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2016-02-21 (Sun)
NHKテレビの大河ドラマ「真田丸」の舞台の一つ、群馬県沼田市は、学齢期の私を育んだ町です。

2016年2月13日にNHK総合TVで放送された、「ブラタモリ #31 真田丸スペシャル・沼田」:
http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list31/index.html
では、真田家として初めて沼田藩主を務めた真田信之(信幸)の正室である、小松姫(本多忠勝の長女)の墓所(沼田市の正覚寺)が紹介されました。

沼田での「ブラタモリ」は河岸段丘を主テーマとした散歩であったため、沼田城址そのものも、信之の長男で沼田藩を引き継いだ真田信吉の墓所も散歩先に入っていませんでした。

私は小学生のときに信吉の墓所を訪れていますので、そのときのエピソードを紹介したいと思います。

「ブラタモリ」では、真田藩主が台地上に開いた用水路をタモリ氏らが探訪していました。
沼田城から600m東でその用水路と隣接する位置に天桂寺があり、その敷地内に信吉の墓(写真:外部サイト)があります。
http://livedoor.blogimg.jp/tigersdream/imgs/d/5/d588d8b4-s.jpg
(リンク先:Tigerdreamの上州まったり紀行

私が沼田小学校4年生だったときに、担任のM先生(男性)は実践家で、馬頭観音や庚申塔の拓本採りを体験させるなどして、私たち児童が楽しみながら歴史に興味をもつように導いてくれました。

夏休みの自主課題の一つとしてだったでしょうか、私は2,3人の友人と天桂寺の墓地を訪れ、信吉の墓の正面に和紙をあて、墨をつけたポンポンで叩いて、拓本を採っていました。
すると、そこに30~40歳くらいの男性があらわれて、私たちに講釈を始めました。

男性:「この人は、ぺルリ*が日本に来た頃の人で偉い殿様の墓だよ。」
私たち:「ふーん。そうなんだ。。。」
私には「ぺルリ」という人物名は初耳で、妙に耳の奥に残りました。

あとで社会科の教科書に「ペリー」という人物を見つけた際に、「あー、ぺルリとはこの人だな。」と天桂寺のエピソードが蘇りました。
それと同時に、信吉が活躍した戦国時代から江戸時代初期と、幕末のペリーの来航とは200年もずれていることにも気づきました。

そういうわけで、天桂寺の親切なおじさんの話は、そのまま覚えてしまうとテストでバツがついてしまう内容を含んでいたことになりますが、それでも、なんとなく歴史への興味を繋ぎとめるる効果はあった。

いまの小学生なら、その場でスマホで検索してしまうかもしれません。
おじさんの出番が少なくなるご時世になりました。

さて、次の記事では、沼田城の本丸に迫る予定です。

お楽しみに。

*ペルリという日本語表記については、来航当時から終戦後しばらくまではそう呼ばれていたようで、岩波文庫にも『ペルリ提督日本遠征記』(1955年) があります。

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