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2017-09-05 (Tue)
昨年7月中旬、水戸市在住の昆虫研究家、染谷保さんに生息状況についての貴重な知見をご教示いただき、希少種ヒヌマイトトンボ Mortonagrion hirosei Asahina, 1972写真1,2)の観察・撮影をすることができました。

ヒヌマイトトンボの学名のうち、属名 Mortonagrion は従来から日本で知られていたモートンイトトボ Mortonagrion selenion (Ris, 1916) と同じモートンイトトンボ属です。
種小名 hirosei は発見者の一人である廣瀬誠氏にちなんでいます。

ヒヌマイトトンボ♂ 
写真1 ヒヌマイトトンボ Mortonagrion hirosei (写真はクリックで拡大します)

ヒヌマイトトンボ♀
写真2 ヒヌマイトトンボ M. hirosei


ヒヌマイトトンボ発見と新種記載の経緯

以下にヒヌマイトトンボ発見と新種記載の経緯をまとめてみました。

1971年7月7日に、従来見たことのないイトトンボ成虫が茨城県の涸沼で廣瀬誠氏と小菅次男氏によって多数採集され(Asahina, 1972;浜田・井上、1985;廣瀬、1997)、廣瀬氏によって東京の朝比奈正二郎先生に送付されました。

同じ1971年の7月4日に(高橋、1988)宮城県岩沼市で採集された同種トンボの標本も、地元のトンボ研究者から朝比奈先生に送られ(Asahina, 1972)、このトンボの生息環境の共通性と分布範囲の広がりを示す貴重な資料となりました。

形態の観察・検討をするのに十分すぎる量の標本に、採集者自身による克明な現場報告が添えられていたからでしょうか、朝比奈先生は涸沼産の標本をタイプ標本に抜擢し、海外の同属種の形態的特徴と比較するなど慎重に検討した上で、翌1972年に新種 Mortonagrion hirosei (ヒヌマイトトンボ)として記載しました(Asahina, 1972)。

なお、新種記載に先立って、朝比奈先生は、1971年7、8月に枝重夫氏を伴って、涸沼と宮城の発見地をそれぞれの発見者の案内のもと、訪れ、詳細な調査を行っています(Asahina, 1972)。


ヒヌマイトトンボ発見前後の日本産トンボ新種の出現状況

ヒヌマイトトンボ は、1971 年に発見され、翌年新種として記載された時点から現在まで、日本で発見され新種記載された最後のトンボと言われています。

1957年に日本トンボ学会(の前身となる組織)が発足して以来、1970年までに、日本各地のトンボ相の解明が進み、1960年代に2種(サキシマヤマトンボ Macromidia ishidai Asahina, 1964オキナワコヤマトンボ Macromia kubokaiya Asahina, 1964)が発見ならびに新種記載された(浜田・井上、1985、参照)のを最後に、もう新種のトンボは日本では見つからないだろうと思われるようになっていました。

1960年代には、他に3種のトンボ(リュウキュウカトリヤンマ Gynacantha ryukyuensis Asahina, 1962アマミサナエ Asiagomphus amamiensis (Asahina, 1962)[以上、Asahina, 1962、参照];ベニイトトンボ Ceriagrion nipponicum Asahina, 1967[浜田・井上、1985、参照])が新種記載されていますが、これらは1950年代以前からその存在が知られていて、別の学名が充てられていたものでした 。

そんな雰囲気が日本のトンボ界に充満していた1971年に、ヒヌマイトトンボが劇的に発見されたというわけです。

朝比奈先生はヒヌマイトトンボの記載論文(Asahina 1972)の冒頭で、「It was quite astonishing to find an entirely unknown dragonfly species from Japan.」(日本から全く知られていないトンボの種が発見されることは[この時点においては]大変な驚きであった)と書いています。

そのようないきさつから、ヒヌマイトトンボの発見は、日本のトンボ研究者・愛好家に意外感から換わった喝采をもって迎えられたようです。
その空気感は、当時、北海道の大学院でトンボ研究を開始して間もなかった私にも、じんわりと伝わってきました。

その後、南西諸島を始めとした島嶼部を含む全国各地で、トンボ相の調査がより一層広範に行われたにも関わらず、人知れず生息していた個体群が発見され、それが新種であったケースはこれまでのところ生起していません。

このことは、ヒヌマイトトンボの記載論文のタイトルに「the last new dragonfly species from Japan?」を書き添えられた朝比奈先生の慧眼を証明して余り有ります。

なお、1970年以前からその存在が知られ、別の学名が充てられていた地域個体群を新種として記載した例であれば4件あります(コシキトゲオトンボ Rhipidolestes asatoi Asahina, 1994ヤンバルトゲオトンボ Rhipidolestes shozoi Ishida, 2005アマミトゲオトンボ Rhipidolestes amamiensis Ishida, 2005オキナワサラサヤンマ Sarasaeschna kunigamiensis (Ishida, 1972)(浜田・井上1985および尾園ほか2012を参照)。


ヒヌマイトトンボの分布範囲と種の存立基盤

ヒヌマイトトンボが新種記載された以降、汽水域のヨシ原に着目したトンボ相調査が広く行われるようになり、現在までに宮城県から福岡・大分両県にかけて、海岸線に沿って飛び石状に散った分布域の全体像が浮かび上がっています(尾園ほか2012)。

更には、中国、台湾からも記録されるようになり(尾園ほか2012)、日本固有種のリストからは離脱することになりました。

そのような中、現在の日本におけるヒヌマイトトンボの存立基盤は脅かされており、環境省レッドデータでは「絶滅危惧I類(CR+EN)」にランクされています。

いきものログ」(環境省自然保護局生物多様性センター内)には、「生息地が沿岸河口地域に集中しているため、つねに水質汚染と河川改修の脅威にさらされています。すでに数カ所の産地では絶滅しており、残りの産地でもいつ絶滅に追いやられても不思議ではない状態が続いています。」との総括が見られます。

一般的な開発・汚染とは別に、東日本大震災の大津波の影響によっても、宮城県から福島県にかけての太平洋岸に飛び石上に存在していたヒヌマイトトンボの個体群もわずか1箇所を除いて絶滅していることが報告されています(牧野、2017:三田村、2017)。

宮城県の場合、震災以前から海岸の開発により、ヒヌマイトトンボ生息地の破壊と分断が続いていて、限りなく絶滅に近い状態だったところに津波がトドメを刺したというのが実態に近いようです(永幡、2013)。


本題:私のヒヌマイトトンボとの出会い

さて、一般論はこのくらいにして、以下に、私とヒヌマイトトンボとの初対面のエピソードをご紹介しようと思います。

真夏日予想の出ていたその日の未明、埼玉県内の自宅から車を乗り出し、一路、目的地に向かいました。

午前10時少し前に目的地周辺の駐車場に到着し、カメラと少量の飲料水を持ち、まずは調査予定ポイントの周辺部を歩き回りました。

強い日差しと真夏日の気温に見舞われる中、木陰を渇望しながら、それでもトンボの姿はないか、眼を凝らします。

10時22分。ブッシュの水面とは反対側にあたる部分の笹の葉上に、ハグロトンボ Atrocalopteryx atrata (Selys, 1853) ♀がとまっていました。

ハグロトンボ♀
写真3 ハグロトンボ Atrocalopteryx atrata 

遠巻きに調査ポイントの周囲を見るのを30分ほどで切り上げ、ヒヌマイトトンボ成虫の活動が期待される第一の調査ポイント写真4)にたどりつきました。

ヒヌマイトトンボの生息環境(1) 
写真4  ヒヌマイトトンボ M. hirosei の生息環境(1)

遠浅の水面から密生したヨシ Phragmites australis (Cav.) Trin. ex Steud. が突き出ている場所で、このヨシ群落の中に出来ている細い踏み分け径をゆっくり歩くと、小さなイトトンボがヨシの根本近くから飛び立ち、株間を器用に縫いながら低空のまま少し移動してとまりました(写真4の中央、枯れヨシの茎にとまっています)。


黒っぽい翅胸前面に円形の淡黄緑色紋が4つ見えたことから(写真1参照)、予習で特徴を把握済みでしたのでヒヌマイトトンボ♂であるとすぐわかりました。

ヒヌマイトトンボ♂ 
写真1(再掲)  ヒヌマイトトンボ M. hirosei ♂

この独特の斑紋パターンは日本ではヒヌマイトトンボ♂にだけ見られ、同属のモートンイトトンボ♂ではイトトンボによく見られる黒色と淡色の縦縞パターンです。

もう一つ、モートンイトトンボと斑紋の大きな相違があり、眼後紋(後頭部の淡色斑紋)がモートンイトトンボ♂ではL字状の紋が左右1個ずつなのに対し、ヒヌマイトトンボ♂では円形の紋が左右2個ずつになっています。

したがって、翅胸前面の水玉模様4個と水玉状の眼後紋4個が観察者から(そして多分他のトンボ個体からも)視認されることになります。

さて、観察メモに戻ります。

その1分後、今度は前半身がオレンジ色後半身が黒っぽいイトトンボがヨシの若株の先端近くにとまりました(写真2参照)。

ヒヌマイトトンボ♀
写真2(再掲)  ヒヌマイトトンボ M. hirosei ♀

これも予習通りのヒヌマイトトンボ♀だとすぐ分かりました。
ただし、写真の写りはあまりよくなかったので、少し後に撮ったものを写真2としました。

このオレンジ色は、まだどちらかといえば未熟な段階の♀が装う色で、成熟が進むとスモークがかかってきて褐色へと変わっていくとされています。

今回の観察地のある関東地方では♀の体色はこのワンパターンですが、中国地方以西では♂と同じような体色・斑紋をもつ♀が現れることが知られています(尾園ほか、2012)。

ヒヌマイトトンボの♀の体色は、同属のモートンイトトンボの♀のそれと紛らわしことが知られています。
実際に同じ場所に同じ時期に出現することもあるようですので、区別点を押さえておく必要があります。

ヒヌマイトトンボ♀では、頭頂部の単眼3個を取り囲むように、はっきりした黒色斑があります。
モートンイトトンボ♀もオレンジ色の頭部を持ちますが、そのような黒色斑はなく、その代わりに複眼に沿ってより淡い色の縦斑があります(尾園ほか、2012)。

再び、観察メモに戻ります。

その後も、トンボの静穏な暮らしを脅かさないように注意しながらゆっくり歩き、本種を見るたびにカメラを向けました。

1時間半粘った間に撮ったそれぞれ数個体の単独♂、♀の中で、私が選んだベストショットが写真1,2でした。

いずれも、ヨシの株間の水面近い所の枯れたヨシの茎や葉、あるいはスゲ類の葉にとまっていました。

この間、ラッキーなことに交尾中のカップルも発見し、撮影することができました(写真5、6)(11時04分~06分)。

ヒヌマイトトンボの交尾(1) 
写真5   ヒヌマイトトンボ M. hirosei の交尾(1)

ヒヌマイトトンボの交尾(2)
写真6  ヒヌマイトトンボ M. hirosei の交尾(2)

交尾中の♀は、文献が教えるとおり、オレンジ色の期間を通りすぎた褐色の体色をしています。
ただし、頭頂部の黒班は確認できました。

このカップルは、発見時には大き目のスゲ類あるいはイグサ類の鉛直の葉にとまって交尾中でしたが、観察者の動きに反応して写真5、6のように枯れヨシの茎にとまり替えました。

ここで交尾中、♂が腰を動かしている様子がわかる2コマ連続写真も得られました(写真7)。

ヒヌマイトトンボの交尾(3)
写真7 =写真5  ヒヌマイトトンボ M. hirosei の交尾(3)

交尾中のトンボ♂のこの腰の動きの機能については過去記事「グンバイトンボ:難儀な交尾も心を一つにすれば成る」に少し立ち入って書いたことがあります。

暑さへの観察者の我慢も限界近くなり、一通り見終わったところで、昼食のため、この調査ポイントを後にしました。

車で移動しながら、コンビニを見つけて、そこの木陰に駐車し、簡単な昼食と休憩をとったあと、第二の調査ポイントに向いました。

12時45分頃、午後の調査地、第二の調査ポイントに到着しました。

土砂の不均一な堆積などから水深が不均等なところのためか、ヨシ主体の湿性草原だがミゾソバPolygonum thunbergii Sieb.et Zucc.などの葉の広い草本が密に侵入しているところです(写真8)。

ヒヌマイトトンボの生息環境(2)
写真8  ヒヌマイトトンボ M. hirosei の生息環境(2)

踏み分け径を歩くと、しばらくして、最初のヒヌマイトトンボ♂を発見しました。

地面近くの枯草の葉の先端にとまっていました。

その1分後、ミゾソバの葉の先端にとまる1♂を見つけて撮影しました(写真9)。

ヒヌマイトトンボ♂(2) 
写真9  ヒヌマイトトンボ M. hirosei ♂(2)

このブログで時々言及する事柄になりますが、トンボ類では一般に♂のほうが♀よりもファッショナブルな装いをしていて、ヒヌマイトトンボもその例にもれません。

胸部、頭部それぞれの背面の黄緑色の水玉に加えて、腹部第7節後端の淡色斑紋が、本種♂にいかにもダンディーな雰囲気を醸し出しています。

このメリハリのある色彩パターンは、きっと♀を惹きつける効果を持っているのではないでしょうか。

さて、更にその1分後、2分後にも、別♂がやはりミゾソバの葉、茎にそれぞれとまっていました。

更に別の♂が、こちら向きにミゾソバの葉先にとまっているのを撮影しました(写真10)。

ヒヌマイトトンボ♂(3)
写真10  ヒヌマイトトンボ M. hirosei ♂(3)

こちらを見ているトンボ紳士、なかなか、きりっとした表情です。

そして、今度はです。
ミゾソバの茎にとまっています。

近づくとこの♀は少し飛んでミゾソバの葉にとまりました(写真11)。

ヒヌマイトトンボ♀(2)
写真11  ヒヌマイトトンボ M. hirosei ♀(2)

この♀はあざやかなオレンジ色ですので、まだ若い個体ということになります。

1分後、今度はスゲ類やミゾソバの葉にとまるイトトンボを発見、撮影しました(写真12)。

木漏れ日があたると露出オーバー、あたらないと露出不足になる撮影条件でした。写真12は、露出不足のものを強引に輝度&コントラスト調整したものです。

ヒヌマイトトンボ未熟♀ 
写真12  ヒヌマイトトンボ M. hirosei 未熟♀

複眼に不透明なグレー味があり、腹部の暗色斑の発色も薄いことから、羽化後間もないステージ、つまりテネラルteneralの段階にあることがわかります。

オレンジ系の色は若干出ていますので、即座にヒヌマイトトンボのテネラル♀と判定するところでしたが、頭頂部に特有の黒色斑が見当たりませんので、慎重にならざるをえません。

しかし、かといって、モートンイトトンボ♀のような複眼沿いの淡色斑もなければ、アオモンイトトンボ Ischnura senegalensis (Rambur, 1842)アジアイトトンボ Ischnura asiatica (Brauer, 1865) のような翅胸前面の黒色ストライプが現れそうな兆しもみあたりません。

そんな中、私のフェイスブック仲間のお一人、Nature_Oyajiさんのブログ「オヤヂのご近所仲間日記」にヒヌマイトトンボの「羽化間もない個体」(写真:外部リンク)が掲げられているのを見つけました。

Nature_Oyajiさん撮影のその写真の♀と私の写真12の♀の外見が瓜二つのことから、写真12の♀がヒヌマイトトンボ♀であることの意を強くしました。

この後、オレンジ色がかなり発色している♀2頭を見つけ、カメラに収めました。

最後の被写体は、小さな虫をむさぼっている成熟でした(写真13 )。

ヒヌマイトトンボ♂、摂食中
写真13  ヒヌマイトトンボ M. hirosei ♂ 摂食中

この♂にフォーカスした2分間30コマの撮影シーンの最初と最後を比較すると、餌昆虫の腹部はほぼ食べつくされ、翅は脱落していました。

この間、このトンボは両前脚を器用に使って餌昆虫の腹部を自分の口器のように引き寄せていることがわかりました。

午前中の観察で確認できなかった産卵行動や交尾成立前の♂♀の行動などを午後見られるのではないかと、淡い期待をもっていましたが、踏み分け径を2周した限りでは単独個体ばかりでしたので、午後1時を少しまわったところでこの調査ポイントでの観察を切り上げました。

これらの撮り残しのシーンは次回以降の観察トリップのドライバーの前にぶらさがるニンジンとしては十分過ぎるものです。

車に戻り、コンビニで補給した後、まだ時間がありましたので、ヤンマか何かがいそうな湿地を探しに丘陵地方面へと向かいました。

ところが、この後ドライブ中に熱中症の症状が出てしまい、現地の病院で治療を受ける羽目になり、この日はヒヌマイトトンボ一色の一日ということになりました。

この失敗を教訓に、以後は、十分な量のスポーツドリンクを携帯し、体が要求する前に多めに飲用すること、灼熱の太陽の下で1時間を超えるような観察を控えること、休憩時間には冷房の効いた空間で十分体を冷やすことなどに注意することにしています。

最後になりましたが、貴重な情報を提供された染谷さんに感謝いたします。


引用文献:
- Asahina, S. (1962) Odonata of the Ryukyu Archipelago, Part III. The Odonata from the Amami Islands, adult dragonflies. Tombo 5(1-4), 4-18, 
- Asahina, S. (1972) Mortonagrion hirosei, the last new dragonfly from Japan? Kontyu 40 (1): 11-16, figs. 1-12.
- 浜田 康・井上 清 (1985) 日本産トンボ大図鑑。講談社。
- 廣瀬 誠(1997)羽化の刻 茨城のトンボ誌。茨城虫の会。
- 牧野 周(2017)震災後の宮城県のヒヌマイトトンボとコバネアオイトトンボの生息について。Tombo, 59:11-15.
- 三田村敏正(2017)東日本大震災が福島県沿岸のトンボ類に及ぼした影響。Tombo, 59:23-28.
- 永幡嘉之(2013)東北の自然はどこに向かうのか(4)。月刊むし、(512):28-34.<牧野(2017)からの間接引用>
- 尾園暁、川島逸郎・二橋亮(2012) 『日本のトンボ』 文一総合出版。
- 高橋雄一(1988)宮城県のトンボ。ぶなの木出版。


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