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2016-02-20 (Sat)
2016年2月13日にNHK総合TVで、「ブラタモリ #31 真田丸スペシャル・沼田」:
http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list31/index.html
が放送されました。

群馬県沼田市は、私が小学校から高校までを過ごした土地ですので、かぶりつくように視聴しました。

沼田駅の跨線橋に登って眺めた先には日本最大の河岸段丘といってもよい沼田台地が横たわり、そこでタモリ氏の口から出た言葉は「僕は大学に入学して真っ先に沼田に来た。この河岸段丘を見に。僕は地学が好きでね。」。

タモリ氏と地学の間に縁があったとは意外や意外。
そういう私も中学時代は地歴部と地学部に所属していたので、思わぬところで守備範囲が重なりました(笑)。

河岸段丘は通常、地理の教科書に出てくるので社会科の先生が扱いますが、実のところ自然地理学の対象です。
なのでタモリ氏が「地学」と口にしていたことに違和感を感じる人もあるでしょうが、妥当な表現であったといえます。

ちなみに、私が在職していた大学の教員養成学部の社会科の教員団の中で、自然地理学担当教員は唯一、理系の学部・大学院出身でした。

話が横道に反れてしまいました。

沼田の河岸段丘は、南北に流れる利根川、それに東から合流する薄根川、片品川の3つの川に削られて出来上がったものです。

下の図で、「+印」の場所が沼田城天守閣の位置、その左(西)に南北に流れる利根川、北に薄根川、南に片品川が見えています。

沼田盆地、地形、電子国土より-crop
出典:地理院地図(電子国土Web)
http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.640738,139.063139&z=14&base=std&ls=relief&disp=1&vs=c1j0l0u0#14/36.648727/139.039793

では、削られる前の沼田台地はどうやって形成されたのでしょうか?

私が中・高校生のころ、自宅にあった『沼田町史』をめくって身につけた知識は、沼田盆地が一つの大きな湖だったこと、その縁が切れて侵食が進み、沼田台地を残して深く、また段差を持つ河谷が形成された、というものでした。

今回、ネット検索したところ、その後の研究でもそれは裏付けられ、詳しい層序や編年が明らかにされていることが確かめられました。

まずは久保氏の論文(下記)から。

久保誠二 1968: 群馬県沼田盆地に分布する礫層および湖成層とその堆積構造。地質学雑誌、74:499-509.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/74/10/74_10_499/_pdf

それによると、以下のストーリーが読み取れます。

棚下(上の図で、片品川合流点の下流で急にU字型の蛇行をしている部分)で赤城山(図の右下の枠の直下に山頂)からの火砕流と子持山(図の左下に山頂)からの火砕流がぶつかり、利根川をせきとめたことで古沼田湖が形成された。

このせき止めには少なくとも3回の火砕流による上積み(ダム高のかさ上げに相当)があった。

沼田の湖成層はAからEまでの5層があり、その境界のいくつかは、この上積みのイベントと関連しているようだ。

沼田台地の平坦な面を覆う沼田礫層は、古沼田湖の水位がいくらか低下した後に赤城火山方面から供給された砂礫が扇状地を形成しながら堆積したものである可能性が高い(片品川上流からの供給ではない)。

***

段丘の形成については、この論文では触れていませんが、次の論文で考察がなされています。

竹本弘幸 1998利根川水系片品川流域の地形発達史-赤城山の活動とその影響について-地理学評論、71A-11:783-804.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1984a/71/11/71_11_783/_pdf

それによると、以下のようなことが述べられています。

約20万年前に沼田面(沼田台地の上位面)の形成が始まり、この時期は赤城新期成層火山形成期に対応する。

約13~10万年前の新期成層火山前期後半には、赤城山の噴出物によって利根川が一時的にせき止められ、それによって成立した古沼田湖の影響で河谷の埋積が進んだ。

約10万年前の赤城山の新期成層火山活動前期の終了とともに、河川は下刻に転 じた。

6万年前ころから再び谷の埋積が始まるが、これは北アルプスの立山などで最終氷期前半の氷成堆積物が形成された時期と一致する。ただし、赤城山の火山活動による一時的な河床上昇 もあったと考えられる。

約5万年前には側刻が卓越し、広い侵食段丘面が形成された。

最終間氷期以降の片品川上流と赤城山からの礫供給は,片品川・利根川の河床上昇をもたらし、広い堆積段丘を作った。
その後の侵食の復活により、更に多くの河岸段丘が形成されていった。


***

上記論文では、下刻に転じる理由が述べられていませんが、これは、おそらく次のようなことによるでしょう。

せき止められた部分のカットダウンが、時にはイベント的に崩落することで、また時には連続的にジワジワと削り下げることで、沼田盆地の出口(棚下あるいはその上下流部)の河床が下がることで、それより上流の水系全体で下刻が促進されるようになるのでしょう。

私の育った家がある沼田台地は、学生時代の帰省で沼田駅の改札口を出ると、両手を広げるように私を出迎えてくれました。
その懐に誘われるかのように、汗をかきながら急坂(滝坂)を一歩一歩登ったものです。

この記事の続きでは、真田家も登場する沼田の城下町について、私の経験も交えて綴ってみたいと思います。

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