関東山地北東部を縁取る中央構造線
◆関東山地を構成する4つの地質帯
◆関東山地を区切る地質構造線
 1)御荷鉾構造線(三波川帯/秩父帯)
 2)仏像構造線(秩父帯/四万十帯)
 3)藤ノ木ー愛川構造線(四万十帯/南部フォッサマグナ)
◆次回予告
◆引用文献
◆ハッシュタグ


関東山地は一級品のジオパーク?

関東山地範囲・定義は文献によって微妙にずれますが、ここでは「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」による以下の定義に従うことにします。

関東山地の北限は鏑川の谷、南限は酒匂川谷、西限は千曲川谷、東限は藤岡から八王子を結ぶ階段状断層崖。埼玉、山梨県境部を特に秩父山地と呼び、南部は丹沢山地と呼ぶ。」

高橋(2016)によると、この関東山地の北縁から北東縁にかけて中央構造線が走っています。

中央構造線と並走する南側の地質は、はるか四国の四万十地方などとも連続する帯状の付加体(三波川帯秩父帯四万十帯)となっており、それぞれ地層の構成要素、堆積年代が異なります。

更にその南には、フィリピンプレートが運んできた地塊が衝突してできた丹沢山地(南部フォッサマグナに属する)が控えていることから、関東山地そのものだけで、お隣の富士・箱根・伊豆の山々の助けを借りなくとも、一大ジオパークの様相を呈しています。

東京帝国大学(現:東京大学)地質学教室の初代教授ハインリッヒ・E・ナウマン肖像写真;外部リンク)が政府に地質調査所の設立を具申したのも、学生を引率して1878年に長瀞を訪れ、岩畳で結晶片岩*を見つけたことが、一つのきっかけだったといいます(西村 2017)。

(*注:結晶片岩は低温高圧型変成帯に広く見られる変成岩の一種。引用元の文中の「結晶方岩」は漢字変換ミス。)


中央構造線を西から東へたどる

さて、関東山地の北から北東部を縁取る中央構造線について、少し詳しく見ていきます。

文字表記のみによる説明では分かりにくい方は、中央構造線について解りやすく解説したサイトである、大鹿村中央構造線博物館(2019アクセス)の解説記事などを参照するとよいでしょう。

中央構造線の最新(2016年現在)の位置図(日本地図上に描画)はこちら(外部リンク、斉藤・宮崎2016)の図2をご覧ください。

斉藤・宮崎(2016)は、「白亜紀の領家変成岩類と呼ばれる地質体の南端が、三波川変成岩類と呼ばれる地質体ないしそれより新しいものに接した断層が地表に現れた"線"を中央構造線」とする定義のもとで、九州には中央構造線は存在しないとしています。

一方、高橋(2016)は九州東部の一部にも中央構造線を認めています。

斉藤・宮崎(2016)、大鹿村中央構造線博物館(2019アクセス)、地質調査総合センター(2019 アクセス)を参考に、日本列島における中央構造線の走行位置を西から東にたどると、おおよそ、以下の通りになります。

中央構造線は、四国・愛媛県の佐多岬半島沖から岸沿いに東に進み、伊予市に上陸し、松山自動車道、徳島自動車道・吉野川づたいに四国山地北縁を通り、紀伊水道を越えて、和歌山県の紀ノ川(奈良県では吉野川)づたいに東に進み、三重県では櫛田川、宮川に沿って下り、伊勢二見浦から伊勢湾の入口の伊良子水道を越え、愛知県の渥美半島の先端にいったん上陸し、半島沿いの三河湾を抜け、豊川河口付近で再上陸し、新城市を通過したあたりで北東方向にゆるやかにカーブし、佐久間ダム付近で天竜川を横断し、静岡県のJR水窪駅付近から水窪川沿いに進み、長野県に入ってからは小嵐川、上村川、三峰川、藤沢川沿いの直線的で狭くて非常に長い谷底(赤石山地の稜線と平行)を国道152号と並走し、諏訪湖の南の茅野市で糸魚川-静岡構造線にたどりついたところで、いったん途切れます。


関東山地北東部を縁取る中央構造線

いよいよ本題の、関東山地沿いの中央構造線について見ていきます。

高橋(2016)と地質調査総合センター(2019 アクセス)にもとづいて、諏訪湖以東から関東山地辺縁までの中央構造線図1;オリジナルは高橋(2016)の図3;外部リンク)をたどってみます。

関東地方の地質区分と構造線(高橋、2016を模写) 
図1 関東地方南西部の地質区分と構造線高橋(2016)の図3を模写)(図はクリックすると拡大します)

中央構造線は、糸魚川-静岡構造線でいったん途切れたあと、諏訪湖の北の岡谷インターチェンジ(以下、IC)付近で、糸魚川ー静岡構造線から横枝のように分岐するかたちで地下での走行を開始し、王ケ頭、立科町のそれぞれ深部を通って滑津川(内山峡)沿いに東に走り、佐久市相立から初谷温泉にかけて地表に現れ、県境の熊倉峰の地下を潜ってすぐに東斜面(群馬県側)に現れた後、荒船山北斜面の地下、物語山の直下をくぐり、下仁田町大北野でまた現れ、以後、関東山地の北東部の山裾沿いを走り、埼玉県の比企丘陵を過ぎたところで関東平野に潜り込み、関東平野の厚い堆積層の下を千葉県銚子方面に向かうことが想定されています。

中央構造線が関東山地の北東縁をどのように通っているかを、もう少し分かりやすく示すと、上信越道下仁田ICから東へ吉井IC付近へと続く鏑川沿いに進んで関東山地の東北隅を回り、県境の神流川を渡って埼玉県にはいると、JR八高線のすぐ西に沿って南東に進み、荒川を渡る直前からは関越自動車道の西沿いに進んで嵐山小川IC付近に至ったところで途絶えます。

この経路を、更に詳しい地名表示によって示すと、下仁田町大北野で現れて以降東に進み、標高435mの浅間山を通過したあと、石淵、堀ノ内付近で鏑川に出て更に東に進み、高崎市吉井町大沢を経て、吉井町谷で東南東に折れ、藤岡市保美を経て埼玉県美里町猪俣で南東に折れ、寄居町牟礼付近を経て嵐山町と小川町の境界を流れる市野川に沿って進み、小川町本宿と嵐山町の杉山城跡との間あたりで関東平野に潜り込みます。


関東山地を構成する4つの地質帯

高橋(2016)によると、中央構造線で北東部を縁取りされた関東山地の地質ゾーンは、3つの構造線により、大きく以下の4つの地質帯に分けられます(図1;オリジナルは高橋(2016)の図3;外部リンク)。地層の構成要素および堆積時期は主にWikipediaによります。

ーー中央構造線ーー

三波川帯:付加体;地下深部で形成された高圧型変成岩;ジュラ紀~白亜紀

ーー御荷鉾構造線ーー

秩父帯:付加体;石灰岩・チャート;石炭紀~ジュラ紀
 (※高橋(2016)は、秩父帯の西半分を北帯、中帯、南帯に3区分していますが、ここでは一括して秩父帯として扱います)

ーー仏像構造線ーー

四万十帯:付加体;白亜紀~古第三紀。砂岩、泥岩、チャート、玄武岩、斑れい岩など

ーー藤ノ木ー愛川構造線ーー

南部フォッサマグナ(丹沢山地を含む)衝突 ・付加体;水中溶岩・水中火山砕屑岩類;礫岩・砂岩;第四紀火山の噴出物(天野ほか 2007);新第三紀以降


関東山地を区切る地質構造線

関東山地を構成する4つの地質帯を区切る地質構造線の走行位置図1;オリジナルは高橋(2016)の図3;外部リンク)を、高橋(2016)と地質調査総合センター(2019 アクセス)から読み解くと、およそ以下のようになります。

関東地方の地質区分と構造線(高橋、2016を模写) 
図1(再掲) 関東地方南西部の地質区分と構造線高橋(2016)の図3を模写)


1)御荷鉾構造線(三波川帯/秩父

御荷鉾構造線の走行位置は、関東山地でのこの構造線の西端にあたる稲倉山(群馬県甘楽町南東端の雄川源流部)から、東に向かって進み、西御荷鉾山山頂、東御荷鉾山頂を経て、神流湖(下久保ダム)の上流側で神流川(群馬・埼玉県境)を越え、不動山西斜面、宝登山を経て長瀞の親鼻橋で荒川を横切り、蓑山西麓、秩父市上郷、山田、上山田、横瀬町刈米、森下、丸山、堂平山南斜面、ときがわ町捫平、越生町赤坂、戸神、梅ノ久保、黒山、毛呂山町の中在家、午頭山の西麓、獅子ケ滝上流、阿諏訪を経て、大谷木までとなっています。

ただし、小川町と東秩父村の境界の官ノ倉山頂を含む稜線とその斜面、堂平山頂、小川町の下古寺、上古寺、京田を流れる沢地の斜面のあたり、そして越生町の大高取山の山頂と北斜面には、秩父帯が食い込んでいます(オリジナルの画像は高橋(2016)の図3;外部リンク)。

御荷鉾構造線の走行位置を集落名のみで説明したのでは分かりにくいので、秩父盆地の南東隅から東の山地の一帯での走行を地形的に説明し直します。

西部池袋線正丸駅付近から 日高市武蔵台付近まで南東に流れ下る高麗川やそれと並走する国道299号線は、この一帯の秩父帯地質の走行と平行する傾向がみられます。

高麗川のこの部分の北東側谷斜面をつくる稜線をなす、刈場坂峠、檥(ぶな)峠、飯森峠、高山不動尊奥の院を経て笠杉峠に至る稜線関東ふれあいの道が走る)と、それより南西側の山地秩父帯となっており、この稜線に沿う北東斜面御荷鉾構造線が走り、その線の北東側三波川帯になります。

東御荷鉾山~大持山、山名入り、その2 
写真1(再掲) 西北西方向:東御荷鉾山~堂平山~武甲山~大持山 

写真1の中央で最前列の低山地がくぼんで隠れたあたり(毛呂山町の山麓部)に御荷鉾構造線東端があり、それより右(北)の手前側の稜線とその背後の稜線(丸山より右〔北〕)は剣ケ峰笠山を含め三波川帯となります(ただし、堂平山の頂上秩父帯が飛び地状に入っているところ)。その更に背後の東西の御荷鉾山三波川帯です。

写真1の後方の稜線のうち、丸山のすぐ左(南東)のピーク*を基点に左(南東)にだらだらとつらなり、武甲山や大持山の手前を通り過ぎて、平野面へ落ち込んでいくゴツゴツした稜線(関東ふれあいの道がある)は前述のように秩父帯に属します。

(*注:このピークから北に分岐している稜線(大野峠から白石峠を経て長瀞へ)は三波川帯ですが、写真では丸山に続く稜線の背後に隠れています)

更にその背後の武甲山武川岳子持山大持山と連なる稜線も秩父帯、そのもっと背後から顔を出している両神山(秩父盆地の西縁)も秩父帯です。


両神山~鷹ノ巣山、山名入り 
写真2(過去記事から再掲) 西~西北西方向:両神山~武甲山~雲取山~鷹ノ巣山

写真2で、両神山武甲山小持山大持山を含む稜線は前述のとおり、秩父帯に属しますが、その背後から顔を出している雲取山高丸山鷹ノ巣山などの山々は次の四万十帯に属します。

武甲山の手前(東)にあり、左(南)に下っていく低い稜線は、関東ふれあいの道がある稜線と連続していて、秩父帯です。

写真1丸山のすぐ左(南東)のピークから、写真2芋木ノドッケまでの最背後の稜線は、秩父山地の中で秩父帯が作り出した山々のオンパレードということができます。


2)仏像構造線(秩父/四万十帯

仏像構造線は、北西から南東に向って以下の順に走っています。

長野県南佐久郡川上村川端下、甲武信岳と十文字峠の間を通って、埼玉県の奥秩父もみじ湖(滝沢ダム)、秩父市落合の道の駅、秩父湖(二瀬ダム)、雲取山の頂上直下の北東斜面を通過し、東京都にはいってからは天目山(三ツドッケ)・蕎麦粒山の南西、鷹ノ巣山の北東に挟まれた沢地、奥多摩湖(小河内ダム)の東の奥多摩駅付近(奥多摩町)、鋸山、大岳山の南西斜面、あきるの市戸倉、小和田(武蔵五日市駅の南西)を通過して、八王子市上川町に至ります。

もっとすっきりと表現するなら、仏像構造線は、御岳山から、妙法ケ岳、熊倉山、大平山、天目山、三ツドッケ蕎麦粒山、奥多摩駅、大岳山を経てあきる野市の五日市付近へと走っています。

とはいえ、仏像構造線は特定の川の流路に沿うような傾向がなく、次の藤ノ木ー愛川構造線と比べると、特定しにくいです。

写真3で、御前山大岳山を含む後方から2番目の稜線の山々、およびその手前の低山秩父帯です。

雲取山~大菩薩嶺~大岳山 
写真3(過去記事から再掲) 西方向:雲取山~大菩薩嶺~大岳山

大菩薩嶺~権現山 
写真4(過去記事から再掲) 西南西~西方向:大菩薩嶺~権現山

写真3、4で、最後方の雲取山高丸山鷹ノ巣山大菩薩嶺権現山を含む稜線に連なる山々およびその背後は、すでに触れたように四万十帯です。ただし、芋木ノドッケは前述のように秩父帯に属します。


3)藤ノ木ー愛川構造線(四万十帯/南部フォッサマグナ)

藤ノ木ー愛川構造線は、丹沢山地の北の縁から南東隅までを巻くように、以下の順に走っています。

山梨県の中央自動車道の大月ICから、桂川(相模川)と中央自動車道に沿いつつ神奈川県に入り、相模湖を過ぎたところで少し南西に反れて、愛川町の中津川に沿い、宮ケ瀬ダムを通り、相模川との合流点近くまで南下したところ(伊勢原市)で地下に潜ります。

権現山~富士山~大室山 
写真5(過去記事から再掲) 南西~西南西方向:権現山~富士山~大室山

富士山~丹沢山~三ノ塔 
写真6(過去記事から再掲) 南西方向:富士山~丹沢山~三ノ塔

蛭ケ岳~丹沢山~三ノ塔~大山 
写真7(過去記事から再掲) 南南西~南西方向:蛭ケ岳~丹沢山~三ノ塔~大山

写真5で、富士山南部フォッサマグナ地域内の第四紀火山ですが、その手前で、右(北)から左(南)になだらかに裾を引いている権現山生藤山を含む稜線は、前述のように四万十帯に属します。

写真5,6、7で、その後方(南西)から盛り上がって、大室山から檜洞丸蛭ケ岳丹沢山を経て三ノ塔大山と連なる丹沢山地は、南部フォッサマグナを代表する山塊です。

写真6では、藤ノ木ー愛川構造線は大室山の右(北)麓から始まって、丹沢山地の手前(北東)の麓を流れ下る相模川沿いを走っています。

このように、藤ノ木ー愛川構造線は他の2つの構造線にくらべて、地形的に大変把握しやすい構造線ですので、中央自動車道あるいは国道20号で上野原市(談合坂あたり)を通る際には北斜面を、東名高速道で伊勢原市を通過する際には北側の丹沢山地東縁(大山山麓)を(運転中でない時にかぎって)じっくりと眺めて、地球の歴史の一場面を想起しようと考えています。


次回予告

次回記事では、関東山地のうち、北東半分を占める2つの地質帯、すなわち三波川帯と秩父帯に属する個々の山々(東西の御荷鉾山、両神山、武甲山、御前山、大岳山など)を、望遠クローズアップ写真に地質データを添えて紹介する予定です。


引用文献

天野一男・松原典孝・田切美智雄(2007)富士山の基盤:丹沢山地の地質 -衝突付加した古海洋性島弧-.in:荒牧重雄・藤井敏嗣・中田節也・宮地直道 編(2007)富士火山.山梨県環境科学研究所、所収、p.59-68.
http://www.mfri.pref.yamanashi.jp/fujikazan/original/P59-68.pdf

地質調査総合センター(2019 アクセス)地質図Navi.産業技術総合研究所. 
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#9,35.512,139.485

西村敏也(‎2017)長瀞観光と長瀞駅前商店街.
https://repository.musashi.ac.jp/dspace/bitstream/11149/1955/2/sogo2016_26_164%281%29_nishimura.pdf

大鹿村中央構造線博物館(2019 アクセス)中央構造線ってなに?
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex03.htm

斎藤  眞・宮崎一博(2016)中央構造線に関する現在の知見−九州には中央構造線はない−.
https://www.gsj.jp/hazards/earthquake/kumamoto2016/kumamoto20160513-2.html

高橋雅紀(2016)東西日本の地質学的境界【第二話】 見えない不連続. GSJ 地質ニュース、 Vol. 5 No. 8:244-250.
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol5.no8_244-250.pdf

ウィキペディア:(地質についての一般的な知識について参照した).
https://ja.wikipedia.org


ハッシュタグ:
#羽根倉橋から見える山 #さいたま市から見える山 #荒川から見える山 #埼玉県から見える山 #関東の山々 #関東の山並 #埼玉県の山 #秩父山地の山 #南部フォッサマグナ #中央構造線 #関東山地の地質帯 #関東山地の地質構造線


付記:写真1のラベルを次のように訂正しました(2019.2.11.):丸山を正しい位置に移動し、剣ケ峰を追加。


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2019-02-03 (Sun)
関東平野の1月。北東の乾いた季節風が強く吹くと、空気がいくらかでも澄みわたり、さいたま市からでも場所を選べば関東の山並をずらりと見渡すことができます。

本シリーズ「さいたま市境、羽根倉橋から見た関東の山々」では、昨年1月7日(快晴の日)の午前11時過ぎに さいたま市西端の荒川にかかる羽根倉橋から眺望・撮影することができた山々を紹介しています。

4回目の今回記事では、草津白根山浅間山、そしてその間に見える山々を、望遠クロ―ズアップ写真を添えて紹介してゆきます。

目 次
◆雪雲のベールを脱いだ草津白根山
◆草津白根山の火山活動
◆四阿山とその前景の笹塒山、浅間隠山、鼻曲山
 1)笹塒山、浅間隠山、鼻曲山
 2)四阿山
◆噴煙くゆらす浅間山
◆浅間山の活動歴
◆浅間山・白根山一帯の地史
◆山座同定のテクニック
◆次回予告
◆引用文献
◆ハッシュタグ

雪雲のベールを脱いだ草津白根山

前回記事の最後でご紹介した榛名山からカメラレンズを西寄りにずらすと、榛名山の裾野の向こうに横たわる、その名の通り、真白に化粧した草津白根山が写り込みます(写真1)。

草津白根山
写真1 草津白根山(本白根山、白根山)(写真はクリックで拡大します)
 
草津白根山日本百名山)は、単に白根山と呼ばれることもありますが、白根山は群馬県内にもう一つあることから(別名、日光白根山こちらの過去記事参照)、相互の混乱を避けるために隣接地を表わす接頭語が追加されたものでしょう。

もうひとつ、混乱しやすいのは、草津白根山には白根山(2160m)と本白根山(2171m)という二つの主要ピークがあり、最高標高は本白根山であることです(Googleマップの航空写真モード(3D表示)で見た草津白根山の画像参照:外部リンク)。

ですので、単に白根山といった場合には本白根山を含むのか含まないのかという曖昧さが残ります。

というわけで、白根山(2160m)と本白根山を包括する全体を草津白根山と定義すれば、混乱は少なくなります(以下、この用法を採用)。

写真1では、雪雲が、草津白根山の二つの主要ピークのうちの白根山の山頂を隠していますが、本白根山のピークはそれを免れています。

草津白根山は、山頂付近から中腹にかけて大規模なスキー場が、山麓部には草津温泉等もあり、一大観光地になっています。

18歳まで利根・沼田地方に住んでいた私にとっては、国鉄上越線や国道17号線沿いにスキー場も温泉地も豊富にあったことから、草津方面に出かけるまでもありませんでした。

図らずも、故郷群馬を離れて52年後の昨年、150km離れた さいたま市から望むことで、関東の山座の西の大関*たる草津白根山と初対面が実現しました。

(*注:東の大関日光白根山(群馬・栃木県境)です。いずれも筆者の独断によるもの。こちらの過去記事参照)


草津白根山の火山活動

草津白根山は、60万年前以降、火山活動をしている複成火山(地質調査総合センター 2016)かつ成層火山(西来ほか 2014a)で、2018年(1月23日)の噴火(本白根山の鏡池周辺)では、近くのスキーゲレンデにいた1人が亡くなり、11人が負傷したと報じられています(新聞記事;外部リンク)。

噴火は写真1を撮影した16日後に起きたことになりますが、撮影や現像の際には思いもよらなかった出来事でした。
 
以下はネット上の文献からまとめた、草津白根山の活動の歴史です。

◇草津白根火山の基盤を成すのは、新第三紀の火山岩類(宇都ほか 1983)。
◇草津白根山火山の形成は、大きく3つの噴火期に分けられる(早川 1983)。
◇第一噴火期は50~60万年前、第二噴火期はそれに引き続いて、そして第三噴火期は16000年前から現在まで(寺田  2018) 。
◇第二噴火期と第三噴火期の間には、10万年以上の休止期があったらしい(早川・由井 1989)。
◇第三噴火期に、湯釜噴火口を有する白根火砕丘、逢ノ峰火砕丘および本白根火砕丘が形成された(寺田  2018) 。
◇最新のマグマ噴火は1500年前に起きている(寺田  2018) 。
◇白根火砕丘は1882年から噴火を繰り返している(寺田  2018) 。
◇本白根火砕丘の2018年の噴火は歴史記録上初めてのもの(寺田  2018)。

荒牧(1993)は、草津白根山に加えて、今回記事で扱う浅間山、鼻曲山、四阿山ほか、この一帯の火山群の地史について、わかりやすくまとめています(この後の「浅間山」の項で紹介)。


四阿山とその前景の笹塒山、浅間隠山鼻曲山

草津白根山の西寄りの方向には、笹塒山、浅間隠山、鼻曲山が低いながらもゴツゴツした山並を作り出していて、鼻曲山の背後には真白に化粧した四阿山(あずまやさん)の、つんと尖ったピークが顔を出しています(写真2)。

鼻曲山、浅間隠山 
写真2 四阿山、笹塒山、浅間隠山鼻曲山


1)笹塒山、浅間隠山鼻曲山

鼻曲山(はなまがりやま;1655 m)は長野県(軽井沢町)と群馬県(高崎市と長野原町)の境界点にあり、高崎市周辺を潤す烏川の源流部を抱いています。

鼻曲山から北の浅間隠山(あさまかくしやま;1757m;日本二百名山)、さらに笹塒山(1402m ;ささとややま)を経てその東へとつらなる稜線は、烏川(からすがわ)水系と吾妻川水系との分水嶺となっています。

写真2では確認できませんが、浅間隠山付近で分岐して北に延びる稜線は、菅峰(かんぽう;1473m)へと連なります。

北東群馬(利根沼田地方)育ちの私は、これらの地味な山々とは全く縁がありませんでしたが、今回の記事作成に際してその成因などを調べてみたところ、いずれの山も赤城山や榛名山の先輩にあたる、より古い火山であることがわかり、興味を覚えました。

以下、これらの山々の活動歴を取り上げます。

◇鼻曲山は、約100万年前~60万年前に活動した成層火山(西来ほか 2014a)。
◇浅間隠山は、約140万年前に活動した貫入岩(西来ほか 2014a)。
◇菅峰火山は 、菅峰 、浅 間 隠山、笹塒山などの独立主峰からなり、著く浸食され 壮年期地形を呈する (中村 2005)。
◇菅峰火山の活動は、溶岩流の年代測定データから、前期更新世(中村 2005)。
◇笹塒山南方の川浦に分布する溶岩のカリウム・アルゴン年代値は、97万年±5万年前(金子ほか 1989)。
◇浅間隠山のカリウム・アルゴン年代値は、142万年±16万年前(群馬県地質図作成委員会   1999 )。


2)四阿山

四阿山(2354m;日本百名山)は、約90万年前~30万年前(約30万年前に最新のプリニー式噴火)の成層火山,溶岩ドーム(西来ほか 2014a)です。

四阿山は、浅間山同様、群馬・長野県境の2000m級の火山ということもあって、私も聞いたことのある山名です。

しかし、「これが四阿山」という形で向かい合ったのは、2017年3月にアップしたブログ記事(こちら)で、さいたま市から望遠撮影したその山の姿を題材にした時が初めてでした。

昨年、信州で自然探訪ドライブをした際には、浅間山とともに四阿山をも近くから眺めることができています(いずれブログにアップする予定です)。

西来ほか(2014b)は、カリウム-アルゴン法による年代測定結果等に基づき、四阿火山の形成史を以下のようにまとめています。

四阿火山の山頂部には、浦倉山根子岳と連なる稜線を縁とする、環状の崩壊地形*が発達する(太田・片田 1955はカルデラとしていた)。
◇四阿火山は、以下の三つの火山体に分けられる。
・「初期火山体」:四阿山から茨木山、的岩山にかけて;開析が進んでいる
・「根子岳火山体」:傾斜は緩やか
・「浦倉山火山体」:傾斜は緩やか
◇「初期火山体」は約80~55万年前に活動
◇「根子岳火山体」は70~65万年前に活動
◇「浦倉山火山体」は50~45万年前に活動
◇山頂部の環状の崩壊地形は、初期火山帯と根子岳火山体の形成後の約55~50万年前の間に形成された。

(*注:この外部リンク画像は、その崩壊地形をGoogleマップの航空写真モード(3D表示)で見たもの)


噴煙くゆらす浅間山

四阿山の更に西寄りの方向には、浅間山とそれを取り囲むピーク(前掛山、黒斑山、剣ヶ峰)を望むことができます(写真3)。

四阿山~浅間山 
写真3 浅間山、前掛山、黒斑山、剣ヶ峰

浅間山(あさまやま;2568m)は日本百名山の一つ。
約13万年から活動している複成火山(成層火山;西来ほか 2014a)で、溶岩流および小型楯状火山、溶岩ドームから成り、最新噴火は2015年(地質調査総合センター 2016)。

浅間山は、私が群馬県に住んでいた1948年~1966年の間だけでも、11回噴火しています(東京大学地震研究所 2019 アクセス)。

私が子どもの頃、一度だけですが、浅間山上空から西風に煽られて飛んできた火山灰が、自宅の庭の草や木の葉の上に うっすらと積もったことを覚えています。

ネット検索の結果、1958年11月10日の噴火で沼田地方にもに降灰があったという記録(群馬県2019 アクセス)がヒットしたので、おそらくこの噴火だったと思われます。私が小学5年生の時でした。

私は、中学校のバス旅行で浅間山の溶岩が一大景観を作り出している「鬼押出し」(群馬県嬬恋村)に行き、1783年(天明3年)の噴火で流出した溶岩の大きな塊の間を歩いたことを覚えています。

その後も、妻の実家への帰省等で碓氷峠を越えて佐久平を通過するたびに、車窓から浅間山の雄大な山容に出会うことが、愉しみの一つとなっていました。


浅間山の活動歴

早川(1995) によれば、浅間火山*は、黒斑山仏岩**前掛山からなる三重式火山だそうです。

(*注:この外部リンク画像は、その崩壊地形をGoogleマップの航空写真モード〔3D表示〕で見たもの)
(**注:仏岩はリンク画像の右下〔浅間山の南東斜面〕の大きな窪みの縁にそそり立つ大きな岩壁の最上部)


以下は、早川(1995) から抜粋した、浅間火山の活動歴です。

1) 黒斑期(約4万~2万2000年前)
◇今から2万3000年前、黒斑山の山体が東へ大きく崩壊し、高速で流れ下る土砂からなる岩なだれを起こした。
◇黒斑山には、東に開いた馬蹄形カルデラが残された。馬蹄形カルデラを修復すると均整のとれた円錐形火山体が復元できる。

2) 仏岩期 (2万2000~1万5000年前)
◇仏岩は弥陀ケ城岩ともよばれ前掛山になかば覆われる形で、その東南東2kmに位置する溶岩。
◇仏岩は黒斑山の崩壊後まもなく噴火をはじめ、1000~2000年おきに大規模な軽石噴火を繰り返した。
◇1万5000年前に起こった噴火は浅間火山の形成史上最大規模の噴火だった。

3) 前掛期(1万5000年前~現在)
◇平原火砕流の噴火直後に火山錐の形成をはじめ、1000年くらいで現在の高度(2568m)にほぼ達したらしい。
◇最近の大噴火は1783年に起こった天明噴火が有名である。
◇この噴火では、プリニー式噴煙柱から軽石を降らせつつ、吾妻火砕流・鬼押出し溶岩かんぼら流・鎌原岩なだれが発生した。
◇前掛山は400m×400mの火口を頂上にもち、現在も成長中である。
◇山頂火口を囲む小丘は釜山とよばれる。
◇その外側にある前掛山の両肩は、1108年 噴火の火口の大きさ(1300m×1000m)を示している。


浅間山~白根山一帯の地史

以下、浅間山から四阿山、白根山にかけての火山地域の地史について、荒牧(1993)から抜粋しておきます。

◇浅間火山周辺はフォッサ・マグナの東の縁付近に位置する。
◇この地域は日本列島の新第三紀火山活動が活発に行われた地帯の一部であり、浅間火山の地下には、あまり深くない所に、中新世~鮮新世の火山物質に富む厚い地層があると考えられる。
◇この地域では、おそらく中新世前期に海進が始まり、砕屑岩類と共に多量の火山性物質が堆積した。
◇鮮新世に入ると、この地域は徐々に陸化し、湖成層を含めた陸成層の堆積が主となってくる。
◇同時に火山活動が盛んになり、その大きな中心は現在の烏帽子火山西部から佐久盆地東方山地を経て、妙義・霧積地域にかけてであった。
◇第四紀に入って、烏帽子・浅間・高度山・鼻曲草津白根四阿・志賀をはじめ多くの火山が生じた。


山座同定のテクニック:
このシリーズ記事で採用している山座同定のテクニックについては、シリーズ初回記事に詳しく紹介してありますのでご参照ください。


次回予告:
次回記事では、両神山・武甲山・雲取山ほかの関東山地の山々を、望遠クローズアップ写真を添えて紹介します。


引用文献:

荒牧重雄(1993)浅間火山地質図.地質調査所.
https://www.gsj.jp/data/VOLC/PDF/GSJ_MAP_VOLC_06_1993_D.pdf

地質調査総合センター(2016)日本の火山.
https://gbank.gsj.jp/volcano/index.htm
https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_list.html#E

群馬県(2019 アクセス)浅間山噴火の歴史(昭和~平成).
https://www.pref.gunma.jp/contents/000247493.pdf

群馬県地質図作成委員会(1999)群馬県 10万分の1地図解説書.内外地図,114p.(中村〔2005〕から間接引用)

早川 由紀夫 (1983)草津白根火山の地質。地質学雑誌89巻9号 p. 511-525.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/89/9/89_9_511/_pdf/-char/ja

早川由紀夫・由井将雄 (1989) 草津白根火山の噴火史.第四紀研究,28,1-17.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/28/1/28_1_1/_pdf/-char/ja

早川 由紀夫(1995) 浅間火山の地質見学案内.地学雑誌 104 巻 4 号 p. 561-571.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/104/4/104_4_561/_pdf

金子隆之・清水 智・板谷徹丸(1989)K-Ar年代から見た信越高原地域の火山活動.岩鉱 ,84 : 211−225 .(中村〔2005〕から間接引用)

中村庄八(2005)群馬県吾妻川流域に分布する浸食された火山の内部と基盤構造.地球科学 59 巻 1 号 p. 5-24.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/agcjchikyukagaku/59/1/59_KJ00004410128/_pdf/-char/ja

西来邦章・伊藤順一・上野龍之・内藤一樹・塚本 斉(2014a)第四紀噴火・貫入活動データベース:データ一覧.産業技術総合研究所 深部地質環境研究コア.
https://gbank.gsj.jp/quatigneous/index_qvir_datalist.php

西来 邦章・竹下 欣宏・田辺 智隆・松本 哲一(2014b) 中部日本,四阿火山のK-Ar年代:四阿火山の火山活動史の再検討.地質学雑誌120 巻 3 号 p. 89-103.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/120/3/120_2014.0004/_pdf/-char/ja

太田良平・片田正夫 (1955)5万分の1地質図幅「須坂」および同説明書.地質調査所. (西来ほか〔2014b〕から間接引用)

寺田暁彦(2018) 水蒸気噴火発生場としての草津白根火山.地質学雑誌 124 巻 4 号 p. 251-270.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/124/4/124_2017.0060/_pdf/-char/ja

東京大学地震研究所(2019 アクセス)浅間火山のページ:浅間火山の噴火記録(日本活火山総覧〔第2版〕気象庁編より).
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/VOLCANOES/asama/asama_kiroku/index.htm

宇都浩三・早川由紀夫・荒牧重雄・小坂丈予(1983) 草津白根火山地質図(解説面) 1983 - 地質調査所.
https://www.gsj.jp/data/VOLC/PDF/GSJ_MAP_VOLC_03_1983_D.pdf

ウィキペディア:(各山についての一般的な知識について参照した)。
https://ja.wikipedia.org


ハッシュタグ:
#羽根倉橋から見える山 #さいたま市から見える山 #荒川から見える山 #埼玉県から見える山 #関東の山々 #関東の山並 #群馬の山 #関東の火山 


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