2023-02-06 (Mon)
私が共編者の一人を務めた『坂上昭一の昆虫比較社会学』(山根 爽一・松村 雄・生方 秀紀、編;海游舎刊)(写真1,2)の書評は毎日新聞(こちら)、昆虫と自然(こちら)、きべりはむし(こちら)、日本応用動物昆虫学会誌(こちら)に掲載されましたが、このたび日本生態学会ニュースレター(2023年1月、No. 59)にも掲載されました(こちら;外部リンク)。
評者は大阪公立大学理学研究科客員研究員の粕谷英一 博士(元九州大学理学研究院准教授、元日本動物行動学会長、元個体群生態学会長)です。
以下に、粕谷博士が「書評 山根爽一・松村雄・生方秀紀 共編(2022)「坂上昭一の昆虫比較社会学」の中で披歴された坂上昭一および本書への評価を引用し、私のそれへの感想も交えながら、ご紹介します。
文中「」で囲んだ文章は粕谷博士の書評からの引用部分です。
書評は次の文章で始まっています。
「多くの研究者が、活動をやめた後では、比較的に短時間のうちにその名は忘れられる。だが、ある程度以上の年齢であれば、坂上昭一(さかがみ しょういち)という名前をおぼえている研究者・元研究者は少なくないだろう。」
粕谷博士は名古屋大学で研究者人生をスタートした方ですが、北海道やブラジルでハチの研究をしていて学会大会にはほとんど出たことのない坂上をその研究の特徴とともに意識していたことになります。
「坂上については、北海道大学を定年で退職する際にも記念の論文集が発行されている(井上民・山根編、1993)。その後に、30 年近い時を隔てて、再び一人の研究者とその活動を主題とした本が出版されるのはよくあることではない。」
たしかに、定年退官後32年目(しかも没後26年目)に評伝本が全国出版されるというのは、坂上が余程のカリスマ性の持ち主であったことの証左かもしれません。
1993年に博品社から出版された退官記念論文集は、坂上自身の研究回顧の文章と業績目録、それに編者序文を除けば評伝というよりは分担執筆をした弟子や共同研究者による学術論文あるいは総説でした。
その意味で『坂上昭一の昆虫比較社会学』は昆虫研究者らによる初の本格的な坂上評伝本*と位置付けられます。
(*注:初の坂上評伝本である『蜂の群れに人間を見た男 坂上昭一の世界』〔2001年、NHK出版〕の著者、本田睨氏はサイエンスライター)
「“弟子”たちが“恩師回顧”をした本は数多いが、本書は単にそういう作業をしたものではない。そのことは、本書のなかに『進化生物学者から見た坂上昭一』という8 つの章からなる大きなセクションを設けて、坂上の、とくに昆虫社会の研究法への評価を試みていることにも表れている。その部分の著者には、直接に坂上からの指導は受けていないより若い世代も含まれている(たとえば、松浦健二や辻和希など)。」
流石、粕谷博士。そうなんです。現在の日本そして世界の昆虫社会進化学をリードする現役世代の研究者に執筆を依頼するところまでは、だれが編集者でも考えつくことですが、実際に引き受けていただけたということは、いかに坂上が彼らに影響力を及ぼしていたかの証といえるでしょう。
「坂上の研究活動においても、およそ1980 年前後に始まる日本での進化観の転換は無視できないものである。<中略>坂上は社会性ハナバチをおもな研究対象としており、しかも本書の多くの章からわかるように指導的な研究者であった。血縁選択の日本語での紹介(坂上 1975)を早い時期に書きながら、坂上が決してこの転換に受容的ではなかったことは、本書からもうかがえる。」
なにが坂上に血縁選択の日本語での紹介を仕向けたのか、そしてなにゆえにこの転換に受容的でなかたのかは、本書を読むことでつかみ取ることができるはずですし、1970年代までの日本の動物社会学者に強い影響をあたえていた進化観がなんであったかを理解できるはずです(これはまだ本書を読まれていない方への私からのメッセージです)。
「坂上もこの転換の影響を受け意識していたことは本書での多くの章からも読み取れる。また、転換以前の、昔は、普通の表現だった“個体維持と種族維持”(種と属ではなく種族)に対して、坂上(1983)では1 つの節を使っているが、坂上(1992)ではほとんど姿を表さない。」
粕谷博士は本書を精読されただけでなく坂上自身の著書を読み返しながら書評を書かれており、単に本書の書評に終わらず、坂上昭一そのものへの一つの評伝に近い文章に仕上がっています。
「対象の生物が何をしているのか明らかにしようとする情熱の結果は、パラダイムシフトとも言われることがある進化観と理論の大きな転換にも関わらず、生き残ることがあると、評者は感じる。坂上は、研究の方法をはじめ、確かなものを次代に残したのだと本書は示していると思う。」
パラダイムシフト以前の研究だからといって切って捨てる傾向が昨今あらわれているのかもしれませんが、坂上流の行動観察・記述・分析は半世紀以上たった今でもその光を失っていないのは確かです。
「本書の多くの論文からは、具体的なエピソードの回想も通じて、研究室や大学での研究者間の関係の雰囲気が浮かび上がってくる。ある意味、研究に対してピュアであるとも、人によっては牧歌的とも感じるかもしれない、その雰囲気は、現在のそれとはかなりのちがいがあると思う。本書のそこここから感じ取れる雰囲気は、単に思い出というのにはとどまらず、それと対照して現在の大学などでのものと比べてみる、一種のコントロールになる価値があると思う。」
「牧歌的」ですか。。
言われてみれば、その通り感が湧いてきます。
坂上先生の院生への指導は常に付き添って手取り足取りというやり方とは真逆の、いわば「放牧」にたとえられる指導法であると、私を含め当時の院生たちは認識していたと言っても言い過ぎではないと思います。
ただし、放牧しっぱなしではなく、牧野に放たれる前の心構えの伝授、放牧から戻って牧舎に入る、つまり論文原稿が提出されたときのスーパー論文指導術(これは本書のひとつの章のタイトルからのパクリ)は他の追随をゆるさないレベルだったといえるでしょう。
具体的にどんなものであったかについては、本書を紐解くことでご理解いただけるでしょう(未読者への私からのメッセージ、その2です)。
「一種のコントロールになる価値」という表現も大学院での研究指導者としての立場ならではのものと感じます。
この文脈での「コントロール」という語は「操縦」ではなく「対照」という意味になります。
現在の研究機関でありがちなこととして、研究指導教員が科学研究費を申請して採択され、その研究プロジェクトの枠内に指導下の院生やポスドクが動員される(もちろん、本人の同意のもとですが)、ということを念頭におけば、ここには牧歌的な雰囲気はほとんど見当たりません。
牧歌的な雰囲気をこの文脈でより具体的に表現すれば、現象に対して素直、率直、自由な発想、夢がある、失敗を恐れない・・・といったことではないかと私は考えます。
このような牧歌性は生態学分野に遺伝子解析が持ち込まれる1980年代前半くらいまでは北大に限らずどの大学にも多かれ少なかれあったのではと思います。
北大はキャンパス内に附属農場やポプラ並木があり、月寒の羊の群れる牧場にはクラーク博士像があることなどもあって、一層、牧歌性が強かったのは確かです。
そのような雰囲気も本書の第4部「門下生から見た人間坂上昭一」の各章から読み取ることができるでしょう(未読者へのメッセージその3)。
最後になりましたが、奥深い内容の書評を執筆された粕谷博士に謝意を表します。
引用文献:
粕谷英一 (2023) 書評 山根爽一・松村雄・生方秀紀 共編(2022)「坂上昭一の昆虫比較社会学」。日本生態学会ニュースレター(2023年1月、No. 59。
https://www.esj.ne.jp/esj/newsletter/No59.pdf
井上民二,山根爽一編 1993 昆虫社会の進化 ハチの比較社会学.坂上昭一退官記念論文集,博品社.
坂上昭一 1975 ハチ類におけるカスト制の進化.科学,45:138-144
坂上昭一 1983 ミツバチの世界.岩波書店.
坂上昭一 1992 ハチの家族と社会.中央公論社.
山根爽一・松村雄・生方秀紀 共編(2022)「坂上昭一の昆虫比較社会学」344pp.海游舎.
ブログ記事著者:プロフィール
生方秀紀(うぶかた ひでのり):北海道教育大学名誉教授、トンボ自然史研究所代表、理学博士(北海道大学);専門は昆虫生態学、自然環境教育;著書:『トンボの繁殖システムと社会構造』(共著)東海大学出版会;『ESDをつくる―地域でひらく未来への教育』(共編著)ミネルヴァ書房、『環境教育』(共編著)教育出版、『坂上昭一の昆虫比較社会学』(共編著)海游舎
坂上昭一の代表的著書:
『ミツバチのたどったみち 進化の比較社会学』 1970 思索社
『私のブラジルとそのハチたち』 1975 思索社
『ミツバチの世界』 1983.(岩波新書)
『ハチとフィールドと』 1987. 思索社
『ハチの家族と社会 カースト社会の母と娘』 1992.(中公新書)
書誌データ
『坂上昭一の昆虫比較社会学』
山根爽一(茨城大学名誉教授 理学博士)
松村 雄(元農水省農業環境技術研究所昆虫分類研究室長 理学博士)
生方秀紀(北海道教育大学名誉教授 理学博士) 共編
A5判・上製本・354頁
定価 5,060円(本体4,600円+税)
ISBN 978-4-905930-88-4 C3045
発行 海游舎 2022年4月30日
海游舎ホームページURL:
直接注文可。
本書出版の経緯についてのブログ記事はこちらです。
別記(坂上昭一の代表的著書):
『ミツバチのたどったみち 進化の比較社会学』 1970 思索社
『私のブラジルとそのハチたち』 1975 思索社
『ミツバチの世界』 1983.(岩波新書)
『ハチとフィールドと』 1987. 思索社
『ハチの家族と社会 カースト社会の母と娘』 1992.(中公新書)
『坂上昭一の 昆虫比較社会学』の目次
第1部 坂上昭一の生涯と研究業績
1 坂上昭一の生涯と研究遍歴 (生方 秀紀)
2 ハチ類についての坂上昭一の研究業績 (山根 爽一)
第2部 進化生物学者から見た坂上昭一
3 ハチ類に関する坂上昭一の学問的功績 (山根 爽一)
4 ラビリンスの王とドンキホーテ (辻 和希)
5 坂上昭一・岩田久二雄という時代のエートス (松浦 健二)
6 分類学者としての坂上昭一 (山根 正気)
7 北大のナチュラリスト1970年代 (青木 重幸)
8 ダニ,ハチそしてヒトの社会 (齋藤 裕)
9 アリの共生者を研究して (丸山 宗利)
10 坂上昭一とファーブル ― 継承から飛躍へ (生方 秀紀)
第3部 共同研究者と坂上昭一
11 ツヤハナバチに社会性はあるのか? その発見の経緯 (前田 泰生)
12 ハチ学の鬼との共同研究 (郷右近 勝夫)
13 マルハナバチが結び付けてくれた坂上先生とのご縁 (片山 栄助)
14 スマトラでの共同研究と坂上昭一 (山根 爽一)
15 野生ハナバチの地域群集を解明する (松村 雄)
16 この豊富なハナバチ相はどう変わっていくだろう (滝 久智)
コラム1 メモを取るか写真を撮るか ― 坂上先生と私 (栗林 慧)
第4部 門下生から見た人間坂上昭一
17 坂上昭一の研究指導歴と門弟列伝 (生方 秀紀)
18 坂上昭一さんを想う (正木 進三)
19 緻密な観察に学び,狩りバチの社会進化を追う (山根 爽一)
20 アブハチ師弟交流録 (松村 雄)
21 多女王・多巣制研究へのガイダンス (山内 克典)
22 先見の明,スーパーコロニー研究 (東 正剛)
23 若手学徒へのあたたかな眼差し (伊藤 文紀)
24 指導は時空を超えて (市瀬 克也)
25 坂上さん (正富 宏之)
26 スーパー論文指導術“坂上マジック” (北川 珠樹)
27 あの一言に感謝 (田村 浩志)
28 坂上先生の錬金術 (稲岡 徹)
29 何を観察してもいいのだ ― 動き回る虫たちへの尽きない興味 (岡澤 孝雄)
30 元物理少年の坂上道場入門とその後 (生方 秀紀)
31 フィールドワークの徹底 (山本 道也)
32 坂上先生とクマムシ,そして昆虫以外の節足動物 (鶴崎 展巨)
コラム2 シオカワコハナバチとの出会い (塩川 信)
コラム3 ミツバチ研究で師に挑んだ男,大谷 剛 (生方 秀紀)
コラム4 神経行動学者小西正一の修業時代と坂上昭一 (生方 秀紀)
坂上昭一業績目録
あとがき
事項索引
生物名索引
人名索引
ネット書店:
※一般の書店で取り寄せ注文も可能です。
ハッシュタグ:
#坂上昭一の昆虫比較社会学 #昆虫社会学 #坂上昭一 #社会進化 #進化学 #動物社会学 #比較社会学 #生物学 #動物学 #ハチの社会 #生物多様性 #昆虫 #昆虫博士 #ハチ博士 #博士ちゃん #昆虫記 #ハチ #ハチ目 #ミツバチ #社会性昆虫 #社会進化 #日本の生物学 #書評 #日本のファーブル #粕谷英一 #日本生態学会 #松浦健二 #辻和希 #井上民二 #山根爽一 #進化生物学 #血縁選択
コメント