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2016-04-29 (Fri)
このシリーズ記事の第3回で「幻の沼田城、その1」として、NHKテレビの大河ドラマ「真田丸」でおなじみの沼田城を取り上げました。

その記事の中で、真田昌幸の長子である信幸が城主となってから天守閣を築き、威容を整えたことや、後にその城址が公園となっていて私の幼少期の遊び場だったことなどについて、簡単に触れました。

その記事の結びでは、3月に帰郷の折に城址を訪れて、そこで撮影した写真も援用することでこの話題をもう少し掘り下げることを予告しました。

3月下旬のその日はうす曇りで風もなく、気持ちよく沼田城址のそこここを見て歩くことができました。

初めて訪れた場所ではないので、探訪という言葉は使えないのですが、じっくり見て回ったのは夏の帰省時に入園前の子どもや甥姪の手をひいて散歩した時以来、四半世紀ぶりなので、ずいぶん様変わりしていて、初めて訪れた人並みのワクワク感がありました。

私にはそれに加えて小学生当時の木登りや虫採り、三角べ―スでのソフトボールなどで遊び回った思い出のグラウンドでもあり、特別の思いが交錯するものでした。

さて、前置きが長くなりました。

まずは、沼田城の全景図をご紹介しましょう。
写真はいずれもクリックで拡大します。

沼田城再探訪1
 北村明道画。沼田公園内の案内板の一つ。筆者撮影。

いかがですか?

残雪の谷川岳層、その手前の三峰山をバックに5層の天守閣がそびえ立っています。
江戸時代を通じて、関東では江戸城を除いては他に例のない5層の天守閣を擁し、江戸城が明暦の大火で焼失した後には5層の城郭としては唯一だったといいます。
この名城が後代の城主の失政がたたって取り壊しになったのは残念なことでした

※この絵は、原画は昭和28年に描かれ、その後、市の観光事業の一つとして公園内に大型パネルに模写されたものと思われます。私が子どものころ見た覚えがあり、当時、すでにパネルの絵が色あせつつありましたが、今回は綺麗に描き直されていました。

城郭を整備し、この天守閣を築いた真田信幸(信之)とその妻、小松姫の石像が城址公園の本丸天守閣跡を背にして仲睦まじく並んでいます(写真)。

沼田城再探訪2
真田信之と小松姫の石像。沼田公園。筆者撮影。

石像の台座の上に所狭しと、5円や10円の硬貨が6枚ずつ密集して並べてあるのを発見しました。
この写真も拡大するとそれが見えます。
どうやら、六文銭にあやかった見学者・観光客の願掛けのようです。
ローマのトレビの泉の真田版といったところでしょうか。

※この石像とのスリー・ショットの写真を同行者に写してもらっていたら、その場にいた私と同年配の男性に「信之に似ているね。」と言われました。
戦国の有名武将と似ているといわれて悪い気はしませんでした。
たしかに顔の輪郭と口元は似ていなくはないかなと。
ただし、百戦錬磨の武将の眼光の鋭さとは比べるべくもありません。

ご参考までに、沼田城の歴史についての説明版の内容、を以下の2枚の写真でご紹介します。

3田城再探訪3

沼田城再探訪4
 沼田城関係歴史。沼田公園内の案内板の写真を2分割したもの。筆者撮影。

次回の記事ではいよいよ、堀や石垣を巡っての城址再探訪スタートです。

お楽しみに。


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