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2017-03-10 (Fri)
前回記事では、「さいたま市荒川堤防から見える山々(北~北西方向)」を写真を添えてご紹介しました。

今回はその続きの終わりで、「さいたま市荒川堤防から見える山々(北西~南西方向)」の同定奮闘記です。

撮影時期は、今年2月上旬のよく晴れ渡った日で、北西からの乾いた季節風が空気を澄ませてくれて、絶好の撮影条件をもたらしてくれていました。

前回記事の写真と撮影場所は同じで、写す方向を変えただけです。

写真1は、その撮影機会に真っ先に写した富士山で、若干のトリミングをした後で、フォトレタッチソフトでコントラストを強めるとともにガンマ輝度を下げて、重なる山並やその背景の空と色調の違いを強調したものです。
さいたま市から望む富士山、コントラスト調整
写真1。さいたま市から望む富士山、コントラスト調整済。(写真はクリックで拡大)

写真2は、そのようなフォトレタッチ処理を施す前のもので、山と空の区別もなかなかつきにくかったことがわかります。

 さいたま市から望む富士山、コントラスト未調整
写真2。写真1と同じ。さいたま市から望む富士山、コントラスト未調整。

それはともかく、静岡と山梨の県境にある富士山が、間に関東山地を挟む埼玉県から、これほどまで裾野の下のほうまで、ほぼ全容を見せつけているのも、ちょっとした驚きです。
写真を撮影した堤防から荒川を挟んだ対岸側に富士見市とふじみ野市が並んでいるのも、むべなるかなです。

なぜ、富士見ーふじみのライン上から富士山が裾野まで広くみられるのでしょうか。
それは、富士山と富士見ーふじみのラインを直線で結んだベルト状の地域に、標高1000メートル以上の山がほとんどない、言い換えれば、そのゾーンがいわば低標高ゾーンを形成しているからです。

その低標高ゾーンとは、相模湖から大月市にかけての相模川沿いの地帯です。
このゾーンはその北部(北は碓氷峠から南は相模川まで)に拡がる秩父山地や、南部に拡がる丹沢山地にはさまれながら、なぜ低くなっているのでしょう。

小山(1995)によれば、このくぼ地ゾーンは、伊豆、丹沢山地を載せて北上してきて、ユーラシアプレートに潜り込む、フィリピン海プレートが、付加帯のひとつである丹沢山地を地上に残しながら滑り込んでいた境界部のトラフ(平田ほか、2008の、9頁、図8参照)と考えられます。

さて、このへんで本題に戻すことにします。

まずは、さいたま市北西方向の山々です(写真3)。前回記事の最後の写真と方向は重複し、浅間山とその南東方向の山々が写っています。

さいたま市北西方向の山々(浅間山ほか)
 写真3。さいたま市北西方向の山々(浅間山ほか)。

浅間山のみ、真っ白に雪化粧しています。
標高が高い(2568m)こともあるのですが、活火山のため1700m以上に樹林がないことも雪を目立たせています。
写真左(白石峠の更に左)の稜線は小さなコブが連続しているように見えますが、どれがどのピークかの確認は断念しました。

写真4は、その更に南に見える山々です。

さいたま市西北西方向の山々(武甲山ほか)
写真4。さいたま市西北西方向の山々(武甲山ほか)

この写真では、なんといっても武甲山が目立ちます。
この山に向って右(北)の斜面は、左斜面にくらべて、より急角度になっていて、更によく見ると岩だらけの山肌が大きく露わになっています。
これは明治以来の石灰岩(セメント原料)の採掘による大規模な傷跡で、そのため山頂の高さも30mほど低くなったとのこと(Wikipedia)。

一番左の芋木ノドッケは「ヤマレコ」さんのサイトを参考にして同定できましたが、その右に連続するコブがどのピークに該当するのかは判断保留としました。

次の写真5には、雲取山や鷹ノ巣山といった、聞いたことのある山が写り込んでいました。

さいたま市西方向の山々(雲取山ほか)
写真5。さいたま市西方向の山々(雲取山ほか)

雲取山(2017m)は埼玉、山梨、東京の3都県の境界点にある山で、その眺めはよさそう。
一度登ってみたくなりました。

次の写真6の主役は大菩薩嶺です。

さいたま市西南西方向の山々(大菩薩嶺ほか)
写真6。さいたま市西南西方向の山々(大菩薩嶺ほか)

大菩薩嶺よりも大菩薩峠のほうが私にはなじみがありました。
一つは私が子供の頃のチャンバラ映画の題名そのもので、中里介山の同名小説を大映が映画化したもの(1960年)。主役の浪人・机竜之介を演じたのは市川雷蔵(Wikipedia)。
もう一つは私が大学生の頃、過激派組織赤軍派の武装訓練準備がこの峠付近で行われ、一斉逮捕された事件。

しかし、今の私がこの峠に行けば、山並の風景や足下の花や虫にカメラを向けるほうに熱中するに違いありません。

この写真で、熊沢山の向って左の斜面がわざとらしく白いのは何かと疑問に思いました。
山岳写真のサイトで調べたところ、熊沢山の南斜面は森林が欠けているため、冬季の遠望ではその部分に積もった雪が、遠くからも白くはっきり認識できるためとわかりました。

さてさて、いよいよ富士山が見えてきました(写真7)。

さいたま市南西方向の山々(1)(富士山と北隣)
写真7。さいたま市南西方向の山々(1)(富士山と北隣)

富士山の向って右のゴツゴツの連続も山名の同定に苦労しました。
ギブアップして「ヤマレコ」さんのサイトを参考にしたほか、GoogleMapの3D画像閲覧機能を利用するなどしてなんとか、同定に漕ぎつけた山を写真上に書き込みました。

写真8は、富士山を中央に、左右に引き立て役の山々が並びます。

さいたま市南西方向の山々(2)(富士山と南隣)
写真8。さいたま市南西方向の山々(2)(富士山と南隣)

丹沢山地に属する蛭ケ岳はさすがに1672mと高く、このクラスの山々が富士山の手前に控えてしまうと富士山は8合目から上くらいしか見えなくなるでしょう。

いよいよ最後は、富士山の南に居並ぶ丹沢山地です(写真9)。

さいたま市南南西方向の山々(丹沢山ほか)
写真9。さいたま市南南西方向の山々(丹沢山ほか)

丹沢山地には1500m前後の山座が7,8座あり、山頂と麓の平野部との気温差は9℃程度になる。
これは暑い夏を高地で過ごし生殖休眠を確実なものとする生活史をとっているアキアカネにとっては、丹沢山地が絶好の避暑地となりうることを意味します。

房総トンボ研究所の互井賢二さんは、千葉県市川市の海岸近くに集結する羽化後間もないアキアカネたちは、千葉や茨城の山ではなく、東京湾上を横切り丹沢山地に向うという仮説をたてています。
今後、マーキングなどにより、それが実証されれば楽しいですね。

話が前後しますが、もちろん秩父山地にも1500mはおろか2000m級の山が群立していますから、アキアカネの避暑地になります。

寄居町在住のトンボ研究家である新井裕さんは、埼玉県の平野部で羽化したアキアカネは西に向い、秩父山地にたどりついて、そこで避暑をし、秋になると東に向い、平野部に戻り交尾・産卵するとしています。

トンボのブログらしく、トンボの話に落ち着いたところで、今回の記事の締めくくりたいと思います。

下の地図は、山座同定の際に使用した写真撮影地点からの方位線です。
これに加えて電子国土地図の詳細図をチェックしながら、稜線の形状、山襞(尾根・谷)の方向や形状を参考に山座同定を行いました。

このブログの読者の方で、山座同定に誤りあるいは疑問がありましたら、コメント欄等でご指摘いただければと思います。

山座同定のための方位線、電子国土地図に上書き 


引用文献:

平田大二・山下浩之・川手新一2008:伊豆・小笠原弧北端部、箱根火山周辺の地形・地質テクトニクス。神奈川博調査研報(自然)2008、13:1-12.

小山真人、1995.西相模湾断裂の再検討と相模湾北西部の地震テクトニクス。地学雑誌。104(1):45-68。(平田ほか2008から間接引用)


今回の山座同定の参考サイト:

ヤマレコ:「【メモ1】荒川(さいたま市)から眺める連山(2015年1月)」

馬場直之:「山と旅への招待」:「芋木ノドッケ(いもきのどっけ)」:「堂平山より」

横手の休日:「大菩薩連嶺・・・富士と南アルプスの展望」:「一旦下って天狗棚山を越えて振り向くと歩いてきた大菩薩嶺と熊沢山が良く見えました(写真右)」

日本列島 山だらけ:「天狗棚山」:「石丸峠越しに今日の目的地、天狗棚山(1,957m)が見えます。」

GoogleMap3D機能


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2017-03-04 (Sat)
埼玉県さいたま市に転居して足掛け5年目になり、身の回りの昆虫(とくにトンボ)や草木に集中させてきた視線を、はるか地平線に向ける余裕がでてきたようです。

先日、自宅近くの小さな川にかかる橋を渡りながら、ふと北のように視線を向けると、どうやら男体山らしき山影が目に入りました。

そこで、1月下旬、2月上旬の、快晴そして乾いた北西の季節風が吹く日に、さいたま市の西端を流れる荒川の土手の上に行ってみました。

案の定、北から半時計回りに南西の方向まで、山並がほぼ途切れることなく連なっている状況を目にすることができました(写真1)。

さいたま市から北に見える山(ワイド)コントラスト未調整 
写真1.さいたま市荒川堤防から見える山(真北方向)。(クリックで拡大)

ただし、北北東から時計回りに南南西までは大宮から東京まで続くビル街の陰に隠されて、筑波山や(あたりまえですが)房総や三浦半島の山々は見ることはできません。

さて、確認できた北関東の山々から関東山地を経て富士山方面までの山並を、一眼レフのズームを変えながらバチバチと撮り、自宅に戻りました。

今回は、このようにして撮影した風景写真の中に写り込んだ、北関東(栃木、群馬)の山々を、地形図とにらめっこしながら同定した結果をご紹介したいと思います。

「トンボのブログなにに、なぜ山を?」と聞かれたら、「はいはい、アキアカネが避暑のために目指すのが、これらの山々ですよ」と答えましょう。ちと苦しいですね、ハイ。

関東山地(埼玉県西部山地)から富士山・丹沢方面までの山座同定結果は次回以降の記事で取り上げる予定です。

山座同定のための画像処理
写真1のように、撮影したままの状態では、うっすらと山が写っているだけで、尾根と谷からなる山襞や、前後の山の重なり具合もよくわかりません。

そこで、フォトレタッチソフト(私の場合、Photoscape[フリーソフト])を用いて、強制的にコントラストを大幅にアップし、ガンマ輝度を下げて、山襞などがわかりやすくなるように調節しました(写真2)。
その副作用として、近景の田畑や住宅地などが大部分真っ暗になっています(若干違和感あり)。

さいたま市から北に見える山(ワイド)
写真2.写真1(真北方向)のコントラストをアップしたもの。山襞がはっきりする。

写真2から、さいたま市の真北方向にある、女峰山から、男体山、白根山を経て皇海山までの主な山が同定できました。

写真3は、そこから北北西方向へカメラの向きを変えたもので、武尊山、赤城山が確認できました。
武尊山、赤城山はいくつかの峰が寄り集まっていますが、この後の写真でより詳しく山座を同定します。

さいたま市から北北西に見える山(ワイド)
写真3。さいたま市の北北西に見える山。

さらに北西に目を転ずると、浅間山が確認できます(写真4)。
この山はコントラストをアップすることで初めて存在が確認できました。
もっと空気が澄んだ条件下では肉眼でも確認できるはずです。

さいたま市から北西に見える山(ワイド)
写真4。さいたま市の北西に見える山。

各山塊を構成する山々
ここで、以上の範囲内で確認できた山の塊ごとに、更に詳しく山座の同定をしてみました。
まずは真北のうちの男体山一帯です(写真5)。

男体山、女峰山方面、詳細
写真5。男体山周辺。

写真5から、男体山の右に大真名子山、小真名子山、帝釈山、女峰山、赤薙山が確認できました。

日光白根山方面、詳細 
写真6。(日光)白根山周辺。

写真6では、(日光)白根山、皇海山に加えて錫ケ岳が確認できました。

 武尊山方面、詳細
写真7。武尊山周辺。

写真7では、武尊山の左右に剣が峰、獅子ケ鼻山、鹿俣山が確認できました。

 赤城山、詳細
写真8。赤城山周辺。

写真8では、赤城山を構成する黒檜山、駒ケ岳、長七郎山、地蔵岳、荒山、鍋割山が確認できました。

千ノ倉山方面、詳細
 写真9。仙ノ倉山。

写真9は、その稜線の形から、仙ノ倉山と同定できました。
谷川岳の西に連なる山の一つです。
これもコントラストをアップしてはじめて存在がわかったもので、小さな驚きを感じました。

上ノ倉山方面、詳細
写真10。上ノ倉山。

写真10は、仙ノ倉山から三国山を通り過ぎて更に西にある上ノ倉山と同定しました。
稜線部しか見えませんが、山襞に特徴があることから、(参考サイトを参照するなど)苦しんだ末、このように同定しました。
やはり、コントラストをアップした際に、浮かび上がったものです。

浅間山方面、詳細
写真11。浅間山方面、詳細。

写真11の主峰は、浅間山で、これは初心者にもすぐわかる山です。
その左後方は外輪山の一つ、黒斑山。少し離れた右には四阿山と同定しました。
残念ながら、(草津)白根山は手前の防風林に隠されたようで見つけることができませんでした。

浅間山の南東隣接山地、詳細 
写真12。浅間山の手前(南東)の山塊、詳細。(山名訂正後)

写真12は、浅間山とその手前(南東方向)の山並です。
最初にアップした記事では、手前に妙義山、向かって左に武甲山があると見ました。

しかし、武甲山はその南に本物があることに気付き、ヤマレコさんのブログを改めて見直したところ、武甲山ではなく御荷鉾山とすべきことがわかりました。

更に、妙義山が御荷鉾山よりも手前(南東側)にあるのは矛盾しますので、再検討しました。
その結果、どうやら登谷山としたほうがよさそうと判断しました。

写真12の中の山名もそのように訂正し、差し替えました(3月5日)。

以上が栃木県の女峰山・男体山から半時計回りに浅間山・武甲山までの、さいたま市の荒川堤防から見える真北から北西までの方向に見える山々でした。

山座同定のテクニック
山座同定は専門外でかなり時間を浪費してしまいました(謎解きと同じ楽しみがあったので投げ出さずに済みました)。
山の形は見る角度で異なりますので、私のカメラがどの方向から撮ったのかがわかるように、地図上に撮影地点を打点し、そこから放射状に方位線(角度10度ごと)を引いたものを作りました(図1)。

さいたま市の荒川堤防から見える山を特定するための方位線 
図1.さいたま市の荒川堤防から見える山を特定するための方位線(電子国土地図[3枚貼り合わせ]に方位線を上書きして作成)

そして、これは怪しいと思った山を電子国土地図の地形図(主題図、色別標高図、透過度30%前後)の縮尺を自由に変えながら、写真に写った山襞と地図の色別標高図の山襞と照合し、また稜線の凹凸と地図の標高とを見比べたりしながら、山名を同定しました。

答合わせ
このようにして同定した山の名があっているかどうかを、インターネット上の画像検索結果(以下の参考サイト)と照合し、答え合わせをしました(以下の参考サイト)。
正直にいえば、一回目の答え合わせでゾロゾロと不正解を出してしまい、褌を締め直してやり直したのが今回の記事です。

皇海山などの山塊から西に流れる大きな裾野を、私は最初赤城山の裾野と勘違いし、本物の赤城山を榛名山と勘違いしたのが上記の不正解を引き起こしたボタンの掛け違いでした。

なんと、榛名山は、防風林の陰に隠れてまったく見えていなかったのでした。
そのため、答え合わせをする前から「あれっ?〇〇山が見当たらないぞ」といった不具合がありました。

さてさて、今回の記事にも、まだ間違いがある可能性は十分あります。
お気づきの方がおられましたら、コメント等でご指摘いただければと思います。


参考サイト(答合わせに利用させていただいた):

ヤマレコ:「【メモ1】荒川(さいたま市)から眺める連山(2015年1月)」
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-573545.html

渋川の旅行記(ブログ):「赤城高原サービスエリアからの風景」:「仙ノ倉山が見られる」
http://4travel.jp/travelogue/10764913

富岡・甘楽の旅行記(ブログ):「富岡市鏑橋付近から見られた真っ白な浅間山」:「鏑橋付近より見られる浅間山と妙義山」。
http://4travel.jp/travelogue/10981367

気ままにアウトドア:「四阿山」:「嬬恋村大笹付近より望む四阿山」。
http://ameblo.jp/aojisi-a/entry-12003135977.html

船水:「赤城山の左には草津白根山から白砂山系の山々」:「真ん中ちょうど奥に佐武流山があり、そのすぐ左が上ノ間山でさらに左が白砂山です。真ん中から少し右が忠次郎山で上ノ倉山、大黒山と続きます。」
http://tyf.la.coocan.jp/gunma_yama/otakanayama/shirasuna.htm

嵐山ふるさと塾・チーム嵐山:「GO! GO! 嵐山 3」:「2012年1月13日の男衾自然公園」:「A:水沢山、B:上ノ倉山、C:十二ケ岳、D:小野子山、E:平標山、F:仙ノ倉山、G:エビス大黒ノ頭、H:子持山」
http://ranzan.blog.jp/archives/1674499.html

ピーター・スコーヴ:「埼玉県から見える山」。
https://peterskovshashin.wordpress.com/tag/埼玉県から見える山/


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2017-02-26 (Sun)
生態学者伊藤嘉昭博士1930-2015)の業績と生涯を、弟子や共同研究者たち55人が、様々な観点から描き出した本、『生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ』が、3月25日に刊行されることになりました。

  伊藤本、表表紙、背表紙伊藤本、裏表紙
(上記画像はクリックで拡大します)

編者の辻和希さんならびに出版社の海游舎からの提供された資料を元に、その内容を簡単にご紹介します。

また、刊行記念特別価格についても最下段でご案内いたします。

書誌データ:
a)書名・頁数『生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ』411頁+索引
b)編者:辻和希
c)著者:石谷正宇、市岡孝朗、伊藤綾子、伊藤道夫、M.J.ウエスト-エバーハード、生方秀紀、大崎直太、太田英利、小野知洋、粕谷英一、R.ガダカール、岸 由二、金城邦夫、工藤起来、栗田博之、桑村哲生、小濱継雄、小山重郎、齊藤隆、齋藤哲夫、佐倉統、佐渡山安常、塩見正衞、志賀正和、嶋田正和、鈴木邦雄、竹田真木生、田中幸一、田中嘉成、辻和希、土田浩治、椿宜高、冨山清升、中筋房夫、中牟田潔、中村和雄、中村浩二、長谷川寿一、長谷川眞理子、濱口京子、N.ピアス、藤岡正博、藤崎憲治、藤田和幸、正木進三、松井正春、松沢哲郎、松本忠夫、宮竹貴久、村瀬 香、守屋成一、安田弘法、山根正気、山根爽一、与儀喜雄
d)発行予定日 2017年3月25日(生態学会初日の3/14日には刷り上がっています)
c)定価  4600円(税別)
 
編者による本書紹介:

「本書は生態学界の「革命児」伊藤嘉昭博士(1930-2015)の55人の証言による伝記である。この一冊で戦後日本の生態学の表裏の歴史が眺望できる科学史資料となっている。農林専門学校卒で「大学を出ていない」伊藤は、日本の生態学の近代化と国際化に貢献した戦後最大の立役者である。沢山の教科書を書き、沢山の国内外の研究者と交流し、沢山の弟子を育てた。その指導方針は「英語で国際誌に論文を書き続けよ」だった。今からみれば単純すぎるこの方針は、やがて進化生態学という「黒船」の襲来でパラダイム転換を果たし遅ればせながら国際的研究の表舞台に合流することになる、当時「鎖国状態」の日本の生態学界においては、ある種の「踏み絵」だったのだ。伊藤には活発な社会運動家としての一面もあった。農林省入省直後の1952年にメーデー事件の被告となり無罪が確定するまで17年間公職休職となるも、不屈の精神で名著『比較生態学』を書き上げた。農林省農業技術研究所、沖縄県農業試験場、名古屋大学、沖縄大学と50年にわたる研究生活のなかで、個体群生態学、脱農薬依存害虫防除、行動生態学、山原生物多様性保全と、近代化された生態学の新時代の研究潮流をつねに創り続けた。伊藤の研究テーマの変遷は戦後社会を映す鏡でもある。その背中は、激しく、明るく、楽しく、そして悲しい。研究者志望の若者よ。これが昭和の快男児の研究者人生だ。」


目次:


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2017-02-25 (Sat)
2015年5月、戦後の日本の生態学をリードした伊藤嘉昭(いとう よしあき)博士(以下、伊藤さん)が亡くなられた。

その半年後に名古屋で開かれた「偲ぶ会」には、伊藤さんの薫陶を受けつつ生態学の道を歩み、現在は定年退職前後まで齢を重ねた生態学者らが集い、それぞれが伊藤さんとの思い出を語り合った。

私(生方秀紀)もその会に参加し、なつかしい面々と再会し、また伊藤さんの数々のエピソードを、うなずきながら、ときには微笑みながら、登壇者から紹介されるままに楽しんだ。

この会を主宰した「伊藤嘉昭記念会」から、伊藤さんについての思い出話や伊藤さんの業績・人物についての評伝を出し合い、1冊の本にすることが提案された。

私も、大学院入学前後の若い時期に、伊藤さんの著書『比較生態学』から多大な影響を受けて、トンボ類の個体群動態と社会学の研究の道を進むことになった。

その足跡をたどりながら、伊藤さんの生物社会観にも言及した私の一文も、上述の本に掲載される運びとなった。
本のタイトルは、辻和希編著『生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ』(執筆者55名、海游舎発行、411頁+索引、2017年3月25日刊行予定、生態学会大会会場でも頒布)。
次回記事では著者割引、特別割引のご紹介を予定しているので、お見逃しのなきよう。。

以下は、この本に私が寄せた一文の、ほんの触りの部分である。
興味のある方には、この本を手に取り、めくって頂ければと思う。

1970年代後半は、「種の生物学」から「社会生物学」への、社会進化原理における革命的なパラダイム・シフトの大きな波を被りながら、私も自分自身を「改宗」させていくことになった。

伊藤さんは、個体群生態学の研究手法と実践においては優れて「近代的」なスタンスをとっておられたが、こと生物の生活の原理を突き詰めた場合には今西錦司流の「種の生物学」の立場を1970年代前半までは維持しておられたようである。

その伊藤さんが、E.O. Wilson(1975)の”Sociobiology”の出版をはじめとした、欧米における社会生物学(=行動生態学)の興隆・席捲を受けて、自らの立場を社会生物学のプラットフォームに大きくシフトされたのである。
この当時の伊藤さんの揺れ動く様子は、上記の本の中でお弟子さんたちから語られるものと思う。

伊藤さんは、それだけに終わらず、『社会生態学入門―動物の繁殖戦略と社会行動』(1982)の出版や、文部省科学研究費特定研究「生物の適応戦略と社会構造」(1983~1985)の推進などを通して、日本の生態学全体のパラダイム・シフトに大きく貢献された。

ちなみに、この特定研究には私もお誘いいただき、研究班員間のディスカッションなどを通して、私自身の研究を一層ブラッシュアップすることができた。

1986年に、この特定研究のしめくくりとなる、国際シンポジウムが、 J.L. Brown、W.D. Hamilton 、M.J. West-Eberhardの諸氏を含む海外の著名な研究者も招聘して、京都で開かれた。

伊藤さんの推薦もあり、日本側からのシンポジウム登壇者13名の一人として、私も選ばれた。精一杯準備し、緊張しながらも自分の研究成果のエッセンスを紹介したことを、昨日のことのように憶えている。

このシンポジウムの成果は、伊藤さんが中心となって成果図書、”Animal Societies: Theories and Facts” (Y.Ito, J.L. Brown & J. Kikkawa, eds., 1987)として刊行された。その中、に私の報告内容を推敲した論文”Mating system of the dragonfly Cordulia aenea amurensis Selys and a model of mate searching and territorial behaviour in Odonata”も掲載されている。

下の写真(シンポジウム登壇者の集合写真)では、伊藤さん、私の大学院での師匠である坂上昭一先生、そして前述の海外からの研究者らのオーラに圧倒されたかのような私の姿が写っている。

特定研究国際シンポ集合写真-s 
シンポジウム登壇者集合写真(クリックで拡大)
後列左から2番目:私(生方秀紀)、4:坂上昭一、5:伊藤嘉昭、6:J.L. Brown、8:W.D.Hamilton。前列左から3番目:長谷川眞理子、5:M.J. West-Eberhard、6:J.R. Krebs 、7:青木重幸。

次回記事では、『生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ』の全体的内容や執筆陣について取り上げる予定である。
お楽しみに。


外部リンク先リスト:
南方熊楠顕彰館:「悼 伊藤 嘉昭先生(第17回南方熊楠賞受賞・名古屋大学名誉教授)が逝去されました」.
http://www.minakata.org/cnts/news/index.cgi?v=f5l00&p=0

Wikipedia: E.O. Wilson.
https://en.wikipedia.org/wiki/E._O._Wilson

Wikipedia:伊藤嘉昭.
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤 嘉昭

Wikipedia:今西錦司.
https://ja.wikipedia.org/wiki/今西錦司

WorldCat:Animal societies : theories and facts.
http://www.worldcat.org/title/animal-societies-theories-and-facts/oclc/17514035


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2017-02-09 (Thu)

飯島一雄 (1957) 北海道釧路の蜻蛉目について.釧路博物館新聞, 72:189-192.                  

飯島一雄 (1959) 北海道釧路の蜻蛉目,追記.Tombo, 2:31-32.  

飯島一雄 (1964) ムカシトンボ糠平に産す 釧路市立郷土博物館々報, 151152(9) .

飯島一雄(1966) コノシメトンボ,北海道に産する.釧路市立郷土博物館々報,17117217343.

飯島一雄 (1966) 稀少種の宝庫道東部のトンボについて.釧路市立郷土博物館々報, 177:43-46.

飯島一雄 (1967) エゾカオジロトンボとヒメアカネの新産地.釧路市立郷土博物館々報, 190-191: 113.

飯島一雄 (1968) 北海道東部から未知のイトトンボ.釧路市立郷土博物館々報,186-18989.

飯島一雄 (1970) 釧路管内稀少蜻蛉目ひかえ(1969年度).釧路市立郷土博物館々報, 204:27.

飯島一雄  (1970) 知床半島から発見されたサラサヤンマとコノシメトンボ。釧路市立郷土博物館々報, 204 (5) .

飯島一雄 (1971) 釧路管内稀少蜻蛉ひかえ.釧路市立郷土博物館々報,210:101.

飯島一雄 (1972a) 釧路湿原とその周辺地の昆虫相(Ⅰ).釧路市立郷土博物館々報,215:3-7.

飯島一雄 (1972b) ギンヤンマ釧路管内塘路湖で発見.釧路市立郷土博物館々報,215:20-21.      

飯島一雄 (1972c) 釧路市春採湖と網走市リヤウシ湖から発見された2種のイトトンボ.釧路市立郷土博物館々報,215(3) .

飯島一雄 (1973a) エゾカオジロトンボの発見経過とその研究史.標茶町社会教育係(編)エゾカオジロトンボ調査報告書,3-5.標茶町教育委員会.

飯島一雄 (1973b) 北海道標茶町の蜻蛉目.標茶町社会教育係(編)エゾカオジロトンボ調査報告書,6-9.標茶町教育委員会.

飯島一雄 (1973c) イイジマルリボシヤンマ-北海道標茶から発見-.釧路市立郷土博物館々報、 222:9.

飯島一雄 (1973) 釧路湿原とその周辺地の昆虫相(Ⅱ)釧路市立郷土博物館々報, 223(7) 108.

飯島一雄 (1973) 釧路湿原とその周辺地の昆虫相(Ⅲ)釧路市立郷土博物館々報, 224(9) .

飯島一雄 (1974) 昆虫.春採湖共同調査団編『春採湖』、119-149。釧路市.

飯島一雄 (1975) 釧路湿原と周辺の昆虫類.釧路湿原総合調査報告書.釧路市立郷土博物館. pp.161214.

飯島一雄 (1976) ゴトウアカメイトトンボの生息調査報告.標茶町教育委員会.10pp. (手書き謄写印刷).

飯島一雄 (1977) エゾカオジロトンボとマユタテアカネの奇型 釧路市立博物館郷土館々報, 243(1)11.

飯島一雄 (1977)  知床で発見されたムカシントンボと屈斜路湖で採れたサラサヤンマ.    釧路市立郷土博物館々報,244: 19-20.

飯島一雄 (1978) 道東海岸線調査中間報告(昆虫)釧路市立郷土博物館々報, 250(3)92-94.

飯島一雄 (1979) 道東海岸線総合調査日誌―昆虫・1978年度―釧路市立郷土博物館々報, 257 (5) .

飯島一雄 (1980) 道東海岸線総合調査日誌―昆虫・1979年度―釧路市立郷土博物館々報, 264 (7)119-122.

飯島一雄 (1981) 昆虫標本目録(1)釧路市立郷土博物館収蔵資料目録(Ⅰ).釧路市立郷土博物館。

飯島一雄 (1982) 浜中町若山沼とその周辺の昆虫類。.岡崎由夫ほか『霧多布湿原およびその周辺地の科学調査報告書:17-20.

飯島一雄 (1983) 道東海岸線総合調査日誌 1981年度。釧路市立郷土博物館々報, 281(5) 33-34.

飯島一雄 (1983) 釧路湿原の昆虫Ⅰ.標茶町昆虫愛好会発行冊子.

飯島一雄 (1983) 知床半島の昆虫(1)羅臼町 釧路市立郷土博物館々報, 282(7)43.

飯島一雄 (1983) 知床半島の昆虫(2)羅臼町 釧路市立郷土博物館々報, 284(11) .

飯島一雄 (1984) 道東海岸線の昆虫.道東海岸線総合調査報告書:87-126.釧路市立博物館.

飯島一雄 (1984) ゴトウアカメイトトンボ.標茶町昆虫愛好会(編)標茶町の天然記念物:10-11.標茶町昆虫愛好会発行.

飯島一雄 (1986) 昆虫類.道立自然公園総合調査(厚岸道立自然公園)報告書:163-196.北海道自然保護協会.

飯島一雄 (1988) 昆虫部門。春採湖調査会編『春採湖及び周辺の環境保全基礎調査報告書』。釧路市。

飯島一雄 (1989) 標茶町サルルン沼の昆虫類。標茶町郷土館報告、(4):7-18.

飯島一雄 (1990) 昆虫.阿寒川総合調査関係文献目録:23-26.釧路市立博物館・前田一歩園財団.

飯島一雄 (1991) 阿寒川水系昆虫調査結果(中間報告).阿寒川水系総合調査中間報     告書-平成2年度-.釧路市立博物館,前田一歩園財団,阿寒町.

飯島一雄 (1991) 千島火山帯の昆虫(Ⅳ)-釧路市立博物館に所蔵されている蜻蛉類     -.Sylvicola, 9:31-34.

飯島一雄 (1996) 阿寒川水系総合調査7.昆虫 釧路市立博物館々報, 355  (10) .

飯島一雄 (1996) 昆虫標本目録(3)釧路市立博物館収蔵資料目録(XVI)。釧路市立博物館.

飯島一雄 (1999) 昆虫標本目録(6)釧路市立博物館収蔵資料目録(XIX)。釧路市立博物館.

飯島一雄・飯島喜久男 (1972) 釧路湿原総合調査中間報告-シラルトロ沼-.V.昆虫.釧路市立郷土博物館々報、218:5356.

飯島一雄・飯島喜久男 (1973) 北海道東北部から未発見のイトトンボ. 釧路市立郷土博物館々報、223:116.

飯島一雄・西川彰 (1973) エゾカオジロトンボ白糠町で発見釧路市立博物館々報, 224 (9) .

飯島一雄・豊原・司・飯島猛美 (1987) 標茶町西別岳の昆虫調査(第2報).標茶町郷土館報告,(218):20-27. 

釧路湿原総合調査団編 (1977)『釧路湿原』釧路叢書、429 pp.

釧路市立郷土博物館(1981) 釧路市立郷土博物館収蔵資料目録(I).昆虫標本目録(1)、60pp.

釧路市立博物館・前田一歩園財団・阿寒町 (1983) 阿寒川水系総合調査報告書、198 pp.

標茶町社会教育係(編)( 1973) エゾカオジロトンボ調査報告書.標茶町教育委員会,33pp.

須摩靖彦・飯島喜久男・飯島一雄 (1973) 赤沼付近の昆虫調査.釧路市立郷土博物館々報 、 220: 74-75.

豊原熙司・飯島一雄 (1983) ルリボシヤンマとゲンゴロウモドキの格闘釧路市立博物館々報, 281(5)35.


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この業績リストは、各種文献検索に基づき、生方秀紀が作成したものです。

今後、追加の情報があった場合は追加・修正などを行うことがあります。


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