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2016-02-23 (Tue)
2016年2月13日にNHK総合TVで放送された、「ブラタモリ #31 真田丸スペシャル・沼田」:
http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list31/index.html
の中で、タモリ氏一行が河岸段丘の主丘、沼田台地へと急勾配を登った軽便鉄道「利根軌道」の軌道跡を談笑しながら歩み登るシーンがありました。

下の地図(クリックで拡大)で、太い緑線を入れた部分です。

戸鹿野橋付近、緑線書込み。地理院地図より
出典:地理院地図(太緑線は筆者が記入)。

私は高校卒業まで沼田台地の上の住宅地に住んでいましたが、利根軌道(下の写真:外部リンク)があったことを知る機会がないままこの放送の日を迎えました。

http://yamada.sailog.jp/photos/uncategorized/2013/11/09/gunma_tonekidou2_2.jpg
出典:(4)。

次のシーンでは、その軌道で使われていたというレール部材の実物が紹介され、更には、利根軌道で使われていた電気機関車の大型模型の工房(下の写真:外部リンク)で、タモリ氏と女性アナウンサーが試乗する様子まで放映されました。

http://digital.asahi.com/articles/photo/AS20151129001167.html
出典:(5)。

模型もビックリですが、沼田・渋川間を軽便鉄道が走っていたとはビックリポンでした。

この鉄道については、下の一覧のような参考サイトがありますので、詳細についてはそれらを参照されるとよいでしょう。

私が疑問を抱いたのは、利根鉄道が1918年に全線電化され営業を開始したたった6年後に、上越南線の開通に伴い廃止された(1)ところです。

もし、たった6年間の旅客・物資輸送のために、用地を買収し、軌道敷設工事、橋梁工事、架線工事をしたのであれば、投資した費用を運賃収入で回収しきれないうちに廃止に追い込まれ、経営としてなりたたなかったのでは、という疑問です。

しかし、少し調べたところ、この鉄道の経営者は損をしなかった可能性が高いと考えるに至りました。

というのも、利根軌道が電化する以前の1911年に馬車鉄道として開通していたということで、鉄路に関しては13年間の営業運転期間があったこと(1)。

利根鉄道の電気機関車は、足尾鉱山で鉱石運搬用に使われていた中古機関車を転用したため、初期投資の経費が削減されたこと(4)。

また、この路線が沼田 - 土合間に敷設された軽便線と連携していたことで、上越線清水トンネル工事の資材輸送の需要があったこと(1)。

私設鉄道の新規敷設の基準を大幅に緩和した「軽便鉄道法」が1910年に施行されたこと(7)。

加えて、軌間762mm以上の規格で建設された路線に対し、開業から5年間の間(後の改正で、10年間へ延長)は政府により5%の収益を補償するという軽便鉄道補助法が1911年に公布されたこと(7)。

ちなみに、この政府補償導入は「軽便鉄道」の敷設ブームを引き起こしたという(7)。

沼田までの上越南線の開通により並行線となった東京電燈の軌道線(旧利根軌道)は営業を廃止し、地方鉄道法における補償(578,150円)を受けた(1)。

ちなみに東京電燈は今の東京電力であり、当時は鉄道事業にも進出していたことがわかる(3)。

***

というわけで、利根鉄道の6年間の電車運行は、経営者にとって悪くはなかったようです。

利根鉄道と私の唯一の接点は、利根鉄道が沼田市戸鹿野で利根川をまたぐ橋梁の橋げた(下の写真:外部リンク)の根元部分の岩場です。

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-49-64/kyodain/folder/434881/51/10437851/img_1?1357654381
出典:(6)。

上掲の地図では、中央少し下の「+マーク」のある位置です。

実は、この橋げたのある川岸は半世紀前までの沼田の子供たちの格好の水泳場だったのです。
この部分は利根川の川幅が狭まり、両岸が岩であるため、水深が深く、岩の上から飛び込んでも川底にぶつかることはありません。
この起伏の多い岩場に腰かけて、背中いっぱいに夏の日を浴びたことを、昨日のことのように思い出します。

利根川の流れは勢いがあり、それを横切って対岸まで泳ぐのは泳ぎを覚えたての私には大きな試練でした。

沼田台地上の市街地から、沼田公園(城址公園)の空堀の底の小道を降りて薄根川(少し川幅が広く、適度に深みもある、茶碗淵とよばれていた場所)に泳ぎにいくことが多かったのですが、水泳教室など、人数が多く中級者もまざる場合は長い下り坂を下って、戸鹿野のこの橋げたのある岩に出かけたものです。

私が中学校に入学した1960年頃から、沼田小学校ほかに学校プールが作られるようになり、川へ出かけての水泳は激減しました。

「水辺の土木遺産」(6)の著者は、この橋げたは利根川の左岸に水路式発電所を建設するために、発電機本体や資材を運ぶための支線としてに架橋された(竣工は1923年)ものであるとしています。

この方は、この橋の建設に関与したご自身の祖父が残したその時の写真やメモをもとに、そのように結論しておられます。

ただ、私には疑問が残ります。
もしそうであれば、沼田へ向かう利根軌道の電車はどの橋を渡っていたのでしょうか?

すぐ横に、もう一つ橋はあります。
(6)の著者によれば、県道269号線に架けられた鋼ワーレントラス(業界用語!)のこの橋、戸鹿野橋(現在も稼働中)は1924年竣工です。

このタイミングを考えると、県道269号線のこの橋は上越線開通に伴い廃止された利根鉄道の通っていた橋を壊して、より頑丈なものに架け替えたものである可能性もあります。

もしそうだとしても、(6)の著者が言われるように、支線のための橋梁を在来の橋と平行して架ける必要性がわかりません。
橋を渡ったあとから支線を分岐すればよいわけですから。

私は今のところ、この産業遺産ともいえる橋げたは、他の多くの方同様、利根軌道のものであろうと考えています。
ただし、別の可能性も否定できません。

というわけで、謎が残されました。

もうすでに解決しているのかもしれませんが。。。

ご存知の方はコメント欄等でご指摘ください。


参考サイト一覧:

(1)ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E6%A0%B9%E8%BB%8C%E9%81%93
利根軌道

(2)群馬の廃線鉄道
利根軌道
http://www6.wind.ne.jp/kou-s/chungking/haisen/tonekidouline/tonekidou.html

(3)鉄道資料館
東京電灯 【鉄道】   ~ 鉄道資料編 ~
http://www.kigekiraumen.com/kippu/touden.htm

(4)やまだくんのせかい
 ― 人生に遊び楽しむ、やり残し無し ―
利根軌道
http://yamadas.blog.so-net.ne.jp/2013-11-09
http://yamadas.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%88%A9%E6%A0%B9%E8%BB%8C%E9%81%93

(5)朝日新聞デジタル
群馬)百年前の利根軌道、模型で再現 沼田の親子
http://digital.asahi.com/articles/ASHCV3HRMHCVUHNB002.html?rm=497

(6)水辺の土木遺産
群馬県沼田市 利根軌道 戸鹿野橋跡。
http://blogs.yahoo.co.jp/kyodain/10437851.html

(7)ウィキペディア
軽便鉄道法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%BD%E4%BE%BF%E9%89%84%E9%81%93%E6%B3%95



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