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2018-10-30 (Tue)
2017年9月末から10月初めにかけての四国遠征*の2日目は、地元の昆虫研究家、飯田貢さんらのご案内のもと、1日目とは方面の異なる地域の4カ所を順に訪れ、南国のトンボ、ベニトンボ Trithemis aurora (Burmeister, 1839) を含む多様な虫達との出会いを経験することができました。

(* この四国でのトンボ探訪記は、シリーズ物として、これまでに15編の記事にしています[記事一覧はこちら])。

第16報の今回は、第15報「ベニトンボとの再会」(成虫編)に引き続き、低山地の溜池(写真2)で見た、ベニトンボ写真1)の羽化殻について取り上げます。

ベニトンボ♂  
写真1 ベニトンボ Trithemis aurora  前回記事から再掲)(写真はクリックで拡大します)


目 次:
 ◆第三の訪問地:低山地の溜池
 ◆羽化殻発見場所の状況
 ◆飯田さんが観察していたのがベニトンボ羽化殻
 ◆ほかにもいくつかの羽化殻が
 ◆ボルダリング選手も顔負けの終齢幼虫の登攀術
 ◆ベニトンボ終齢幼虫の登攀技術とその進化プロセス
 ◆幼虫の脱殻の強度も驚異的
 ◆昆虫のクチクラの洗練された層構造
 ◆羽化殻写真から種の同定を試みる
 ◆調査対象としての羽化殻の価値
 ◆謝辞
 ◆引用文献


第三の訪問地:低山地の溜池

写真2が、ベニトンボの成虫♂♀そして羽化殻を観察することができた、この日3番目の訪問地である、低山地の溜池です。

ベニトンボが生息する溜池 
写真2 ベニトンボが生息する低山地の溜池 前回記事から再掲)

溜池の堤体の土手(写真2、左下)は雑草が生い茂っており、多くのベニトンボ成虫(羽化後間もない個体から十分成熟した個体までの♂♀)が滞在していました(前回記事参照)。


羽化殻発見場所の状況

写真2の堤体に沿って目を右方向に転じると、ゆるやかな土砂の斜面があり、その水辺には高床式の建造物(監視塔?)がありました。

その建造物を支える数本の太いコンクリート円柱の一部は浅い水面から立ち上がっていて(写真3)、その表面は若干風化してザラザラと砂礫が露出しています。

ベニトンボの羽化殻が残されていたコンクリート柱 
写真3 ベニトンボの羽化殻が残されていたコンクリート柱(山本桂子さん撮影)

その円柱面と向き合う位置にたたずみ、飯田さんが、じっと何かを観察しています。

私も、そーっと近づきます。

飯田さんが円柱面の一カ所を指さして、私に目くばせしました。


飯田さんが観察していたのがベニトンボ羽化殻

指さす先には、トンボ科に属する種の羽化殻が残されていました(写真4)。

ベニトンボ羽化殻 
写真4 ベニトンボ Trithemis aurora 羽化殻

「これ、ひょっとして、ベニトンボ?」と、私。

「そうなんですよ。ここで生まれて育つベニトンボが間違いなく増えている証拠なので、注目していました。」と、飯田さんの明快な答え。

私は、成虫はともかく、羽化殻まで観察できるとは予想もしていませんでしたので、ちょっとした感激を覚えました。

このような機会を用意してくれた飯田さんに感謝です。

写真3には、その羽化殻を顕微鏡モードで狙っている私のセカンドカメラ(TG-5)が写っています。

写真3からは、その羽化殻の取りついている位置が、水面上約1m程度であることが見てとれます。


ほかにもいくつかの羽化殻が

さて、他にも羽化殻はないかと、私も蟹歩きをしながら、円柱の表面を眼でスキャンしました。

その結果、労せずして、次々と別の羽化殻が見つかりました(写真5、6、)。

ベニトンボ羽化殻 
写真5 ベニトンボ Trithemis aurora 羽化殻 (別個体)

下の写真6の場合、1本隣の円柱も写っています。

ベニトンボ羽化殻 
写真6 ベニトンボ Trithemis aurora 羽化殻 (更に別個体)

写真7は、また別の羽化殻を真横から撮ったものです。

ベニトンボ羽化殻 
写真7 ベニトンボ Trithemis aurora 羽化殻 (更に別個体)


ボルダリング選手も顔負けの終齢幼虫の登攀術

さて、終齢幼虫は、鉛直の壁面にどのように取りつき、羽化前後の体重を支えるのでしょうか?

また、羽化の途中に多少の風や雨が振りかかっても脱落しないようにするために、どのような工夫をしているでしょうか?

人間がコンクリートダムの壁面を、これらの羽化殻と同じような姿勢で昇り降りしたり、しがみついたまま休息している動画をSNSにアップしたとしたら、あっというまに百万回を超える閲覧があるのではないでしょうか。

新オリンピック種目であるスポーツクライミングの一競技、ボルダリングでは、選手が、鉛直あるいはオーバーハングした壁面を、そこから突き出た石を模した突起に指2本程度をかけて全体重を支え、さらにスイングまでしながら登っていきます。

この競技をテレビ放映などで見ると、人間の身体能力の限界の広さに驚かされます。

ベニトンボの終齢幼虫は、ボルダリングの場合のように選ばれた選手ではなく、原則として全員がこの登攀術を身に着け、やりぬくのですから、更に驚かされます。

横道にそれた話が長くなりました。


ベニトンボ終齢幼虫の登攀技術とその進化プロセス

それでは、写真4~7の羽化殻の壁面への取り付き方をチェックしてみましょう。

写真4,6,7
・両前脚、両中脚の爪は、爪先が下向き(重力方向)になるように、コンクリートのザラザラ砂粒にかけている。
・両後脚の爪は、下向き上向き(重力と逆方向)になるように、砂粒にかけている。
・このようにして、6本の脚で上下から壁をグリップするかたちで、脱落を防止しつつ、体重を支えている。

写真5:
・両前脚、両中脚は、円柱壁面に繁茂し、枯死した後も壁面に張りついたままの植物繊維に、爪をからめている。
・両後脚は、(写真4,6,7同様に)上向きに爪をたてていて、前脚中脚と連携してグリップし、脱落を防止しつつ、体重を支えている。

このように、誰にも教わることなく、ぬかりのないぶら下がり方を具現化し、幼虫期からの脱皮をやり遂げていることがわかります。

ただし、何十・何百という個体の羽化機会の中には、羽化中に地面や水面に落下し、翅は胴体が変形したり、運が悪ければ命を落とすものもあるはずです。

このようなことが繰り返される中で、より確実に羽化を完遂できる登攀術をプロデュースしている遺伝子群が個体群の中で比率を高め、現在のような高い能力を鍛造してきたといえるでしょう。


幼虫の脱殻の強度も驚異的

羽化あるいは脱皮する前の幼虫では、外骨格の外層をなすクチクラは真皮で裏打ちされ、更に体節間は鎹(かすがい)のように筋肉によってつなぎ留められています。

したがって、脱皮前の外骨格そのものはもちろん、脚の各節の間にある関節も、爪と跗節の間の関節も、重力に起因する張力によって破断される危険性は、脱殻にくらべて多少なりとも低下しているはずです。

しかし、羽化後に殻となってしまったほうの関節は、薄いクチクラ1枚でつながっている状態であるにもかかわらず、羽化前とほぼ同じ体重の新成虫を支えているのですから、このクチクラの構造が持つ、引っ張り力への耐性の強さには驚嘆せざるをえません。


昆虫のクチクラの洗練された層構造

昆虫の外骨格の表面寄りの硬い層は、クチクラと呼ばれます。

脱皮とは、このクチクラの部分を、その中に出来上がった、次の齢期の幼虫または成虫が、脱ぎ捨てることです。

そのあたのより詳細な説明を、島田・普後(2014)から抜粋して、以下に紹介します(引用文中のブラケットで括った部分は引用者による注記)(拝借画像1も参照)。

「昆虫は外骨格をもつ動物なので、エビやカニと同様に成長に伴って脱皮する。昆虫の皮膚は、体腔と皮膚を隔てる基底膜の外側にある真皮細胞と、その外側の硬いクチクラ層から成っている。[中略]幼虫がある一定の大きさになると、真皮細胞はクチクラ層の内側に新しいクチクラを作り、外側の古いクチクラを脱ぎ捨てる」

クチクラを含めた、昆虫の外骨格の層状構造について解説した部分を、日本大百科全書(ニッポニカ):「昆虫」:「(4)外骨格」から、以下に抜粋しておきます(拝借画像1も参照)。

「昆虫の体は、外骨格とよばれるじょうぶな硬い皮膚に覆われ、それは外側の表皮(クチクラ)、真皮、内側の薄い基底膜の3層からなっている。[中略]表皮[クチクラ]の外層は4マイクロメートル以下の上クチクラであって、セメント、ワックス、ポリフェノール、クチクリンの4層からなり、この下に薄層が多数重なって構成された外クチクラ内クチクラの2層がある。クチクラはおもに窒素を含む多糖類であるキチン質とタンパク質からなっており[中略]。この物質[スクレロチン]はきわめて堅く[中略]。[中略]脱皮のときに内クチクラ層を溶かす脱皮液も真皮から分泌する。」(こちら(外部リンク)で原文および関連画像が閲覧可能)。

※ ほぼ同様の内容を、より詳しく説明した英文サイト(詳細な図入り)はこちら(外部リンク:Anonymous: Insectsexplained: Insect Exoskelton)。

下の図(拝借画像1)は、昆虫の外皮の構造(断面)の模式図です。

Section of insect integument
拝借画像1 昆虫の外皮の断面図 Section of insect integument (By Xvazquez (File:Cuticula.svg on wikipedia) [CC BY-SA 3.0 ], via Wikimedia Commons)
A: Cuticle and epidermis クチクラと真皮; 
B: Detail of the epicuticle 上クチクラの詳細.
  1: Epicuticle 上クチクラ  
   1a: Cement セメント
   1b: Wax layer ワックス層
   1c: Outer epicuticle 上クチクラ外層  
   1d: Inner epicuticle 上クチクラ内層
   2+3: Procuticle 原クチクラ 
    2: Exocuticle 外クチクラ 
    3: Endocuticle 内クチクラ  
  4: Epidermal epithelium 真皮の上皮
  5: Basement membrane 基底膜
  6: Epidermal cell 真皮細胞
   6a: Pore Canal 孔管
  7: Glandular cell 腺細胞
  8: Tricogen cell 生毛細胞
  9: Tormogen cell 窩生細胞
 10: Nerve ending 神経終端
 11: Sensory hair (sensillum) 感覚毛
 12: Seta 剛毛
13: Glandular pore 腺孔
(凡例の日本語訳は一部仮訳を含みます)

以上の解説からわかるように、昆虫のクチクラは、薄いけれど強靭な4層の上クチクラとその下のより厚い外クチクラと内クチクラの両層から成り立っており、脱ぎ捨てられた殻は内クチクラ以外のすべての層をそのまま温存していることになります。

この層状構造と、それを構成するキチンやスクレロチンなどの物質が、ベニトンボの羽化殻を含め、昆虫達のクチクラの強靭さを支えているということになります。

このクチクラの構造は、系統発生においてトンボ目が出現する以前にすでに獲得されていたはずですので、今回の記事で取り上げたベニトンボの羽化殻の強靭さは、この「よき伝統」を受け継ぎ、その恩恵に浴しているといえるでしょう。


羽化殻写真から種の同定を試みる

さて、今回取り上げた羽化殻は、ベニトンボのものであるむね、現地で飯田さんにより確認済みでしたが、ブログ記事作成に際して、改めて私自身による同定も試みました。

参考にしたのは、杉村ほか(1999)の『原色日本トンボ幼虫・成虫大図鑑』です。

その結果、以下の点から、ベニトンボの羽化殻であると再確認できました。
・背棘が腹部第4~9節にある(第3節は不明瞭)。
・背棘の形は、写真7のように腹節後端を越えて鋭く突出する。
・側棘は第8,9節にあるが微小である。
・複眼はやや大きい(チョウトンボ属のように小さくない)。

ただし、写真を拡大すると粒子が粗くなり、細部の判別がつかなくなることもあり、羽化殻を極少数採取して持ち帰っていれば、同定はより容易かつ確実であったはずです(言わずもがなですが)。


調査対象としての羽化殻の価値

以下、一般論としての、羽化殻の調査対象としての価値について触れておきます。

羽化殻は地味な存在ですが、そこに卵が産みつけられ、幼虫が最後まで育つことができたことの証となります。

「成虫がいた・いない」のデータ、「面積(or 岸沿いの単位距離)の成虫個体数」データも、それなりに貴重ですが、たとえそこで産卵したとしても幼虫が生き延びて羽化するとは限りません。

つまり、成虫だけでは、その観察された特定の水域を生息地としている完全な証拠とはなりません。
そこが、(データを容易に得ることができる)成虫の活動個体数調査の弱点です。

羽化殻は、写真の対象としては美しさの点で成虫には及びませんが、生態研究や生物多様性保全につながる貴重な観察対象として、今後もっと注目されてしかるべきでしょう。

ただし、成虫とちがって、写真だけからは種の同定が困難な場合が多いので(上述のとおり)、まずは現場写真を撮影した上で、2,3個の羽化殻を採集してプラスチックケース等に収容して持ち帰り、帰宅後、虫メガネ(もしあれば実体顕微鏡)で観察しながら幼虫図鑑と比較することが、正確な同定のためには必要になります。

羽化殻ですので、成虫や幼虫を採集して持ち帰るのとは異なり、個体群に悪影響を及ぼしませんので、お薦めの生息状況調査方法といえます。

ただし、調査の際の湿地の踏み荒らしが景観や生物の生息条件に悪影響を与えないよう、特段の注意を払いたいところです。

さて、本シリーズの次回記事では、同じ場所で見られたマユタテアカネとシリアゲムシについて取り上げる予定です。


謝 辞
現地に案内して下さった上にベニトンボの羽化状況について解説された飯田貢さん、有用な写真を提供された山本桂子さんに謝意を表したいと思います。


引用文献

Anonymous: Insectsexplained: Insect Exoskelton.
Retrieved on 29 October 2018.

日本大百科全書(ニッポニカ):「昆虫」:「(4)外骨格」
Retrieved on 29 October 2018.

島田 順・普後 一 2014 脱皮と変態の仕組み。科学なんでも相談室での回答。http://www2.science.med.tuat.ac.jp/home/questions/answers/no21%E3%80%90zhiwen%E3%80%91kunchongnotuopitobiantai

杉村光俊・石田昇三・小島圭三・石田勝義・青木典司 (1999) 『原色日本トンボ幼虫・成虫大図鑑』。北海道大学図書刊行会。


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